十二月大歌舞伎

念願の坂東玉三郎さんの阿古屋を
観てきました

歌舞伎シネマでは観たことがありましたが
実際に観たのははじめて。
人生で一回は観たいと思っていた演目なので
本当に感動しましたニコニコ

阿古屋のまま三曲を奏でられるか

 玉三郎が『阿古屋』を初演したのは平成9(1997)年1月の国立劇場。父、十四世勘弥に言われて20歳で琴、三味線、胡弓の三曲を仕上げたものの、「やれないと思っていましたから」、急に上演が決まりびっくり。監修の六世歌右衛門からは、「弾き過ぎないでね、と言われました。弾き切って役を忘れないように、という意味だと思いました」。以来、10度勤め、「せりふもサワリも一緒ですが、成駒屋さん(歌右衛門)は重忠をときどき見ますが、私はひたすら景清を思って弾くことにして、見ないことにしています」。

 

 女方の大役といわれる阿古屋。しかし、玉三郎は「主役の相手となる女方は、どんな小さな役でも大変」と言います。「その役と思わせるだけの雰囲気を醸し出せるかが大変で、阿古屋の場合は奏でる、ということをしながら役になるのが大変」。景清を思う阿古屋という役になるなかに、三曲を弾くという技術的な要素が入るので、「阿古屋のまま、奏でられるか。二つのことを同時にできるかが大切です」。

 

玉三郎が語る『阿古屋』

想像で役をつくれなければ俳優ではない

 美声の女方で楽器の演奏も得意とした十二世仁左衛門が「三味線を立派になさって」、六世歌右衛門が「替手(別旋律)を弾くようになった」ので、ますます演じる人を選ぶようになった阿古屋。「私はすぐに、(重忠に)三味線やめ、って言ってもらいたいくらいです」と、その難しさを冗談めかして語った玉三郎。

 

 豪奢な衣裳で花道を出たときの阿古屋の雰囲気、大きさには独特なものがあります。そして、重忠たちに、景清の居所を言えと責められます。「知らない、と言葉で言っても信じてもらえない。源平の合戦に関わってしまった傾城の心。それを、想像でつくっていくことができなければ、俳優じゃない。想像できることが大事」と、玉三郎。「阿古屋はなぜ奏でさせられたか、知らないと思うんです。奏でたら、そこに儚さ、虚無感といったものが聞こえたんでしょう。しかも、『蕗組(ふきぐみ)』の歌詞をとり込んで知らない、ということを言う。それを瞬時に考えられる知性のある女です」。