日本理化学工業の、大山会長の会社は、昭和後期~平成時代の経営者、社会福祉家として貢献される。父の創業したチョーク製造会社に入社。
昭和35年から知的障害者の採用を始める。49年に社長に就任。50年には日本初の知的障害者多数雇用モデル工場を建設。平成20年に会長に就任。
今年2月7日病気の為死去、86歳。

今日本で一番大切にしたい会社‼️
同情ではなく、支えあう。そしてお互いに生きる勇気を得る。

大山会長が伝えてくれた、働く幸せの道!人間の一番大切な原点を改めてきずかされる一冊です!
大山会長の残してくれたメッセージとは?

人間の究極の幸せとは、。
1つは、人に愛される事。
2つは、人にほめられる事。
3つは、人の役に立つ事。
4つは、人から必要とされる事。
障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証なのです。と大山会長は語っています。
大山会長とは?
↑大山 泰弘氏の命式

敗財 食神…。
月柱が敗財の星となり、人に頼まれたら嫌と言えない程の、お人良しです。とても慈悲深く、ボランティア精神を強く持ち、人からとても頼りにされます。又厚い情熱と闘志の両面を持ち合わせています。この月柱の敗財は、弱気の失敗と意味が表されますが、この性格を大山氏は障害児の人でも、健常児の雇用と変わらず採用をした経路には、とても星の持つ意味を最大限に良い方向に向けていった大山氏の人柄だからこそ、なしとげらたのでしょう。
例えば、月柱刧財、比肩などの変通星を持つ星であれば、採用をして育てようとは考えもつかなかった事でしょう。まず、即戦力に、なる人材にしか目にとまらない考えを持つのです。
彼が、社長になった昭和49年の時は、大運が正官 長生の時期となる。
会社としての組織的官位の星の火の星が、大運に巡って来た時期に社長就任となる。大運が印星の時期に巡り、更なる社員の指導に熱意をもやしていた時期となります。その頃47人の社員が働いていますが、そのうち33人が知的障害者で、更にそのうち22人を重度知的障害者が占めています。この会社のものづくりの主役は、知的障害者なのですと伝えています。
でも、最初から一つの事も何もできない障害のある人を大山氏は、待つことに意味があると述べていました。待つ事の意味はとても深いメッセージとして感動を呼びます。
毎週のように行動障害を起こした社員が、2週間に1回、3週間に1回と少しでも、変化していくようであれば、本人が成長しているんだととらえ、一度や二度の約束を破ったからと、いってあきらめることはありません。待ち続けることで、確実に彼は成長していくのです。
非常に常に次から次へと難題な問題にも挑戦され、障害者の立場に立って指導された事を素晴らしいと感じます。、まさに、大山氏の与えられた使命を果たされて、自分の性格、能力をそのまま色を変えず、形をかえず、歩み続けて事が現在8割が知的障害児の会社となり、チョークのシェア日本一の会社となったのです。

会社は、人に幸せをもたらす場所。人は幸せを求めて生きています。そして、人は働くことによってこそ、誉められ、人の役に立ち、必要とされる。という究極の幸せを手にすることができます。労働に見合った給料を社員に支払うだけではなく、人間として幸せを叶える場所でなければならないはずです。
たとえば、えびす様。皆さんは、商売繁盛の神様であるえびす様が、足のたたない障害者だったことをご存じでしょうか?今で言う、小児麻痺のような病気だったようです。でも、町の人たちもみんな大事にして、神様をまつったのだと言われています。

お金のためでもない、自分のためでもない、人のために働くからこそ、人はほめられたり人の役にたち、必要とされる。
経営者も正社員も派遣社員も男性、女性、老いも若きも、そして障害者も…。分け隔てなく、みんなが、働く幸せを、実感できる社会。私は、そんな、社会は夢物語ではないと、思います。
と述べています。
大山氏だからこそ、知的障害者をここまで育てあげ日本一の会社となったのでしょう。それには、立場を考え、能力を向上させるアイデアや、わかりやすい仕掛けなど、幾度の失敗を重ねて、共に生きて来た生きざまが、素晴らしく感動を与えて頂けた一冊です。
大山氏の人生に、感動と勇気と待つ事の意味を伝えていかれた偉大な人です。

千凡のつぶやき…。