「スマホ・スタイル」は・・やはりどこかおかしい!! | ~ ロバート・フジタの一筆コラム~

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先日のブログ?(コラム?)「ガラケーVSスマートフォン」の続編になるのだが、実証の意味も含めて人間観察へと出発してみた。








都心へ出かけるためにJRのホームに立った時、ホームは朝の通勤時間のせいかやや混み合っていた。


電車待ちの列に並ぶと横2人の4列、そう8人が綺麗に並んでいることになる。その8人中6人が「スマホ」を作動させていた。電車が到着し押され気味に乗り込むと、中でもかなりの人数が液晶画面に親指と人差し指を動かしている。しかも混んでいるのに・・・だ。



 
                       

 

 多分、バスや地下鉄も同じことだろう。駅のコンコース、喫茶店、あらゆる場所で、多くの人が何らかのタイプの液晶画面を使っている。先日のブログ以降、やたらと注意深く観察してしまっている自分の行動に苦笑しつつ、本を読む人、何もしていない人などはいつの間にか少数派になっていることに今さらながらに気付かされてしまった。そして、それはやはり非常に気持ち悪い光景だった。時間の有効利用と言われればそれまでなのだがだ。



だけどもその光景は、まるで、なにもせずにいることが怖い、手持無沙汰でいることに耐えられない…そんな感じがする。強迫観念に駆り立てられるように、みんなが液晶画面を見ている。積極的に機械を使いこなしているようでいて、実は、機械に支配されているように私には思えてしまう。(そんなSF映画が昔有ったような無かったなような)




手持無沙汰の時間、ただひたすらぼ~っとする。あるいは、週末の予定を考えたり友人のことをあれこれ思ったり。世界情勢のことを考えてもいいし、日本経済の行き着く先や景気の良い話ばかりのアベノミクスの先に見え隠れするアベノリスクを考えてもイイだろう。もちろん空想の世界に入っていってもいい。




私は声を大にして言いたい「人間の頭の中は無限だ」と。



 


些細などうでもいいことからとても重要な案件・事案まで「無」から思考を組み立てていくことが出来るのが人間だ。一昔前に人間の脳をコンピュータに造り替えると東京ドームが2つ程必要だと聞いたことがある。




 
 
  

あらゆる状況でスマホやタブレットを介さなければ何もできない、不安にさせるという現代の日本は、どこかおかしいと思わないか?考えているようでいて、それは膨大な情報からただ単に選択しているだけなのだから。


 

これが現代社会だ、と言ってしまえばそれまでだが。あるいは昭和生まれの私にとっては違和感のある風景だから反発してしまうのか。




そうか、今の子供たちには誰もが液晶画面に首っ引きのこの風景こそが当たり前なのだ。



 


近い将来、重いランドセルや通学鞄は不必要となり、全ての子供たちはタブレット端末の入ったハードケースだけを持って通学するのだろうか?



 

 

だけど、それで本当に良いのだろうか。そして今流行の在宅社員に真似て、在宅生徒や在宅学生が現れ、人間同士のコミュニケーションの取り方もこの液晶画面を通じて行われてしまうのだろう。そして癒しの空間である家族の間でも、食事以外の用事は全てこの液晶画面でこと足りてしまう。




 


そう言えば、家族のファミレスやカラオケなどの動向も観察してみると、やはり主役は液晶画面で・・親父さんが何かを話していても、お母さんや子供たちは引っ切り無しに液晶画面の上で器用に指を踊らせていた。



 



これらを総称して「スマホ・スタイル」と呼ぶらしいが・・やはり・・どこかおかしい。



 





今日はこの辺りでお別れしよう・・・