好きなロックバンドの一つにリンキン・パークというバンドがある。
アメリカのロスアンジェルス出身のバンドで、西海岸のバンドらしく、
オルタナティブ系の音楽センスを持ちつつ、
幅の広い音楽ジャンルを取り入れたサウンドが魅力の世界的なロックバンドだ。
しかしながら、そのメンバーに日系人がいるのをご存知でしょうか?

彼の名前は、マイケル・ケンジ・“マイク”・シノダ
Michael Kenji "Mike"Shinoda、日本名:篠田 賢治、1977年2月11日-)
リンキン・パークのボーカリスト、ギタリスト、キーボーディスト

$Katuの音楽の世界

 父親は日系人で、マイク自身は3世にあたる。母親はロシア系アメリカ人。
インタビューでも、「I'm half Japanese」と言及している。
 彼自身は日本語を話せないが、弟のジェイソンは、同志社大学で日本語を勉強したようで、日本でのライブで挨拶する際のカタコトの日本語は、彼に教えてもらったものらしい。
バンドでは、曲作りの中心的メンバー。


リンキン・パーク





2005年、サイドプロジェクトとして、フォート・マイナー(Fort Minor)を立ち上げ、ファースト・アルバム『ザ・ライジング・タイド』(The Rising Tied)を発表。このアルバムに収録されている『ケンジ』(Kenji)という曲の中で、第二次世界大戦時に、彼の家族が日本人というだけで強制収容所に収容された事(日系人の強制収容)を歌っている。







Fort Minorではこの曲が好きです。




彼は、日系人としてのアイデンティティについては、次のように語っている。

カレッジに居る時だったかな。本物の日本人と日系人は違うってのを痛感してアイデンティティの危機に陥ったんだよ。
 日本人と日系人は違う。これは本当だ。重要なことだ。
 だけどリンキン・パークを結成して日本にツアーに行ったら、飛行機を降りたら空港の建物にうちの叔母の家の匂いがするんだよ。
 もしかしたら日本人も外国人も誰も気づかないかも知れないけど、ひどく懐かしい匂いだった。
 それから東京、大阪、京都、名古屋と行ったが、人々の細かい仕草に気づくはずだよ。ちょっとした紙片を受け取るのでも違う。例えば名刺を渡したら両手で受け取るんだよ。アメリカじゃ誰もしないだろ。それを見て僕は、「ああ、うちの叔父もいつもそうしていた!」と思ったんだ。そういう細かい所で、日本人と日系人の間にある根っこのつながりを発見できたんだよ。

義を重んじ、人に対する尊敬と、礼を尽くす細やかな心使いの出来る日本人。
よく、海外で暮らす日系人の人や、日系広島県人会の方々の話を聞いていると、凛とした日本人としてのアイデンティティを持つ、子供の頃の記憶にある祖父の匂いがした。
ひょっとして昔の日本人ってこんな感じだったのかな、日本に居ない分、そのままの日本人の魂を持つ人々が、そのまま伝統を受け継いで残っている、そんな感じがした。
今の日本に暮らす人々に日本人としてのアイデンティティはあるのだろうか?



シノダさんは、東日本大震災の時は、募金コンサートや楽曲のダウンロード金による募金等
いち早く動いてくれました。
募金コンサートの時は日本のバンドB,sを招き日本復興ライブを行っています。