heretic
善と悪という二元論は
創造ではどちらの立場にも立ちません
悪があるからよくする必要があり
善とするものがあるから
よくする方向性が持て
よくできたとすることができます
所有を求める悪魔的な存在も
創造ができればよそや誰かから奪う必要もなく
どこかや誰かにとっての問題となるとすれば
創造したものの影響のせいで
それは代替したり問題点をデバックするような形を
取ればいいだけです
世界を創造するとは
あらゆるものや存在をある世界という鋳型に収めることではなく
ある世界の設定のためにシステムや構造を設計し
それを利用するユーザーやステークホルダーの
要望や世界のせってにコミットするアップデートをするものです
例えばテクノロジーが人を豊かにする世界の設定では
人を豊かにするためにテクノロジーが適用され
人を豊かにしないことにテクノロジーが利用されません
しかし豊かになった人々の生活や活動は
豊かになれるだけで満足できるでしょうか
もっとこんなことできたらあんなことできたら
ああなったらいいのにこうなったりしないかと
豊かになったらなったで求めるものが変わっていきます
それにはその世界の設定がアップデートか
次元上昇のような豊かな世界を内包していて
かつ新たな課題にコミットするようなアセンションが必要です
でなければ新たな要望を満たすテクノロジーの適用にコミットする
仕事を世界が許容しません
もっと分かりやすく言えば
自分の国の満足だけを求めた国が世界中のリーダーになれば
そのリーダーは他の国々の不満の原因になることはあっても
満足にコミットする仕事はしないということで
それは世界をよくするステップに過ぎないということです
つまり世界の国々が自分の国さえ良ければという
同じようなリーダを登場させないように
世界のリーダーについて真剣に考えるからです
そういう悪いリーダーがいなければ
同じようなリーダーがとってかわり居座るだけです
誰も問題と認識しなければ世界線は続きます
イノベーションとは違う世界線によって
テクノロジーの要素を再構築しただけのもので
技術が必ずしも最新ではないはずです
イノベーション製品に技術が最適化されてないだけの場合でも
すでにある技術の寄せ集めで具現化はできるでしょう
ただいま世界で起こってることとして
私の世界線において再構築された技術が
聖書の世界線によって応用されてたり
聖書の世界線を守りたい人たちにより
人々にその再構築された技術の利用や適用を制限されてることです
私が世界の終わりを救ったのに
まだ終わってないとして終末に向けて事を進めてるのです
そして人々も世界が救われたことを忘れて
まだ終末に向けてのTVショーを見せられてるのです
私以外の救世主が現れてないからでしょうか?
聖書の知らない国から生まれる救世主は私としても
イスラエルの救世主が現れないと支配者はまだ聖書通りに
事を進めようとしたいのでしょう
イスラエル側の救世主がトランプなら
それはそれでカトリックとしても都合が悪いでしょうけど