反骨精神・・・・出来そこないの上昇日記 -3ページ目

反骨精神・・・・出来そこないの上昇日記

出来そこないが描く日々の日記です。
たまに小説も書きます。
世間とは物事の見方のベクトルがずれているらしいので、こういう考え方の人もいるんだ!と多くの人に思ってもらえたらこのブログを書いている意味があるのかな、って思います。末長く見ていただけたら光栄です。

「たまやー」

会場に集まっている十九万人の声が闇の中に打ち上がった火薬の光と共に打ち上がる。僕たち、介護者は障害者の子供たちの車を後ろで支える形で花火を観ていた。夜空に打ち上がる花火は形も色も大きさも様々で通常の大きな金色の色をまとった花火や赤、緑、青の三色花火、それにドラえもんの顔をした花火やハートマークの花火などが交互に打ち上げられていた。モリタは花火が打ち上がっても声を出さず、ただずっと花火を眺めていた。ひょいと顔だけモリタの方へ出して眼を見ると、そこには夜空に舞いあがっている美しき火花と同じものが映っていた。他の子供たちや、大人たちは花火が打ち上がるたびに奇声を上げたり、ばたばたと手足を動かしていた。おそらく、はじめて見る花火が何なのかわからず、とても大きな音と激しい光の連続で戸惑っているのだろうと僕は思った。


「さあ、最後の花火です。皆さん大きな声援をよろしくお願いします」

女性の職員の掛け声とともに最後の花火が打ち上がった。打ち上げ場である川の中心の特設会場では花火職人たちが大忙しで花火を打ち上げていく。赤、黄色、青、緑などの煌びやかな光沢のある色の火薬が次々と夜空に舞いあがった。


「ねえ、あの花火すごく可愛いわ」

と美紀が優しく呟くように言った。僕はそうだねと言い、美紀の右側の肩に右手をまわした。美紀の肩は、贅肉と言えるものがほとんどなく、僕の手が感じたのは彼女の着ているTシャツのわずかな温かみと痛々しい骨の硬さだけだった。


 僕たちは川の近くで花火を見ていた。僕たちのいる場所から十メートルほど先の所には赤いプラスチックの柵があり、その中にはどうやら障害者の人たちがたくさんいるようだった。花火が打ち上がる度に大きな奇声が辺りに響き渡り、それを聞いた他の人の中には場所を移動する人たちもいるくらいだった。


「ねえ、何考えてるの?」

と彼女は僕の顔を下から覗きこみながら言った。僕はなんでもないよと温かみのある声で言った。

「うそ、絶対に何か考えてる。当ててみせるから少し時間くれる?」

と彼女はいたずらっ子のような微笑みをしながら言った。僕はいいよと言い、彼女の顔をぼんやりと眺めていた。彼女は、うーん、と言いながら頬に手をあてて考えを巡らせていた。僕はそうしている彼女を見つめながら頭の中で赤い柵の向こう側にいる人たちの事を考えていた。

気が付くと彼女が先ほどまであてていた手を膝の上に置いて僕の顔をじっと見つめていた。

「どうしたの?答えわかった?」

と僕は微笑みながら言った。

「うん、わからなかった」

彼女も微笑みながら優しい声で言った。僕たちは見つめ合い、そして微笑みあった。そして、僕はこう言った。

「本当は答えわかってるんでしょ?」

彼女は視線を地面に落として自分の靴の先っぽをぼんやりと眺めていた。

「うん・・・・。あの、赤い柵の事・・・・だよね?」

彼女は不安そうに呟いた。視線はまだ靴の方を向いていた。なんでもわかるんだね、と僕は言った。彼女は首を横に振り、ただ・・・・。とだけ呟いて話すのを止めた。

「ただ?」

と僕は言った。そして、僕は彼女の靴を急いで両手で掴んだ。彼女はびくっと体を震わせ、靴を掴んでいる僕の指の先から腕、そして顔、最後は目を順に虚ろげな目で追っていった。目と目が合ったところで僕は他の人には無表情に見える最小限の顔の微笑みで彼女に語りかけた。すると彼女は今にも消えてしまいそうなとても小さな小さな声で言った。

「あの赤い柵の、もっと言えばあの柵の向こう側の人たちのことだよね・・・・」

彼女は言ってはいけない一言を言ってしまった人のように、自分がとても悪い事をしてしまった人のような顔をしていた。僕は数秒間そんな彼女の顔を見て、その後に正解、と無機質な声で答えた。

「でも、決して君が悪いわけじゃないのに何でそんな顔をしているの?」

と僕は言った。

「それはわかっているの。でも、何か触れてはいけない事のような気がして・・・」

「んー、そうかも・・・ね」

と僕は冷静に言い、続けてこう言った。

「でも、それは君が優しいからだよ。この花火会場に来た何十万人の人たちはそんな事ほとんど考えてなんかいない。おそらく自分の周りの事で精いっぱいだと思うよ」

僕はできる限りの微笑みをして彼女の目を見た。すると、彼女は首を何度も振り僕の胸に顔を押し付けた。彼女の顔が当たっているところは少し湿った感触がした。そして良く聞くと嗚咽をしていて、僕の胸はどんどん濡れていった。僕は、彼女が落ち着くまで彼女の事を抱きしめ、ただ背中をさすっていた。

 「本日の花火大会は終了いたしました。帰りは急がず気を付けてお帰り下さい。なお、各自のゴミは、会場の込み収集スぺースか、自宅まで持ち帰られますようご協力よろしくお願いいたします」

 アナウンスの人が変ったようで、男性の野太い声が河川敷にごうごうと響いていた。おそらく、市長の声なのだろうと僕は思った。大勢の花火客が会場の一般出入り口である特設門から駅へ向かっていく。僕たちは、その波が出るのを待ってから出る段取りとなっていた。

 ようやく彼女の嗚咽が止まり、彼女は僕の胸から顔を上げた。彼女の顔は涙で化粧が落ちていて別人のようになっていた。しかし、完璧な状態を維持しているいつもの彼女の顔よりも、今の不完全の顔の方が僕にとってとても魅力的に思えた。僕たちはその場で手をつなぎ、多くの人が会場から出ていくのをずっとずっと待っていた。



 花火大会が終わり、僕たちは急いで自分たちの身の回りのゴミなどを片付けていた。介護にはいろいろな道具が必要となってくる為、一度外に出すと元に戻すのにとても時間を有するのだった。なので、先に一般の参加者が帰ってくれるのはとてもありがたい事だった。

 そんな中、一組の男女数人のグループが酔っ払って大きな声を上げているのに気が付いた。どうやら大学生のようで皆けばけばしい茶色い髪をしていた。

「この赤い柵、マジ邪魔じゃねえ?」

大柄の男が大きな声で言った。他の大学生と思われる人たちも同調して邪魔だよねと笑いながら言っていた。

「てかさ、何で俺たちは花火を近くで見れなくてあいつらは見れんの?これって何の差別?」

「だよね。市民は皆平等じゃなかったの?マジ不公平なんですけど」とても派手な化粧をした女が甲高い声で言った。他の人たちも口がこれ以上開かないくらい大きな口を開け、大声で笑っていた。

「つかさー、この柵・・・・・檻みたいじゃね?」

小柄な男が言った。

「たしかにー、一種の監獄みたいだよね。じゃあ、あっちは囚人でこっちは一般人って事?じゃあ私こっちでよかった」

ここでもまた大きな笑いが起こり、彼らは少しふらついた足で入り口の方へ向かって行った。

「・・・・・・・・・・檻か」

僕は、その場で立ち尽くしていた。先ほどまであった心地よい気持ちはすべて砕け散っていた。そして、僕は柵を改めて眺めた。プラスチック製の弱弱しい柵でさきほどの人たちが本気で蹴ればすぐにでも壊れしまいそうな柵だった。つまり

誰でも入ろうと本気で思えば入れたんだ

僕は、そう考えるとここは楽園なんかじゃなく、ただの監獄であった事にようやく気がつかされた。だからこそ、一番端のこの場所に誘致されたのだ。考えれば考えるだけ僕にとって、障害者にとって、介護人にとってマイナスな情報しか浮かんでこなかった。世間では大変だね、素晴らしい仕事をしているねなんて言うけれど本音では厄介事を押し付けているにしかすぎないという事に改めて気がつかされた気がした。



 僕たちは、花火会場から少し離れた公園のベンチに座っていた。お互い何も語らずただその場にいる事を楽しんでいた。

「ねえ、さっきあなたが何を言いたかったのか聞いてもいい?」

美紀は呟くように言った。自然は地面の方を向いており、僕の方を見る気配は全くしなかった。

「んー、いいけど特にたいした事じゃないよ」

僕はすねた子供をなだめるような声色で言った。いいのよ、聞きたいのと彼女は言った。

「あの柵を見た時に、やっぱり障害者の人達って気味悪がれているんだなあって思ったのが最初の感想だよ。確かにまだまだバリアフリーになっていない所が数多くあって危険もいっぱいあるのだろうけどあんなに端に集められていたら嫌でもそう思ってしまったんだ」

僕はそう言った後にこれでいい?と彼女に聞いた。すると、彼女は首を横に振りもう一つは?と聞いた。彼女の視線はいつの間にか僕の目をしっかりと捉えていた。僕は、覚悟を決めて力強く、しかし声色は弱く声を出した。

「なんだかんだ言って社会で尊敬されるにはお金が関わってくるんだなって思ったよ、正直に言うとね。やっぱり、社会っていうひとつの共同生活の中で尊敬されるには周りの人にどれだけ貢献したかで決まると思うんだ。そう考えると、国から補助金をもらってようやく生活ができる介護人、自分一人では周りの人に何か与える事ができない障害者の人たち。中には特別な才能を開花させて人々に感動を与える人もいるけれど、そんな人はごく一部でだいたいの人は無意識のうちにお荷物って考えられてるんじゃないかなって・・・・・。すごく悲しい考え方だし、ひどい考え方だとも思うけれど多分これが社会の現実なんだろうなって・・・・・」

「・・・・・なんだか悲しいね」

と彼女が小さい声で言った。

「そうだね。でも、お金っていう指標を作りだしてしまった以上、この考え方をぬぐい去るには皆が自分の事を最大限認めて他人の事も最大限認めるしか方法がないと思う。例えば、介護人の人とフリーターの人の給与が同じだったとして、介護人の人は多分フリーターの人よりも自分の方が無意識のうちに立派な人だと思っていると思う。でも、自分がそう考えてしまっている限り他の人にも無意識のうちに貶されているんだって事に気がつかないといけないんだ。だから、少なくとも相手に貢献したという一つの指標であるお金、つまり給与が同じ時は相手が法律に反している事を除いて素直にお互い頑張ってますね、もっと頑張りましょうねと認め合わなければいけないんだ。僕はそう思うよ」

彼女の方を見ると彼女はこくりと首を縦に振って私もそう思うと今まで一番小さな声で言った。そして彼女は空を見上げた。

「そういう社会になればいいね」

と彼女は夜空を見ながらそう言った。僕も夜空を見ながら彼女と全く同じ言葉を繰り返した。そして、僕は悟の言っていた事を思い出した。


〈花火大会の日に何かが起こる〉

確かに起こったよ悟。でも、それは僕自身の中にだったよ、と僕は心の中で悟に語りかけた。


夜空に輝く光のなかで・・・・・・・・完

 僕達は、人混みをかき分けていく係と各々担当の子の車いすを押していく係を分け、僕の担当はモリタの車いすを押す係だった。聖蹟桜ヶ丘の駅前まで車で移動し、そこからは車いすを押していった。


「すみません。車いすが通りますのでご協力お願いします」

先頭を歩くボランティアの男の子の声が街中に大きく響いた。ボランティアの男の子は、大学一年生の男の子で声が透き通っており、その声のような顔つきをしていた。雰囲気はおっとりとしていて介護人のような印象をうけるけれど、その部分とは違い、鋭い一面を垣間見せる事も時々あった。

ある日、彼がモリタと触れ合って遊んでいる時、子供のうち一人が彼の頭を固い固い金属製のロボットで殴った。にぶい音がして、音の報告を見てみるとそこには赤い液体がぽたぽたと木目の床に滴っていた。そんな時でもモリタは今どのような状況なのか全くわからなかった。厳密にいえばわからないようだった。ただ、自分の手にたったちょっとの衝撃が走ったという事実だけを認識できただけだった。モリタの目は爛爛と輝いていて、目の前の新しい出来事に感動しているかのようにも見えた。


僕は急いで男の子の前に駆けよった。彼は頭を押さえ、床に這いつくばるような形で倒れ掛かっており、唯一左手だけが頭を押さえていた。


「大丈夫か」

僕は、いつもの数十倍の大きさの声で言った。それはまるで隕石が地球に降ってきたかのような衝撃を思い起こさせるような声だった。男の子はそんな僕の声に反応せず、ただ必死に左手で頭を押さえていた。僕は、そんな男の子の状態を知るために、地面に頬を付け、顔を覗き込んだ。するとそこにはいつもの透明感のある顔はどこにもなかった。そのような状態でいつもの顔をしている方がどうかしていると人は言うかもしれない。でも、僕が言いたいのはそういう事ではなかった。何かもっと別の何かが表れていると僕は感じ取ってしまったのだ。それは透明感とは全く別の何かだった。

僕たちは車いすに乗ったモリタと一緒に進んでいた。


駅前の大通りは、多くの人がいるせいもあり、だいぶ歩きにくかった。普段では気がつかないような道路と歩道の交わる小さな段差や、あたりに散らばっているゴミの数々、さらには交差点で起こる人同士の激流などを避けながら進む事は障害者と介護人にとって、とても大変な作業だった。駅前の狭い歩道を超え、裏道へと入った。すると、そこでは更に歩道が狭くなり、道路の白線の内側を車いすを押しながら歩いた。そのような道を進むと、僕は昔行った津久井湖での釣りを思い出した。

 津久井湖では、陸がほとんどない為、釣りをする為にはボートを使わなければならなかった。しかし、僕はその当時お金が無かった為、数少ない陸を見つけるために一生懸命歩き回った。そして、その度に三井大橋を渡る事になった。その橋は、赤く挑戦的な雰囲気を醸し出しており、僕が百倍の大きさになったとしても大きいと感じるであろう、そんな橋だった。そんな橋の白線の内側は小柄な僕が足を狭めて歩行できるくらいの幅しかなく、車が通るたびに僕はびくついていた。僕は、その時なんでもっと広く作らないんだと怒りの感情を持ったものだけれど、いつの間にかそんな当たり前の疑問すら感じなくなってきている自分がいることに気がついた。今ある自分達の当たり前の環境は、一秒前まででしか当たり前ではなくて、後一秒後にはすでに時代遅れになっている。だからこそ人は抗い、自分の信念に向かって突き進んでいくのだと僕は改めて思った。僕にとっての信念は、世の中にもっと障害者のことを理解してもらい、全てのひとにとって住みやすい街を作ってもらうことだ。それはそう、絶対に良いことに決まっているのだから・・・。

 僕たちはやっとの思いで河川敷付近まで着く事ができた。僕たちは、車いす専用の通路を通る為、2つの赤いパイロンを黄色いひもで結んだものがある地点まで行き、そこを警備している警備員の方に証明証を見せた。警備員は証明証を見るとどうぞ、と言いながら黄色いひもをパイロンから外し、僕たちを通してくれた。そこから会場までは急な坂があり、車いすを押しながら下るのは危険な為、車いすを押す我々が先に行く形になって進んだ。車いすに乗る障害者の子供たちから見ると、景色がどんどん遠のいていくように見えるのだろう。そうして、その坂を一歩一歩慎重に降りていった。


「ダーダー」

坂を下っている時にモリタが逆走しているこの状況を楽しんでいるようで、大きな声を発していた。顔だけ前方を向いており、その笑顔は見ている介護人たちを幸せな気持ちにした。その坂道を乗り越えた僕たちは、障害者専用のスペースに向かって河川敷の道を進んだ。河川敷の道は舗装されていない部分が大半で土の上を動かすのは通常の何倍もの力が必要だった。それはまるで自分よりひとまわりもふたまわりも大きい人を押しているかのようだった。そしてようやく僕たちは会場に着いた。

 

 その場所は、一本の大きな道が開けているように川に沿って存在していた。大きなプラスチックの網目状の赤い柵が川側と陸地側を切り離しているようだった。僕たちは、その柵の一部ドア上になっている部分から川側に入り、所定の位置に着いた。他の障害者の人たちも集まっていて、そこは笑顔で溢れていた。介護人の人も楽しそうに障害者の人たちと会話をしたり、ゲームをしたりして楽しんでおり僕はその時、ここは楽園のようだと本気で思った。

 「よーし、今日は、花火が終わると同時にお客がたくさん来るはずだからいつもより多めに仕込みをするように」

僕は、店長がいつも言うセリフを少し変えて夕礼をした。はーい、とスタッフの声が店に響く。スタッフの人数は俺を含めて五人だった。最大三十人入る居酒屋にとって、普段なら十分すぎる人数だが、今日のような特別な日は何が起こるか分からないので多くの人に出勤してもらっていた。今の時間を確認すると、五時を少し回ったところだった。僕は、倉庫の野菜を見に裏に移動した。本日のおすすめの中にあるロールキャベツの為に仕入れたキャベツを取りに行く為だ。倉庫は一定の温度に管理されていてその時その時に入っている野菜の最適な温度に設定してあった。キャベツを痛んでいないか一つ一つ確認していると一匹の青虫がいることに気がついた。キャベツの中心より少し離れた所で小さくうねうね動いているその青虫はまだ小さく、子供のようだった。俺は、その青虫を慎重にキャベツから取り除き、倉庫の窓から優しく放り投げた。普段のスーパーで売っているものならば調理する時にお客さんが見つけてくれるのだろうが、実際に調理した物を出す場合にはこちらが最終確認を行わなければならない。そうしなければ実際に人の口の中に入ってしまうことになる。私生活では特に気にせず、キャベツに青虫が付いていても取ればいいと思うのだろうけど、この状況では決してそうではなかった。そういったことに最初は戸惑っていたが、今では平然と店の定めた厳しいルールに従う事ができるようになっていた。



 僕は、目を大きく開いた。そこには部屋の天井が存在を最大限主張していた。瞼を二回ほどぱちぱちと動かし、僕は鉛のような上半身をやっとの思いで起き上がらせた。


 辺りを見回してみると、どうやらそこは自分の部屋のようだった。僕は、体を反転させ、寝ぼけた頭で一生懸命時計のあるべき場所を手探りで探した。二回手を左右に振りながら伸ばした時、ようやく人差し指の先っぽが冷ややかな時計の金属部分に触れた。僕は時計を自分の方へ引き寄せ、ライトのスイッチを押した。薄く、ふわっと浮かび上がる番号を確認するとその時間は花火が始まる三時間前を示していた。僕は、先ほどまでの事が全て夢だったとわかり、今度はベットから降りて部屋の電気を付けた。部屋はいつもと全く変わらなくて、何もかもが普段通りだった。ベットの位置、冷蔵庫、テーブル、そしてサッカーチームのポスターと何もかもが変わらないままで、その場所一つひとつに誇りと個性を持って存在していた。

 

僕は歯を磨き、顔を洗ってベランダに出た。実家のベランダは三畳ほどの大きさで、そこには小さな木製の椅子とテーブルが置いてあった。僕は、その場所で風を感じながら物思いにふけるのが好きだった。椅子に座った状態で足をのせ、両足を囲うように手を伸ばした。僕は、大きく息を吸い込んだ。鼻と口両方を使ってこれでもかというくらい存分に大きく、大きく吸い込んだ。すると目の前に何かが通りぬけていくタンポポの綿のようなものがうっすらと見えた。僕は、それをじーと右から左へ視界から離れるまで息をするのも忘れるくらい見続けていた。



僕の尊敬する村上龍氏のエッセイ


「逃げる中高年、欲望のない若者たち」を買い、そして読んだ。






肉食系とか草食系とかそういうカテゴライズは好きではない。

ようは若者から欲望がなくなったのだ、欲望を欲する力を生み出す環境ではなくなったのだ


とそのように言っていた。




これには、大きく衝撃を受けた。


と同時に確かにその通りだと思った。




僕もカテゴリーをつくり、そこに人々をおさめ、認識しようとする事が好きではない。

人は、そんな簡単にわかるものではないし、絶えず変化するものだと僕は思っているからだ。



以前友人でオタクは人生で本当に楽しいモノを知っているから素晴らしいと言っている人がいたが、

あながち間違えではないのだろう。ただ、無知を否定するような言い方が含まれている気がしてあまり好きな表現ではなかったが。





人生において何かひとつくらいは趣味以外で欲望を貫き通すモノを得るべきなのだろう。

趣味以外と思ったのは、趣味は基本的には自分のためにするモノであって、他人のためにならない(社会の利益につながらない)場合もあるからだ。

例えば、散歩に幸福感を感じる。そして、お金を全く支払わない。他人とのかかわり合いもの無い。それにしか皆が欲望を感じなくなってしまったら、経済は破滅する。



しかし、そのような生活ができる環境づくり、つまり社会との距離を置き、自給自足をするのなら大賛成だ。それは生物としてある意味当たり前の生活をおこなっているし、社会という紙幣価値の存在しない空間に移動したならなら他人の為になるように価値のある物にお金を支払うという基本的な考え方は通用しない。




いかにしても、自分がやりたいと思い、そしてそれが他人を殺す、陥れるといった概念がなければ挑戦するべきなのだろう。それが今の人間社会だと僕はそう思う。




 その日、心地よい朝日が僕の顔に直に当たった。僕は、光の中から呼び起こされるように自然と体を起こし、部屋のカーテンを開けた。時計の針は午前七時を指していて、僕はいつも通り両手を大きく広げ、大きな伸びをした。


 今日の午後七時から河川敷で花火が打ち上げられる。僕はその為のスケジュールを今一度確認した。道路の幅、通過する時間、各々の体調とできる限りの事を行った。


「こんちはー」

と大きな声と同時にドアががらがらと大きな音をたてて開いた。ステンレス製の古いドアはサビついていて開ける度にがりがりと音を立てる。音の方向を見ると、そこにはこの施設のスタッフが三人、皆にこやかな笑顔でそこに立っていた。


「佐伯さん、今日はがんばって行きましょうね。俺、気合い入りまくってますから」

一番手前の大きな男の子が言った。ああ、そうだな、と僕は寝起きという事がわからないように冷静に言った。


「佐伯さんテンション低いですよ。もっと、元気出さないと今日乗り切れませんよ」

後ろにいた女の子二人が声をそろえて言った。全く同じ事を言った事に驚いて、二人で顔を見合わせた。そして、すぐにぷっ、と吹き出し三人はとても大きな声で笑った。



花火が打ち上げられる場所は、川の真ん中に作られた特設会場の上だった。私は、その会場が一望できる河川敷の上にある会場本部にいた。花火が打ち上げられる所に近い場所では水玉模様のようにぽつぽつとビニールシートが置かれていた。まだ花火が打ち上げられるまで時間があるが、実際に始まる頃には、河川敷全体がビニールシートに覆い尽くされ、まるでもう一つ別の川ができるようになるのだろう。


「んー、今日は絶好の花火日和ですね」

と男性が私の後ろでささやかに、元気良く言った。私は、その声に反応して、間後ろを向いた。そこには、恰幅のいいずんぐりとした男性が立っていた。頭は額の方から禿げあがっており、つややかな頭に太陽がここぞとばかりに光を注いでいた。その男性は、今年から就任した市長だった。何度か会った事はあるが直接深く話した事はほとんどなく、いきなり話しかけられた事に私は体を少し上下にぴくっと動かし、びくついた格好をとってしまった。それでも、私は緊張した内面を必死に隠すべく平常心を保っている自分を頭に描きながら市長に話しかけた。私の手には少し粘着質の増した汗がにじんでいた。


「あっ、市長おはようございます。本当にいい天気ですよね。ここまで天気がいいと、花火の成功を神様が願っているようにも感じてしまいます」

私は少し微笑んだような表情で言った。


「そうですね、皆が良い仕事をしてくれたおかげだと思います」

市長はにこっと大きく口を開け、幼く見える左右均等に生えている八重歯を見せた。その笑顔はとても自然だった。そしてとても若々しくエネルギーが溢れていた。しかし、私の中に何か蟠りのようなものを感じたのも事実だった。自然が不自然、不自然が自然。そのような事もあるのだろうか、と私は心の中で冷ややかに考えていた。ではまた後で、と言って市長は防災や警備を担当しているすぐ隣にある部署に向かって行った。後ろ姿からは先ほどとは全く違い、若々しさが全く感じられなかった。それはつまり市長にとっては自然が後ろで不自然が前なんだ、私は改めてそう感じた。

 

 私は、会場付近を歩いて回っていた。先ほどの会話が終わり、花火開始まで時間をもてあましたからだった。私は、市の職員で今年で勤労二十年目になる。今まで職員として様々な事に係わってきたが、花火大会の介護スペースの誘致の仕事は今年が初めてだった。というのも市の財政難でここ十九年間花火大会を行う事を民間に委託していたのだ。しかし、今年からは市長の影響力で再開する事になり、私はそんな中で障害者の誘致という仕事を任命された。しかし、普通に花火を再開してもインパクトにかける。そこで、障害者の方にも平等に美しい花火を見てもらい、バリアフリーに積極的に取り組んでいますよとアピールするのが目的の花火大会だった。今回誘致するのは約三百人の知的障害者と約七百人の身体障害者の人達、合計千人ととても大がかりなものだった。私はそれらを全面的に任され、東京にある介護施設、また関東圏内にある介護施設に次々に電話、そして訪問を繰り返した。そしてその期間は約一年にも及んだのだった。

 

介護者専用スぺースは川沿いに広がっており、それらは全て花火を見るのに最高の場所だった。

首を少し上げると今にも降ってきそうなはかなげな火薬の芸術が空に広がり、花火独特の爆発音、火薬の匂い、そして川の匂いが色々な所から入り混じって花火大会という雰囲気全てを吸収できる。そしてさ介護スペースのさらなる特色が特設のバリアフリートイレを百個ほど用意した所だった。それは、健常者たちが百人に一つのトイレという割合なのに対し、十人に一つ用意するという通常の感覚では考えられない数だった。しかし、その通常と言う感覚はあくまで私達の体が普通に、というか普通にと言われている状態を基本としており、障害者にとってみれば何の普通でもなかった。むしろ今の数が普通で、健常者にとっての普通は障害者にとっては異常なのだ。

 

世間一般の言葉を一つひとつ考えてみる。当たり前、当然、常識、もちろん、ルール、マナー・・・。考えてみればきりが無い偏見なる言葉の羅列。普段は気にならなくても、私たち一般の健常者と呼ばれる人たちは暗黙のうちに差別言葉を次々と使っている。そう考えると私たちは一種の神で、また悪魔なのだ。多数決という武器を使い、神と書かれているマスと悪魔と書かれているマスに次々と移り変わってこの世を支配しているのだ。そうならない為にはどうすればいいのだろうか。私は、神にも悪魔にもならない為には何をどうすればいいのだろう。私は、一体どうすればいいのだろう。暗い暗い先の見えない、道幅が人が一人しか通れない道をいつまで亘ればいいのだろうか。果たしてこの橋に結末はあるのだろうか・・・・・・。




・・・・・続く

 時計の針は朝の七時を指していた。モリタはすやすやとベットで心地よい寝息をたてて眠っている。モリタの寝顔は健常者と全く変わらない愛らしい姿なのに、何で世間一般の人たちは障害者のモリタを憐れむような目つきで見るのだろう。モリタは決してそんなことを望んでいないのに、と僕はいいかなる時でもその事を考えていた。

 

 しかし、そう思ってしまっている時点で僕もモリタのことを健常者ではなく障害者と思っていることに気がつき、自己嫌悪に陥った。自分の中にある天秤の中で健常者と障害者を秤にかけているようで、中心にいる僕はその重さを正しく測る事ができない哀れな神のようだった。介護人にとってこのように障害者を障害者として考えてしまう瞬間が一番堪える。僕はモリタの頭を丁寧に丁寧になでた。ごめんモリタ、と僕は呟き、窓の方に向かった。部屋のカーテンを開け、青空にわずかながらある雲の間から輝いている朝日を取りこむ。今までカーテンに締め切られ、闇に包まれていたグル―プホームに太陽の光がこれでもかというくらい暖かく充満した。僕はテレビゲームに登場するロボットのように、一瞬でエネルギーを充電し終わったかのような感覚におそわれた気がした。よしっ、今日も一日頑張ろう。僕は自分自身に気合いを入れてモリタを眠りの森から希望の光の下へ呼びこんだ。


「花火に行ける事になったの?」

美紀はとても嬉しそうな声で言った。


「そうなんだよ。他の人が入ってくれる事になったから」

僕もとても嬉しそうな声で言った。僕は、部屋のベットに寝転がって天井を眺めていた。


「やったね。私すごく楽しみにしてたから五郎に行けなくなったって言われた時とても残念に思ったの。私より仕事が大切なんだ、って思ったくらい」

と彼女は声のトーンを落とし、悲しげな声で言った。


「そんな事思ってないよ」

と僕は慌てて言った。額から数本の冷や汗がぽたぽたと順を追ってこぼれ落ちた。


「冗談よ」と彼女は微笑ましく言った。


「じゃあ、当日の集合何時にする?」と彼女は続けて言った。


「んんー、そうだな。じゃあ、六時に駅に集合ってのはどう?」


「いいわよ。じゃあ当日は浴衣着てくね」

と彼女は言った。僕は、すごく楽しみにしてるよ、と言って僕は電話を切った。僕は、ベットから起き上がり、冷蔵庫の中からコーラを取りだしてそれをコップに移して飲んだ。コーラをコップに注ぐ時にも音がしなくて、飲んでみると炭酸がだいぶ抜けていてお世辞にも美味しいとは言えなかった。


全部で六畳ほどの僕の部屋には、冷蔵庫とテーブルとベット、それに応援しているサッカーチームのポスターと高校時代に買ったゲームが数本あるくらいしか物がなかった。僕は普通の人と違って青春時代まで物にあまり興味がわかなかった。その証拠に部屋にあるポスターもゲームも人に勧められて買った物で、自分から進んで買った物ではなかった。今ではお金は欲しいし、豪華な家にも住みたい。そのような人として当たり前と言われている欲求を持ってはいるけれど、あの当時はそう言った物欲はほとんどなかった。その理由は今でも全くわからない。


僕は、視線を飲みかけのコーラに移し、コップのそこにわずかに残る小さな気泡をじっと眺めていた。一つひとつ小さな泡が下から上に浮かんで消えていく、僕はその繰り返しを飽きずに何度も何度も見続けていた。しばらくすると泡が完全に無くなり、コーラはただの黒い砂糖水になった。僕は、その黒い液体を見ているとなんだかとても不思議な気持ちになった。頭の中心がじーと重くなり、そこに意識を集中させるとそこには美紀がいた。その中の美紀はとても美しく、いつも会っている美紀とは何かが決定的に違っていた。頭の先から足元まで僕はじっくりと美紀を見つめた。今まで付き合ってきた全ての時よりも真剣に美紀を見つめ続けた。しかし、何が違うのかは全くわからなかった。僕にとって一番大切な人であるはずなのに、何かが違うという事しかわからなかった。その時、ふと天井に何か染みのようなものが浮き上がってくるのが見えた。それは水玉のような、小さなつぶつぶとした丸い黒い模様だった。まるで居酒屋の天井にある模様のようだった。油がじっとりと染みこんだような黒い色をしており、普通の家に出来るような染みではない事は確かだった。目を開け、実際に天井を見てみるとそこには確かに小さな染みが一つだけ存在を小さく小さく主張していた。僕にはその小さな染みがとても気になったけれど、ふとさきほどまでの美紀の事が頭の中に浮かんだ。僕は、頭の中でさきほどまでいた所に意識を戻したけれどそこに彼女の姿はなかった。僕は無意識に寝ていたであろうベットから起き上がり、部屋全体を見まわした。でも、結局彼女の姿はどこにも見当たらなかった。その部屋に残されたものは小さな小さな染みだけだった。



・・・・・続く


個人的に応援しようと思える唯一の政治家




さっきテレビで管総理との答弁を行っていたかお






松田公太さんの話し方は何よりわかりやすい。

明瞭簡潔に話すことができる。このことも経営者に求められる資質の一つだと改めて思ったぼー





片方は質問される側、片方は追及する側、その事を前提として考えた時、ひとえに「管だめだな。グタグタじぇねえか」とは言い切れないものもある。


でも、やはり国のトップとして位置する総理大臣としてはもうすこし毅然とした、頭の切れる姿を見せてほしいのもまた事実である。

 悟からの不思議な予言電話の翌日、僕は働いている居酒屋に向かった。自宅から居酒屋までは電車で約三十分の距離である。約十年通い続けた道は、僕の体に染みついており、何時何分に電車が来るのか時刻表を見なくてもわかるようになっていた。


僕は電車を降り、通いなれた道を背中を丸めて地面を見ながら歩いた。地面はほとんどアスファルトで加工されていたけれど、道路と歩道の間にあるわずかな隙間からは力強く雑草がにょきにょきと体を力いっぱい太陽に向かって伸ばしていた。おはようございます、と言って僕はいつも通り店の暖簾をくぐった。その時、この頃よく店に入る時に思いつく疑問が頭に浮かんだ。この店では早番でも遅番でも常におはようございますとあいさつをする。他の居酒屋はどうなのか、もっと大きく考えて他の飲食店はどうなのか、さらに大きく考えて全ての店ではどうなのか、答えなんてないんだろうけどそんなどうでもいい事を僕はついつい考えてしまう。


「おう、おはよう」

と店長が言った。小波は客席から見える厨房の所で仕込みをしていた。とんとんと包丁が一定の音を刻み、何かを切り分けていた。何か野菜のようなものだったけれどここからはよく見えなかった。僕はもう一度おはようございます、といいながら制服に着替える為に厨房の奥にある従業員専用の部屋に向かった。僕は、部屋に入ると、着ていた青いチノクロスで作られたパンツを脱ぎ、そして上に来ていた無地の黒いTシャツを脱いだ。パンツ一枚になった自分を考えると何だか滑稽でしばらくこのままでいたい気もしたけれど僕はいつも通り仕事着を着て、厨房に向かった。


「五郎、ちょっといいか?」

店長が大きな声でホールの方から呼んでいた。僕は、慌ててホールへ向かった。その途中で床に転がっていたキャベツの切れはしを踏んでしまい、転びそうになった。そのすぐ近くのゴミ箱を見てみると大量のキャベツの芯が入っていた。どうやら、さきほど店長が切っていたものはキャベツのようだとわかって僕はほっとした。なんですか、と僕はゆったりとして口調で言った。店長は薄くなった髪の毛を左手で掻きながら右手にはシフト表を持っていた。そして、シフト表から視線を僕の方に移すと満面の笑みで僕を見た。今まで何千回、何万回と客に見せた結果できたであろう、目じりの笑顔皺が綺麗にできていた。僕は、そんな作り笑顔なのか本心からの笑顔なのかわからない店長の顔をじっと見ていた。

「今度の花火大会の日お前シフト入ってたよな?」

と店長が言った。

「そうですね」

と僕は言った。その日は彼女と花火を見に行くつもりだったのだけれど、人が少ないからと無理やりシフトを入れられた日だった。


「その日なんだが他のやつが入ってくれる事になったからお前休んでいいぞ、よかったな」


「本当ですか?」


「ああ、本当だ」

店長の目尻にまたいくつもの綺麗な皺がよった。


「ありがとうございます」と言って、僕も目尻に皺をよせた。

その後の僕はいつもの十倍くらいのテンションで仕事をこなした。かつてないほどの笑顔、目尻の皺もきっと増えたのだと思う。いつもより大きい声で客を迎え、そして送り出した。そうやって閉店時間を迎えた。おつかれさまです、と言って僕は店を後にした。そしてさっそく美紀に電話をかけた。


 プルル、と電話が繋がる前の音が聞こえてきた。数十秒待ったけれど繋がらなかったのでメールで詳細を送って携帯電話をズボンのポケットにしまった。


僕は行きと同じ道を歩いた。背中を丸め、下を見ながら行きよりも慎重に歩いた。道路は行きよりも硬く感じた。きっとアスファルトが昼間は溶けて柔らかくなっていたのだろうと思ったけれどそんな少しの気温差で変わるわけないな、とすぐに思い直した。道路に映る明るさが気になり、僕は視線を下から前に移した。すると、辺りは人工的な光でけばけばしく照らされており、僕は激しい嫌悪感に襲われた。そしてその光から逃げるように足早に駅に向かって歩いた。しかし、その途中で一つの雑草が目に入ってきた。それは道路の間から生えているとても小さな猫じゃらしだった。本当に小さな猫じゃらしだった。今まで見た事もないような猫じゃらしなのだ。僕はその猫じゃらしから目が離せなくなり、その場にしゃがみこんだ。しばらく僕はその猫じゃらしを見つめていた。周りを通り過ぎていくサラリーマンたちからの白い視線が僕の背中に浴びせられたのも気にならなかった。三十分も経過すると僕は猫じゃらしなんじゃないかという気がしてきた。僕も道路に生え、生きる事だけに集中しようと思った。世の中の偏見や思い込みなど気にせず自由に生きている猫じゃらしになりたいと本気で思った。しかしその時、先ほどまでその場に生きていただけの猫じゃらしが激しく揺れ始めた。大きく大きく揺れ始めた。本当に大きく大きく揺れていたのだ。僕は、その奇妙な揺れが気になり揺れている方向とは別の方向を見た。するとそこには同じような形をした四階建てのビルが左右均等に数件並んでいた。僕はその揺れの原因に気が付いた瞬間、無意識のうちに猫じゃらしを道路の端から抜き取った。跡形もなく抜き取った。僕の手には先ほどまで生きる為だけに生きていた猫じゃらしの姿があった。しかし、そこにある猫じゃらしはもう生きるためだけにある猫じゃらしでは無くなっていた。そして、僕はそこでもまた激しい嫌悪感に襲われた。僕は、猫じゃらしを殺してしまったのだ。ただ、生きているだけに生きている、生きる事を目的としている一番素晴らしいモノを殺してしまったのだ。僕は、行き場の無い思いを自分自身に押し当てた。そうやって体の中で生きる事が目的のモノを殺そうとしたのだ。でも、殺せなかった。僕の中にそんなモノはなかったのだ。僕はまた自分がわからなくなった。僕はその思いを内面に留めておく事ができなくなり、頭を掻きむしった。日常で当たり障りのないように掻きむしった。その手を頭から離すとさきほどのせいで抜けた髪の毛が目に入ってきた。僕は、それを見てほっとした。僕の中にも生きる事が目的のモノがあったのだ。僕は、その髪の毛を猫じゃらしがいた所に置いた。そして猫じゃらしもその髪の毛に重ねるように置いた。僕は、その姿を見て心底安心して駅へ向かった。




・・・・・続く


僕は、周りからあまり理解されないけれど自ら好んで居酒屋の店員になった。営業中に様々な悩みを酒の力を借りて放出する人たちと接するのはとても好奇心をくすぐる仕事であったし、自分は働いている、という雰囲気を全開にするには自分には合っていないような気がしていたからだった。


しかし、僕も三十歳という節目の年を間近に迎える事で正社員に就かなければいけないという雰囲気を家でも職場でもひしひしと感じる事が増えてきている。家では、両親に小言を言われる事が増えたし、職場では店長から正社員への誘いが年を追うごとに増えてきた。僕は結婚しているわけではないし、食べていくのには全く困っていなかったけれど、社会的な安定を求めなければいけない年になってきた事を嫌でも感じさせられていた。二十代前半の頃は感受性も一部分に特化していてある特定の分野では誰にも負けない感受性を発揮する事ができたけれど、全体を通じてみるとかなり未熟なモノだったと今では思う。周りの人が耐えられず出している危険信号、周りの人が自分に発している危険信号、そして自分が自分に出している危険信号にも疎く、電車に乗っている背広を着たおじさん達が何故あんなにも深刻な表情でいるのか全く理解できていなかった。そうした人たちは自分を自ら苦しい環境に追い詰めて生きている賢くない人たちなんだとずっと思い続けてきた。


しかし、二十代後半になり少しずつ体力や集中力、外見などいろいろなものが衰えを感じてくるようになると今まで思っていた自分だけの無敵の世界が音を立てて崩れていくのだった。昨日までは誰にも負けない自信のあったモノがいつの間にか負けていて、しかも自分では到底追いつかない状況にまで追いやられている。そんな状況が翌日も、また翌日も立て続けに起こり続けると人間という弱気生き物は皆深刻な顔をして、安定というおそらく地球上どこを探してもない安易な言葉にすがって生きるようになってしまうのだと思った。


「五郎、お電話よ」


一階にいた母親が言った。母の声は少ししゃがれていて、母の声を聞くたびに僕は海を連想する。僕は二階から一階へ階段をゆっくりと下りていった。僕の家は築二十年の古ぼけた一軒家で、階段を降りる際にぎいぎいと階段が木の網目同士で殴り合っているように悲鳴を上げる。僕にとっては何の不自由もないこの階段も、もうすぐ還暦を迎える両親たちにとっては何物にも代えがたい悪魔なのだろうと思う。そのような日常の些細な所からくる重大な不自由さを全く口に出さない両親を僕は誰よりも尊敬している。僕は階段を下りて右側にある電話の方へ進み、受話器を手に取った。もしもし、と僕は言った。


「おう、五郎。元気か」

受話器からは黒板を爪で引っ掻いたような声が聞こえてきた。


「悟。一体どうしたんだ?お前から電話なんて珍しいじゃないか」


「俺だってたまには電話するさ。今日はいい話を持ってきたぞ」

悟は電話先でにやりと微笑みながら言った。悟はよくメールでいい話があると僕に知らせてくれていた。しかし、その大半は法に触れるであろういかがわしいメールで僕はそのほとんどを無視していた。それでも、悟との縁を未だに切る事ができていないのは幼馴染で昔からの付き合いという事が大きいのだろう。それほど年月を長く共にしたという事は僕にとって大きい事だった。


「そんな事言ってまた変な商売の話かなんかだろう、僕はそういうの興味ないよ」

僕は、ため息をついて、とても残念そうな雰囲気で言った。


「まだ何も言っていないだろ。まあまあ、そう早くから結論を出すなって。昔からの悪い癖だぞ」

確かにその通りで、昔から僕は早くから決めつける事が多かった。でも今はそんな事は少なく、悟の場合は特別早く反応しているだけに過ぎなかった。だいたい、開始数十秒で話しの骨子が見える相手なんてそういるものではない。


「んじゃあ何の話なのさ?」


「それはな・・・・・」

悟は、電話先で口ごもっていた。


「もうすぐ聖蹟桜ヶ丘の花火大会があるだろ。あれ一緒に行かないか?」

僕は、あまりにも予想外の話に数秒間固まってしまった。その間にも、悟のもしもしという声が受話器越しに何度も何度も繰り返し聞こえてきた。


「もしもし、五郎聞いてるか?冗談だよ冗談。何で俺がお前と一緒に花火大会に行かなきゃならないんだよ。本題は別」


「なら最初から本題を話せよ」


僕は、少し鋭い口調で言った。

「そう怒るなって。でも、マジな話し」

さきほどまでのおどけた雰囲気からがらっと変わり、重い雰囲気に変わった。悟は、普段はおちゃらけているけれどたまに真面目な口調で話す時がある。その時の話は僕にとって必ず悪い知らせが舞い込む時だった。


「お前・・・・・・・花火大会の日に何か起こるぞ」

悟はそう言うと唾を一滴飲み込んだ。僕も同じように唾を一滴飲み込んだ。


「何かって・・・・・・・・一体何さ」

僕も真剣な口調で聞いた。

「それは、わからない。でも、何か起きるよ。そう、俺の第六感が告げている気がするんだ」


「気がするって、お前それは曖昧すぎじゃ」

と僕が言ったところで受話器越しに男性の野太い声が聞こえてきた。


「悪い、今バイト先なんだ。じゃあ、まあ今度な」

そう言って悟は電話を切った。

 

 僕は受話器を耳から離し、それをじっと見つめていた。〈花火大会の日に何か起こる〉、その言葉が相手のいない受話器から永遠と繰り返されている気がして僕はしばらく受話器を離す事ができなかった。


「五郎、もう電話終わったの?」


 母親の声が台所の方から聞こえ、僕は反射的に受話器を元に戻した。終わったよ、と僕は一言だけ母親に言い、階段を今度は足早に駆け上がっていった。僕は、部屋の扉を閉めると部屋の真ん中に縮こまった。体育座りのような姿勢を取り、両手で耳を塞いだ。それでもまださきほどの呪文のような言葉は永遠に頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。



・・・・・続く

「アーアー」


今日もモリタは大きな声で同じ言葉を繰り返していた。僕は、そんなモリタの微妙な感情の違いを顔の表情、声の表情から見つけ出し、的確な作業を行う。どうやら今の声は、食べ物を欲しているらしい。僕は、急いで部屋の左奥にある冷蔵庫に向かった。小さな青い冷蔵庫には子供たちが張ったシールがいくつも張ってあった。冷蔵庫を開け、中段から細かく液体のようにどろどろにしたご飯とシチューを用意し、モリタの口へ運んだ。モリタの口の近くにご飯をスプーンで運んでやると大きな口を開け、一生懸命にご飯を飲みこもうとしていた。

「アーアー」

 モリタは、同じように言葉を繰り返すが表情がさきほどと打って変わり、満面の笑みでこちらを振り向いてくれる。そんな表情豊かなモリタを僕は愛らしく見つめていた。


一通り介護を終えると、僕は事務作業に取り組むためにパソコンに向かった。パソコンは冷蔵庫と対称の位置にあった。僕は、モリタの前を通り、パソコンの前にある椅子に腰かけた。その椅子は、小学校にあるような木製の椅子で座布団があるだけの簡素な作りの椅子だった。パソコンにスイッチを入れ、僕は介護者、介護人に対するバリアフリー、給与のアップを目指すべく提案書の作成に取り掛かった。ふと、パソコンの斜め右上にある時計を見ると針は午前三時を指していた。僕は、首を二回大きく回した。そして、深呼吸をし、パソコンにもう一度向かった。



僕が介護人を目指したきっかけは、とある日の公園での出来事がきっかけだった。

その日、おばあちゃんとその孫であろう幼稚園児くらいの男の子が遊んでいるのを見かけた。その男の子とおばあちゃんはボールを投げ合って遊んでいた。その一回一回の動作がお互いとても真剣で、いつもは全くそんな事のない僕が珍しく目を奪われてしまった。僕がベンチに座り、二人を眺めていると、男の子はゴムでできた黄色サッカーボールを一生懸命追い回していて、おばあちゃんは僕と向かい側のベンチに座り、それを遠くから見るような眼でじっと見つめていた。やがて、一時間もすると男の子はボールを持って公園から出て行ってしまった。しかし、おばあちゃんはそのまま公園にあるベンチに座り続け動く気配は全くなかった。もしかしたら近所にいるお年寄りの方が子供と遊んでいてだけなのかもしれない。でも、僕は何故だか不審に思い、おばあちゃんに話しかけることにした。


僕は、ベンチから重い腰を上げ、一歩一歩おばあちゃんのいるベンチに向かって進んだ。足を踏み出す毎に公園に敷き詰められた砂利の群衆達がこすれ合い、聞き心地の良い音がした。僕が、おばあちゃんの前まで行くと、下を向いていたおばちゃんがゆっくりと僕の方を向いた。目は虚ろで僕を見ているのか僕という背景を観ているのかわからなかった。さきほどの男の子はお孫さんですか?、と僕は聞いた。しかし、おばあちゃんは何の事を聞いているのか全くわからないようで少し首をかしげただけだった。僕はもう一度同じ事を尋ねた。すると、おばあちゃんは言葉をようやく理解できた様子で表情がぱっと明るくなりすみません耳が遠いもので、と言った。


「彼は、私の息子です」

とそのおばあちゃんは続けて言った。えっ、と僕は聞き返した。しかし、おばあちゃんも繰り返した。

「はい、ですから彼は私の息子です」

そう言うおばあちゃんの目には何の迷いもなく、まっすぐに僕という存在を捉えていた。僕はそうですか、仲がよさそうで羨ましいです、とだけ言ってその場を足早に後にした。少し歩いて公園の出口に差し掛かった時に振り返ってみると先ほどまでいたおばあちゃんの姿はもうそこにはなかった。


僕は、家に帰ってからもあの公園の事を思い出した。夢の中でなんども繰り返して見たあのおばあちゃんの表情、目の奥底にあるにごり、男の子楽しそうな顔、全てが自分の中に一度に刷り込まれているかのような感じをうけた。まるで自分の頭の中の一つの引き出しをあの男の子が楽しそうに勢いよく開け、その中に詰まっていたモノがホースから出る大量の水のように勢いよく頭の中を駆け巡ったようだった。




その時、僕は不思議と介護人にならなければならないと思った。言葉だけで表現しようとすると世にも奇妙な現象で周りに理解もらえるような表現はできないのだけれど、僕の六十兆ある細胞の中の何%かが激しくそうなる事を渇望し、そうならなければ自らの生命に終わりを告げる事を僕全体、つまり六十兆個の細胞に指令を出したという事なのだと僕は思っている。そういった事は僕に限らず、他の人にも当然あるのではないかと僕は思う。大人になると少ないのかもしれないけれど、何かを理由もなく無性にやりたくなる事が子供時代には誰にでもあったのだ。お人形さんごっこやカードゲーム、ドッチボール、ペットの飼育、よく思い出せば一日くらい熱中したものは誰にでもある。僕の場合はそう思った事が他の人より長く続くだけ、実行力があるだけに過ぎない。これらの話が理由の説明になったのかはわからないけれどこうして僕は介護人になる事に決めたのだった。






・・・・・続く