距離に耐える愛 | 極上の人生を生きるためのヒント

極上の人生を生きるためのヒント

極上の人生を生きるとは、自己を修めること、夫婦を治めること、家庭を治めること、仕事を修めること、美を極め、精神的にも物質的にも豊かな人生を生きること・・・。
人生をより輝かせるためのヒントがここにあります。

皆さん、こんばんは!椎名です。

いつも読んでいただきありがとうございます。感謝します。


渡辺和子さん(ノ‐トルダム清心学園理事長)に学ぶ夫婦の育て方のヒント・・・


ある日のこと、アメリカに単身赴任して間もない夫の写真を持って、一人の卒業生が訪ねてきた。


写真には友人であろうか、数人の男女と談笑している、その人の夫の姿があった。


「よかったわね。現地にもお馴れになったようで」という私の言葉に、その人は険しい顔つきで答えたのだった。


「私がいないのに、こんなに楽しそうにしているなんて、許せないんです」。


親の反対を押し切って恋愛結婚をしてから、まだ一年にもならない妻の言葉には、淋しさというより怒りがこもっていた。


愛するということは、すばらしいことだと思う。


しかし、本気で愛する時、そこには必ず苦しみが生じる。


愛する者を持たない時の淋しさとは異なった、愛してしまったがゆえに味わう淋しさであり、苦しみである。


自分がいないというのに、愛する相手が楽しい時間を過ごしていることに腹立たしい思いがするという気持ちの中には、「私なしに幸せであってはならない」という独占欲と、なにがしかの嫉妬もあるのだろう。


「私なしでも幸せそうでよかった」と思うことができるためには、相当の信頼と愛が必要であろうし、私は、そこに自立心を加えたいと思う。


“その人なしでも生きてゆける自分”を、しっかり持っていることなのだ。


人間である限り、愛する相手を絶えず自分の手の届くところに置いておくなど不可能であると知らねばならない。


夫婦の愛においても、このような「覚悟」が必要なのではないだろうか。


そのためにも、人間一人ひとりは別人格であり、相手は決して自分の所有物ではないという、一つの“思い切り”を持って生きることが大切になる。


(目に見えないけれど大切なもの/PHP文庫)


著者の渡辺和子さんは言います。


「私たちは、愛する者を持っていない淋しさも味わいますが、反対に、愛する者を持ってしまったがゆえに味わわねばならない淋しさ、孤独もあるのです。


それに耐えるのも愛の一つの姿である」と・・・。


さらにこうも言います。


『成熟した愛とは、縛る愛から、解放する愛へと成長することであると気づき、自分で納得するのには、自分との闘いがあった。


「信じる愛」こそは、愛を持続させるために必須なのだ。


愛にも成長がないといけない。


それは、一体化を願い、相手の心の中、相手の世界を知り尽くしたい、という愛から、徐々に脱皮してゆくことである。


相手に独自の世界を許し、別人格同士の間に生じる心理的、物理的距離を認め、それに耐え、その距離を信頼で埋めてゆく愛といってもいい』と・・・。


偉大な古生物学者であり神学者であったティヤ‐ル・ド・シャルダンの言葉に「人生にはただ一つの義務しかない。それは、愛することを学ぶことだ。人生にはただ一つの幸せしかない。それは、愛することを知ることだ」というものがあるようですが、様々な人間関係の中でも愛を学び、愛を知るに最も適している環境が夫婦関係と言えましょう。


あなたはどのような愛を体験することを望みますか?


今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。