「ドッペルゲンガー」ってご存知ですか?
実は、私、会った事あるんですよね、それに。
先日、何故かたまたま、「ドッペルゲンガー」の話になりました。
たまたま、霊の質問があって、その話をしていて思い出したのですが…。
昔、私は、自分がもう一人居たら便利なのに…何てよく考えていました。
例えば、ドラえもんやパーマンにそういう類が出て来ますが、とても羨ましく思っていた時期がありました。
選択肢が出た時、どちらも選べない自分、単に優柔不断だっただけなのですが、その当時はとてもとても悩み、苦しみ、ふと、もう一人自分が居たのなら、どんなに楽だったろう…等と考えたりしました。
今考えれば他力本願で、決断力が無い責任逃れでしかないのですが、そんな時だったと思います、自分自身に出会ったのは。
さて、その「ドッペルゲンガー」とは、
「生きている人間の霊的な生き写し」
を意味します。
日本語的には「二重の歩く者」
なのだそうです。
自分の姿を第三者が違う場所で見たり、自分で違う自分を見る現象があると言います。
自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、
「その者の寿命が尽きる寸前の証」
という民間伝承もあるそうです。
でも、私が会ったのは、もうそれこそだいぶ昔の出来事。
一応言っておきますと、私、生きています(笑)
ドッペルゲンガーは、
・周囲の人間と会話をしない。
・本人に関係のある場所に出現する。
と言う特徴があるそうです。
もしも、ドッペルゲンガーに遭遇してしまった場合は、どんな言葉でもいいのでドッペルゲンガーを罵倒すれば助かると言いますが・・・私は言葉を掛けませんでした(汗)
ちなみに、アメリカ合衆国大統領リンカーン、芥川龍之介、帝政ロシアのエカテリーナ2世等がドッペルゲンガーを見たという記録も残されていると言います。
自分の迷いが生き写しを創ってしまったのでしょうか。
私が見た時には、まさに「本人に関係のある場所に出現する」でした。
その姿を見た時に、「あ~、私だ」と思いました。
そして、どんなに目を背けても、見ない様に気付かない様にしていても、結局のところ、人生からも、自分自身からも、そして、真実から目を背ける事は出来ないんだなぁって感じました。
そして、何より、「ドッペルゲンガーの私」の方が正直で真っ直ぐじゃないぁって思いました。
本当の私、情けないじゃん、そのうち乗っ取られちゃううかもしれないなぁ何てふと思ったり・・・。
ドッペルゲンガーに出会って、気付かされた事が沢山あって、それ以来、その姿を見る事はありませんでした。
結局のところ、自分は一人でしかなく、(当たり前ですが)日々、一生懸命正直に出来る事をすれば良い、するしかないのだと気付かされました。
私自身に気付く様にと、私自身が会わせたのかもしれません・・・。
気付けば、もう一人自分が居たら・・・って考え方はしなくなっていました。
矛盾かもしれませんが、出会う事はそう悪い事ではないのかもしれないです。
真実から目をそらさずに、自分に正直に生きて行く事の大切さを教えてくれた存在かもしれません。
そして、私は、目を逸らさずに、「本人に関係のある場所に出現する」自分の場所に居ます。