「たまやー」
会場に集まっている十九万人の声が闇の中に打ち上がった火薬の光と共に打ち上がる。僕たち、介護者は障害者の子供たちの車を後ろで支える形で花火を観ていた。夜空に打ち上がる花火は形も色も大きさも様々で通常の大きな金色の色をまとった花火や赤、緑、青の三色花火、それにドラえもんの顔をした花火やハートマークの花火などが交互に打ち上げられていた。モリタは花火が打ち上がっても声を出さず、ただずっと花火を眺めていた。ひょいと顔だけモリタの方へ出して眼を見ると、そこには夜空に舞いあがっている美しき火花と同じものが映っていた。他の子供たちや、大人たちは花火が打ち上がるたびに奇声を上げたり、ばたばたと手足を動かしていた。おそらく、はじめて見る花火が何なのかわからず、とても大きな音と激しい光の連続で戸惑っているのだろうと僕は思った。
「さあ、最後の花火です。皆さん大きな声援をよろしくお願いします」
女性の職員の掛け声とともに最後の花火が打ち上がった。打ち上げ場である川の中心の特設会場では花火職人たちが大忙しで花火を打ち上げていく。赤、黄色、青、緑などの煌びやかな光沢のある色の火薬が次々と夜空に舞いあがった。
*
「ねえ、あの花火すごく可愛いわ」
と美紀が優しく呟くように言った。僕はそうだねと言い、美紀の右側の肩に右手をまわした。美紀の肩は、贅肉と言えるものがほとんどなく、僕の手が感じたのは彼女の着ているTシャツのわずかな温かみと痛々しい骨の硬さだけだった。
僕たちは川の近くで花火を見ていた。僕たちのいる場所から十メートルほど先の所には赤いプラスチックの柵があり、その中にはどうやら障害者の人たちがたくさんいるようだった。花火が打ち上がる度に大きな奇声が辺りに響き渡り、それを聞いた他の人の中には場所を移動する人たちもいるくらいだった。
「ねえ、何考えてるの?」
と彼女は僕の顔を下から覗きこみながら言った。僕はなんでもないよと温かみのある声で言った。
「うそ、絶対に何か考えてる。当ててみせるから少し時間くれる?」
と彼女はいたずらっ子のような微笑みをしながら言った。僕はいいよと言い、彼女の顔をぼんやりと眺めていた。彼女は、うーん、と言いながら頬に手をあてて考えを巡らせていた。僕はそうしている彼女を見つめながら頭の中で赤い柵の向こう側にいる人たちの事を考えていた。
気が付くと彼女が先ほどまであてていた手を膝の上に置いて僕の顔をじっと見つめていた。
「どうしたの?答えわかった?」
と僕は微笑みながら言った。
「うん、わからなかった」
彼女も微笑みながら優しい声で言った。僕たちは見つめ合い、そして微笑みあった。そして、僕はこう言った。
「本当は答えわかってるんでしょ?」
彼女は視線を地面に落として自分の靴の先っぽをぼんやりと眺めていた。
「うん・・・・。あの、赤い柵の事・・・・だよね?」
彼女は不安そうに呟いた。視線はまだ靴の方を向いていた。なんでもわかるんだね、と僕は言った。彼女は首を横に振り、ただ・・・・。とだけ呟いて話すのを止めた。
「ただ?」
と僕は言った。そして、僕は彼女の靴を急いで両手で掴んだ。彼女はびくっと体を震わせ、靴を掴んでいる僕の指の先から腕、そして顔、最後は目を順に虚ろげな目で追っていった。目と目が合ったところで僕は他の人には無表情に見える最小限の顔の微笑みで彼女に語りかけた。すると彼女は今にも消えてしまいそうなとても小さな小さな声で言った。
「あの赤い柵の、もっと言えばあの柵の向こう側の人たちのことだよね・・・・」
彼女は言ってはいけない一言を言ってしまった人のように、自分がとても悪い事をしてしまった人のような顔をしていた。僕は数秒間そんな彼女の顔を見て、その後に正解、と無機質な声で答えた。
「でも、決して君が悪いわけじゃないのに何でそんな顔をしているの?」
と僕は言った。
「それはわかっているの。でも、何か触れてはいけない事のような気がして・・・」
「んー、そうかも・・・ね」
と僕は冷静に言い、続けてこう言った。
「でも、それは君が優しいからだよ。この花火会場に来た何十万人の人たちはそんな事ほとんど考えてなんかいない。おそらく自分の周りの事で精いっぱいだと思うよ」
僕はできる限りの微笑みをして彼女の目を見た。すると、彼女は首を何度も振り僕の胸に顔を押し付けた。彼女の顔が当たっているところは少し湿った感触がした。そして良く聞くと嗚咽をしていて、僕の胸はどんどん濡れていった。僕は、彼女が落ち着くまで彼女の事を抱きしめ、ただ背中をさすっていた。
「本日の花火大会は終了いたしました。帰りは急がず気を付けてお帰り下さい。なお、各自のゴミは、会場の込み収集スぺースか、自宅まで持ち帰られますようご協力よろしくお願いいたします」
アナウンスの人が変ったようで、男性の野太い声が河川敷にごうごうと響いていた。おそらく、市長の声なのだろうと僕は思った。大勢の花火客が会場の一般出入り口である特設門から駅へ向かっていく。僕たちは、その波が出るのを待ってから出る段取りとなっていた。
ようやく彼女の嗚咽が止まり、彼女は僕の胸から顔を上げた。彼女の顔は涙で化粧が落ちていて別人のようになっていた。しかし、完璧な状態を維持しているいつもの彼女の顔よりも、今の不完全の顔の方が僕にとってとても魅力的に思えた。僕たちはその場で手をつなぎ、多くの人が会場から出ていくのをずっとずっと待っていた。
*
花火大会が終わり、僕たちは急いで自分たちの身の回りのゴミなどを片付けていた。介護にはいろいろな道具が必要となってくる為、一度外に出すと元に戻すのにとても時間を有するのだった。なので、先に一般の参加者が帰ってくれるのはとてもありがたい事だった。
そんな中、一組の男女数人のグループが酔っ払って大きな声を上げているのに気が付いた。どうやら大学生のようで皆けばけばしい茶色い髪をしていた。
「この赤い柵、マジ邪魔じゃねえ?」
大柄の男が大きな声で言った。他の大学生と思われる人たちも同調して邪魔だよねと笑いながら言っていた。
「てかさ、何で俺たちは花火を近くで見れなくてあいつらは見れんの?これって何の差別?」
「だよね。市民は皆平等じゃなかったの?マジ不公平なんですけど」とても派手な化粧をした女が甲高い声で言った。他の人たちも口がこれ以上開かないくらい大きな口を開け、大声で笑っていた。
「つかさー、この柵・・・・・檻みたいじゃね?」
小柄な男が言った。
「たしかにー、一種の監獄みたいだよね。じゃあ、あっちは囚人でこっちは一般人って事?じゃあ私こっちでよかった」
ここでもまた大きな笑いが起こり、彼らは少しふらついた足で入り口の方へ向かって行った。
「・・・・・・・・・・檻か」
僕は、その場で立ち尽くしていた。先ほどまであった心地よい気持ちはすべて砕け散っていた。そして、僕は柵を改めて眺めた。プラスチック製の弱弱しい柵でさきほどの人たちが本気で蹴ればすぐにでも壊れしまいそうな柵だった。つまり
誰でも入ろうと本気で思えば入れたんだ
僕は、そう考えるとここは楽園なんかじゃなく、ただの監獄であった事にようやく気がつかされた。だからこそ、一番端のこの場所に誘致されたのだ。考えれば考えるだけ僕にとって、障害者にとって、介護人にとってマイナスな情報しか浮かんでこなかった。世間では大変だね、素晴らしい仕事をしているねなんて言うけれど本音では厄介事を押し付けているにしかすぎないという事に改めて気がつかされた気がした。
*
僕たちは、花火会場から少し離れた公園のベンチに座っていた。お互い何も語らずただその場にいる事を楽しんでいた。
「ねえ、さっきあなたが何を言いたかったのか聞いてもいい?」
美紀は呟くように言った。自然は地面の方を向いており、僕の方を見る気配は全くしなかった。
「んー、いいけど特にたいした事じゃないよ」
僕はすねた子供をなだめるような声色で言った。いいのよ、聞きたいのと彼女は言った。
「あの柵を見た時に、やっぱり障害者の人達って気味悪がれているんだなあって思ったのが最初の感想だよ。確かにまだまだバリアフリーになっていない所が数多くあって危険もいっぱいあるのだろうけどあんなに端に集められていたら嫌でもそう思ってしまったんだ」
僕はそう言った後にこれでいい?と彼女に聞いた。すると、彼女は首を横に振りもう一つは?と聞いた。彼女の視線はいつの間にか僕の目をしっかりと捉えていた。僕は、覚悟を決めて力強く、しかし声色は弱く声を出した。
「なんだかんだ言って社会で尊敬されるにはお金が関わってくるんだなって思ったよ、正直に言うとね。やっぱり、社会っていうひとつの共同生活の中で尊敬されるには周りの人にどれだけ貢献したかで決まると思うんだ。そう考えると、国から補助金をもらってようやく生活ができる介護人、自分一人では周りの人に何か与える事ができない障害者の人たち。中には特別な才能を開花させて人々に感動を与える人もいるけれど、そんな人はごく一部でだいたいの人は無意識のうちにお荷物って考えられてるんじゃないかなって・・・・・。すごく悲しい考え方だし、ひどい考え方だとも思うけれど多分これが社会の現実なんだろうなって・・・・・」
「・・・・・なんだか悲しいね」
と彼女が小さい声で言った。
「そうだね。でも、お金っていう指標を作りだしてしまった以上、この考え方をぬぐい去るには皆が自分の事を最大限認めて他人の事も最大限認めるしか方法がないと思う。例えば、介護人の人とフリーターの人の給与が同じだったとして、介護人の人は多分フリーターの人よりも自分の方が無意識のうちに立派な人だと思っていると思う。でも、自分がそう考えてしまっている限り他の人にも無意識のうちに貶されているんだって事に気がつかないといけないんだ。だから、少なくとも相手に貢献したという一つの指標であるお金、つまり給与が同じ時は相手が法律に反している事を除いて素直にお互い頑張ってますね、もっと頑張りましょうねと認め合わなければいけないんだ。僕はそう思うよ」
彼女の方を見ると彼女はこくりと首を縦に振って私もそう思うと今まで一番小さな声で言った。そして彼女は空を見上げた。
「そういう社会になればいいね」
と彼女は夜空を見ながらそう言った。僕も夜空を見ながら彼女と全く同じ言葉を繰り返した。そして、僕は悟の言っていた事を思い出した。
〈花火大会の日に何かが起こる〉
確かに起こったよ悟。でも、それは僕自身の中にだったよ、と僕は心の中で悟に語りかけた。
夜空に輝く光のなかで・・・・・・・・完

