長かった炊き出し生活も昨日で終わり、4日間お休みをもらいました。
まぁ研修の俺は関東からヘルプ社員が来ているうちに休んどいて、月末にかけて死ねってことらしい。うわぁい!のぞむところだ!

さて、震災後炊き出しをしていた私ですが、その様子を記録しておこうと思う。
ちなみにのべ16000食作りました!避難所のかた喜んでくれたかな?自衛隊にも差し入れしたらしいぜ。

パンダ炊き出しシチューの作り方ぶーぶー

まずは野菜の下ごしらえ。ジャガイモ、ニンジンはボイル済みですが、タマネギは炒める一手間で美味しくなります。



そして寸胴に沸かしたお湯に小分けした野菜を適度に煮て




レトルトシチューをぶちこむわけですが、なんと救援物資で届いたシチューは




1 0 0 g ず つ 包 装 さ れ て い た

その場にいた本社の商品開発部の方も『こういう仕様にしたやつをぶち数す』とのコメント。同感です。

と、いうわけでこれがひとつの寸胴に入る60食分です。
我々はこの作業を『絞り』と呼ぶことに。ちょっとした牧場体験。




はい、グロ注意!
これを16000回やった我々はすごい!

んでこれを鍋に投入。




しばらく混ぜると美味しいシチューになります(^o^)v





二度と作ることはないはず!



夜があけた。
絶え間ない余震と寒さのせいでほとんど一睡もできず、こんなに太陽が恋しい夜ははじめてだった。
明るくなった街を歩いて会社にむかう。
会社に着くと店長がいたので今後について話し合ったが、やはり上長との連絡は一切つかないので指示を受けようがない。
冷蔵庫をあけると余熱?でまだ食材は生きていた。 プロパンガスも復旧できた。
炊き出しするしかない。飲食店がやれるのはそれぐらいだ。
米はいくらでもあるし、奇跡的に水道は生きていたのでご飯は炊ける。
昨夜避難所でみんなとご飯を分けたことが脳裏によぎる。なんとかしたいと思った。
そこからの行動は早かった。冷蔵庫の中に仕込んでいた大量の鶏肉、仕込んだトンカツ、白身魚、エビフライを手当たり次第油にぶちこむ。
炊飯釜はフル回転。午後から水道水が出なくなったので売り物のミネラルウォーターで炊いた。
『昨夜からなにも食べてなかったんです…』と泣いてる人もいた。こんな脂っこいトンカツでごめんね( ;∀;)喉かわくよね_| ̄|○

昨夜世話になった鶴巻小学校にも差し入れにむかった。とても喜んでくれて素直に嬉しかった(小学生並みの感想)。
気付いたらもう夕方。充実感から疲れはなかった。
もう食材がなくなったので今日は解散することに。
帰りの交通手段がなかったので出勤してきた上司に家まで送ってもらうことに。まだ家族と連絡はついてなかった。






いつの間にか雪が路面を白く染めていた。
地震で閉め出された人々に容赦なく寒さが襲う。
掃除をしたくても、水道がなければ洗い物もできない。
太陽は西に傾きはじめていた。
こういうときこそまずは腹ごしらえである。
炊事はできないが、作りおきの揚げ物、麺類が無傷で転がっていた。無言で暖かいうどんをすする店長と私。
刻々と増えていく被害者とラジオのアナウンサーが告げる悲惨な状況は、まるで遠くの国の出来事のようにリアリティーがなかった。
悪い夢だと思いたかった。

しばらく相談した結果、今日はもう閉店し、店長は自宅までの道路が冠水して帰れないので事務所に泊まり込むことにした。
電車通勤の私は翌日の片付けに備えて近くの小学校に避難することにした。
ニュースなどで見かける避難所は毛布、食料などが十分に備蓄されており、
非常電源である程度の明るさは保たれているはず、そう思っていた。
実際は違った。廊下まで溢れた人々。真っ暗な教室。不安を押し殺した被災者の顔。
さしずめ『野戦病院』といった感じである。

3年2組が今夜の寝床。
教室の隅に段ボールをしき、腰を下ろす。床のつめたさが伝わる。毛布の配給なんてなかった。
足元にはなにやら衣類が散乱していた。生徒のものだろうか。
時間割りを見ると金曜日の5時間目は体育。みんな体操着で逃げたのであろう。
少し悩んだが、誰のかわからないその小さなパーカーを膝掛けにさせてもらうことにした。
長く、忘れられない夜のはじまりである。
避難所本部の人が教室にやってきた。 八時半くらいから食事を配る、と告げられた。
だが避難者が多すぎて、一人一食はとても配れない。三人で分けてほしい、とのことだった。

まさか飲食店で働いててよかった、と思う日がくるとは。
先ほどのつまみ食いでお腹はいっぱいである。水もある。
食事は済ませてきたから、と言って少し食べてあとは近くの人に譲った。

緊張が解けたせいか体の疲労感がドッと襲ってきた。
鞄を枕に横になる。寝てしまえば早く朝になるだろう。