良い靴は良い場所に貴女を運んでくれます。
だから、貴女の足に合った靴を選ぶべきです。
貴女の足にピッタリの靴で、貴女は何処にでも歩いて行けるでしょう。
貴女の足にピッタリな靴で歩いて行ったその先には、きっと貴女が望んでいる世界がある事でしょう。
貴女に合った靴で、貴女は思う様に、歩いて下さい。
歩いて行く為に、自分に合った良い靴は必要ですょ。
良い靴は良い場所に貴女を運んでくれます。
だから、貴女の足に合った靴を選ぶべきです。
貴女の足にピッタリの靴で、貴女は何処にでも歩いて行けるでしょう。
貴女の足にピッタリな靴で歩いて行ったその先には、きっと貴女が望んでいる世界がある事でしょう。
貴女に合った靴で、貴女は思う様に、歩いて下さい。
歩いて行く為に、自分に合った良い靴は必要ですょ。
洗濯物を片付けていると、息子が寄って来て、「遊ぼ♪」と言います。
洗濯物を片付けている時間は私がそこにじっと座っている事を彼はちゃんと知っているのでしょう。
遊んであげていると、エキサイトして、洗濯物の上に乗ってしまいます。
そのうち、畳んだ洗濯物の上にも乗ってしまって、折角畳んだ洗濯物をまた畳む羽目になります。
それを繰り返しているうちに、娘も賛同します。
娘は、フカフカの洗濯物が大好きで、昔からその上に乗るのが好きなのです。
そして、私は、洗濯物何てどうでも良い気持ちになります。
彼等がこうして、「遊ぼ♪」てやって来る時間はきっと、短いです。
子供のままでこうして無邪気にやって来る時間はあっと言う間です。
そう考えると、全ての事がどうでも良く思えて来ます。
今、この時間を大切にしたいと思います。
彼等にとってみたら、「今」が大切で、それ以外何て考えていないかもしれません。
純粋に「今」を楽しむ事って凄く大切な事。
私は、どちらかと言えば、ずっと、「型」にはまった凝り固まった考え方をする生き方をして来て、「ああしなければいけない」とか「こうしなければいけない」とか、「こうでなければいけない」と決め付けてばかりいた気がします。
でも、それは、誰にも強要されている訳ではなく、自分自身で勝手にそうでなければいけないと思っていたのだと思います。
彼等に出会った事で、私も柔軟な考えが少しは出来る様になって来たのかな。
ふと、たかが洗濯物、されど洗濯物の出来事でそんな事を思いました。
占いは、子供の遊び道具ではなく、大人が賢く生きて行く為の素敵なアイテムです。
当てモノごっこではありません。
貴女が悩んだり、迷った時に、アドバイスになったり、道しるべになったり、別な観点から見る為に存在します。
占いは強制しません。
貴女が貴女らしく進んで行けるお手伝いをするものです。
そういう気持ちでやって来て下されば良いのだと思います。
この世の誰もが自分の役割を持って生きています。
この世の誰もが自分の役割を担って生まれて来ます。
誰もが、その役割の為に、役割を全うする為だけに一生懸命になって生きて行けば…世の中は変わって行くと私は思います。
しがらみとか、妬みとか、嫉妬とか、怒りとか・・・そういうモノに囚われずに、誰とも比較せずに、自分が幸せになる事だけに一生懸命になれば・・・きっと、世界は変わると思います。
どうして、人はそういうモノに囚われてしまうのかなぁ。
それは、パンドラが箱(壺って説もあるらしい)開けてしまったからでしょうか。
箱の中には「希望」だけが残っていたと言うけれど、その希望を掲げて人は生きて行けば良いのではないかなぁと、ふと思います。
誰かと比べる事なく、自分らしく、自分が幸せになる事だけ、考えて(勿論、それには、人を陥れてはいけないですけれど)生きて行けば良いのではないかと思うのです。
一つ、手放すと、手が空きます。
そうすると、また何かを手にするチャンスが生まれます。
それは、一つではないかもしれません。
一つ手放す事で、チャンスは、二つにも三つにもなるかもしれません。
それは、自分が執着していた何かから解き放されて自由になるから。
自由発想になると、新しいアイデアやチャンスが沢山沢山湧き出て来るから。
執着って、良い様で、ある意味とても怖い。
まぁ、この世の全てがそういう裏と表の顔を持ち合わせているのでしょうけれど。
自分に正直になれば、手放せる・・・。
そして、きっと、開けて来ると、私は思います。
虹って半円状態に見えます。
もしかしたら、本当は見えない部分で円状になっていて、地球の反対側でも虹が見えているのかななんて考えた事があります。
この地球は繋がっている、この空は繋がっている、この大地も海も、何処かで繋がっている・・・。
きっと、人も繋がっている。
きっと、自分が見上げた虹を、何処かで誰かも見上げている・・・。
先日の事です。
雨模様の空に一瞬だけ晴れ間が広がり、虹が見えました![]()
虹なんて、久し振りに見ました。
写真!写真!って時に限って、何も持っていなかったりします・・・。
でも、これって、自分の目で見る事、心に焼き付ける事って意味なのだと思い、虹が消える迄、ずっと見つめていました。
本当に、一瞬の出来事でした。
・・・虹には沢山の思い出があります。
私が虹を見る時は、自分にとって転機がある時。
大きければ大きい程、大きな変化がありました。
今回は、そんなに大きくなかったかな(笑)
ほんの虹の一部だったなぁ・・・。