自分の一生について、それこそ180°価値観が変わるような大きな変化だった。
それは生まれて初めて「死」について考えたことだ。
一生の間、「生きる」ということの大切さを学ぶ機会は多い。
学校から、親から、生きることの価値とか、生きる素晴らしさについては十分すぎるくらい教わる。
医療も発達して人はなかなか亡くならないようになった。毎年のように日本人の平均寿命が世界トップであると報道もされる。遊びも多様化し、「生きていればこんなに楽しい」と明るい人生を謳ってくれる。
そうやって「死」という概念が徐々に薄れていき、人は必ず死ぬんだという至極当たり前の事実に蓋をして、この社会の見えるところから外してしまっているのが現代社会ではないだろうか。
そしてそんな平和な思いを頭からぶち壊したのが先の震災である。
被災した方々も、現地でボランティアを行った私も、あの震災で、生まれて初めて「死」について考えることとなった。
先の震災では、生後数か月の赤ちゃんも、70年80年生きた老人も、皆平等に亡くなった。震災や津波の前では、年齢、性別、職業、肩書も、過去にどんな素晴らしいことをやってきても、人生に悔いや未練があろうと無かろうとそんなことは関係無い。皆等しく命を落としてきた。
そこで、日本人は一人一人が初めて「死」ということを考えるようになった。死は平等に訪れる。死というものはいつでも生の隣り合わせで張り付いているものなのだと。
明治大正の時代は、今と違って平均寿命も短かった。昔の人は多くの子供を産んでいたが、兄弟の中にも一人や二人、小さいころに亡くなった人も多くの家族でもいた。今では薬で治せる病気で、簡単に亡くなりもした。つまり死というものが日常生活に存在した時代が昔の日本だった。命はいつ消えるか分からないということを、肌で分かっていたからこそ、はいつくばっても、どんな逆境でも生きねばならない、生きることの大切さを誰から教えられなくても昔の人は分かっていたのだ。
では今の現代ではどうだろう。
同じように、生きることの大切さや命の尊さを教えてはいる。しかし実感として心に響いてこないのは、「死」について教えてきてないからではないだろうか。
生きることの大切さを教える前に、先ず徹底して「死」について教えないといけないと思う。
震災を教訓にというが、防災についてとか地震が起きたときの対処とか、そんな表面的なことではなく、「死」はいつでも、どんな時でも自分に降りかかってくるものなのだということを教えなければいけない。教える親も辛いかもしれないし、苦しいかもしれない。しかしそこを教えなければ命の大切さなんて子供は絶対に理解できない。子供にジャンクフードを食べたいだけ食べさせて生きることの大切さを教えたって全く響かない。そんな無意味さは子供はとっくに見抜いている。
震災をきっかけに「死」について考えた結果、私が途どり就いた結論はこうである。
「人間、どれだけ長生きするかが大切ではない。死はいつでも自分にやってくる。大切なのは、生きている間、どれでけ精一杯生きるか」
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