話術にコンプレックスを持っている人がとても多いらしい。
こんな書き出しから始めたのには勿論わけがある。
私の知人のコンサルタントには毎日のように話術伝授の依頼が舞込むらしい。知人は特に話術を指導する専門コンサルタントではない。彼が企業などの依頼で講演をする度に前述のようになるらしいのだ。
確かに知人には人の心を惹き付ける魅力はあるが、だからと言って取り立てて巧みな話術の持ち主だとも思えない。
そう言えば、大学から銀行に入行した時の「新人研修」には著名な落語家のお師匠さんが講師となった話し方についての講義があったことを思い出す。あんな風に俺も話が上手になりたいなぁと思ったものだ。
先程の知人のコンサルタントは、指導的立場の方々から話術伝授の依頼を受けると必ずマンツーマンで指導するらしい。
特に経営者は人前で話す機会が多く、その内容や話し方いかんによって相手に与える影響が大きく左右する。懇切丁寧な知人の指導が大いに受けて、ホームページやブログなど一切やっていないのにも関わらず、大企業の経営者や時には政治家、公職にある人たちがクチコミで彼を訪ねてくるとのこと。
知人は言う。
「最近、依頼者のニーズが増えているのはお笑い系なんだよ」
落語家や漫才師のような話し方をマスターしたいという声が急増中とのことらしい。紳士然とした経営者が真剣な顔をして、「お笑い芸人の○○さんのように話したい」と言う。経営者だけではない。教育者やスポーツ指導者、業界団体の役員などからもそうした相談が増えているそうで、「変わった世の中になったもんだ」と半ば呆れていた。
「鋭さを外に現しているような男は、実は二流である。第一流の人物というのは、少々、馬鹿にみえている」 (司馬遼太郎)
この言葉には私も同感だ。従って、指導者がお笑い芸人・・私は大いに結構なことだと思っている。
極論かも知れないが、リーダーは少々馬鹿に見えるくらいでちょうど良い。才気走った顔をしていては相手が警戒してしまうからだ。
「できるな、この人」と思わせたら「負け」である。「なんだ、こんな程度か」と思わせたら「勝ち」なのだと思う。
老子の教えに「大巧若拙」(たいこう じゃくせつ)と言う言葉がある。
技量が高いと表面を飾ったり自慢もしないので、ちょっと見には下手な人のように見えるの意。
自慢話や得意話をしてしまい「凄いですね」と相手に言われたときにはもう負けなのである。
ただし、相手によっては本当に馬鹿にされて終わる時があるので、使いこなしには十分ご注意をするべし。
今日はこの辺りでお別れとしよう....




