Gacharic Spinは、はなと私の2人で立ち上げて
2009年10月8日名古屋で初ライブ!
4人組ガールズバンドでスタートしました
ブッキングや物販の発注や、ツアーの行程とか
そうゆうのも自分たちでやるのは全部初めてて
いつもいろんな先輩やスタッフさんに電話して分からないことばかり聞いてたなぁ。
はな宅の近くの公園で曲作りをしてたのを覚えてる。
ライブ決まったのはいいものの
持ち曲3曲しかなくてw
東京はワンマンだったからどうするんだー
って。
お披露目ライブは、みんな前にやっていたバンドのお客さんが来てくれたからライブとして形にはなっていたと思う。
けど、それはGacharic Spinのお客さんではなくて。
それを凄く痛感したのが
初期ギタリストEITAの次にガチャピンのギタリスト
TOMO-ZOが2009年12月に加入して
全国ツアーにまわった時かな。
どこ行ってもライブハウスの床に向かって演奏してた。最初来てくれていた人も、みんなそれぞれ前バンドの流れで来てくれていたけどだんだん離れていった。そりゃそうだよね。
違うバンドだもん。
EU PHORIAだった時に出会っていていたんだよね。オレオもそう。
共通の知り合いで
いいギタリストいるよって紹介されたのが
TOMO-ZO。
そこから年間100本以上のツアーが始まる。
2010年、2011年と
バンドとバイトの毎日。
練習はだいたい深夜練が多かったなぁ→バンドあるある。スタジオ代が安いw
そして、2012年
VoだったArmmyの脱退。
バンドにとって大ピンチ。
その時に支えてくれたのが
オレオレオナ。
大丈夫かー?!って連絡をくれて
サポートキーボードとして一緒にツアーをまわってくれることになり、ツアー中に正式加入。
って、ボーカルいなくて
キーボードをメンバーに入れるんかい!って周りに突っ込まれたけどw
いや、このときオレオがいなかったら
今のガチャピンはいない。
ボーカルもたくさんの仲間が
サポートボーカルとして一緒にステージを作ってくれました。
サポートボーカルを迎えての初日は
ブリチャンそう浜田ブリトニーさんだったんだよ。
この時くらいからガッツリ
はながドラムを叩きながら歌う
オレオがキーボードを弾きながら歌う
っていうツインボーカルの形も見え始めていたのかもしれない。
ボーカルオーディションもやっていたんだけどね。
演奏も複雑なことをやりながら
歌ってパフォーマンスをしてって
簡単に出来ることではなくて
はなもオレオも凄く試練な時期。
それをやり遂げていく2人を見て
改めてこんな凄いメンバーと演奏出来て嬉しいなぁって思ったし、ピンチだけど頑張ろう!って思えた。
サポートボーカルとして歌ってくれた仲間にも本当に支えてもらいました。
みんなサポートっていう感覚じゃなくメンバーの1人としてステージに立ってくれてたからキツかった時期だけど1本1本毎回違うガチャピンを見せられて楽しかったの。
あのツアーはお祭りみたいだった!ってみんなに言われる。
このツアーがきっかけで
誕生したのがサイドプロジェクトDOLL$BOXX。
LIGHT BRINGERとの対バンで
Fukiと出会ってそこからピンチの私達にすぐ連絡をくれてサポートボーカルとして歌ってくれたんだよね。意気投合!!
これは何か形にしたい!ってなってドル箱誕生。
同時進行で動くって大変だけど
その分、楽しさ嬉しさも倍。
ドル箱はガチャピンとは違う楽曲だったりライブの見せ方だったりで、学ぶ場所でもありました。
ドル箱の活動をしながら
ガチャピンはどうしていこうかと
考えた結果、、、
パフォーマーを入れよう!
バンド+パフォーマーという異色な形に。
1号まい&2号ありさが入り
Gacharic Spin2013style
それはそれは最初は賛否両論ありました。
新しいことを始めるってこうゆうことか!って思ったなぁ。
バンドじゃないって言われたり
アイドルだ!って言われたり
でも、
バンドじゃないって思われようが
アイドルだって思われようが
私は気にしなかったなぁ
だって、真剣に演奏してパフォーマンスして、みんなが楽しんでもらえるようにって強い気持ちを持ってステージに立ってたから。
受けとる人はそれぞれだしね。
この形を好きになってくれる人を増やすしかない。知ってもらうしかないって。
それは、今も一緒。
そこからメジャーデビューして
フェスに呼んでもらえるようになったり
地道にだけど
大きいステージに立てるようになったり。
対バンするアーティストさんの幅も広がった。
海外へ行く数も増えました。バンドで海外にいっぱいいけるなんて贅沢ー!ベース始めた時に、いつかバンドで海外に行ってみたい!って思っていた私。
続けてたら叶うぞー!って10代の頃の私に教えてあげたいw
そして、2号ありさが卒業。
この卒業ライブ、、、まさかの現ドラマーyuriが前にやっていたバンドLAGOONとの対バンだったの。
まさかこの何年後か先にyuriがメンバーになるとは誰も想像してなかった。
縁って本当にすごい。
パフォーマー3号ねんねが加入。
バンドだけど曲によって
いろんな形やフォーメーションで
魅せる幅も広がってよりエンタメ色が強くなった時期。
ツアー、制作、レコーディングの同時進行でなかなかハードだったなぁ→今もw
2018年12月30日
パフォーマー1号まいが卒業して
6年のバンド+パフォーマーという
Gacharic Spin2013style完結!!
2019年
さぁGacharic Spinどうする!?
そこに現れた。とにかく気になるこの子。
マイクパフォーマーという
今までにないパートで加入。
Gacharic SpinはGacharic Spin!
でも新しいバンドを作るくらいの気持ちで
挑戦!!
アンジーが入ってから
新体制としての復活ライブ、レコーディングまでの時間が本当にない!!
毎日リハリハリハ。←今もw
毎回ビデオ撮ってミーティングして
考えて考えてトライの毎日。
からの、それだけじゃ終わらないのが私達。
ドラマーいるのにドラムいれちゃいました
はなはDrVoからGtVoへ。
2019年3月9日に
今の5期Gacharic Spinになる。
加入して1ヵ月もない状況で
ツアースタート
ツアーいくまで
合宿行ったり個人練からのバンド練の毎日。
一気に覚えるyuriは、今日はこれしてあっ明日はこれを練習!って、、
あの小さな身体から溢れるパワーに驚かされる毎日です。
10周年に挑むことが出来ている今。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今まで
Gacharic Spinを作ってくれたメンバー
応援してくれたガチャマン、ピン子
支えてくれたスタッフ
みんなみんながいてくれたから
今のGacharic Spinがあります。
ありがとう。
ガチャピン歴史を振りかえってみたけど
いろんな気持ちやエピソードやいっぱい書きたいけど、そんなことしたら1年くらいかかりそうなので
w
まとめて書いてみたよ。
今までとこれからをつなぐ
10年間のGacharic Spinとこれからの私達を
しっかり届けたいし
みんなで楽しい熱い熱い熱すぎるライブをつくりたい!
よろしくね
会場で待ってる!!