青春の翳 | 遅咲きの桜

遅咲きの桜

遅咲きの桜に自分を重ね、心に寄り添ながら、人の想いを叶えるお手伝いを生業にしていきたい。

 最近、中国のポップス軽音楽、C-POPが気になって聞くようになった。

 

 聴いているのは、少し古い曲が多いのですが、今日は、「小幸運」という曲を知りました。

 

 この曲は、台湾の映画「我的少女時代 -Our Times」の主題歌ということで、配信されている映画を観てみました。

 

 中国語は分からないけど、英語の字幕を観ながらなんとなく内容は理解できました。

 

 友情という関係を持たない学生だった私には、経験したことのないことなのでうらやましい気持ちになりました。

 

 青春時代の恋愛・友情を描いた台湾の映画が結構あることを知り、中国語を勉強してみようと思いました。

 

 高校生の頃の私は、大して努力もせずに部活でも学業でもよい成績を残していたこともあって、妬まれていたのかもしれません。

 

 高校2年の時に女の子から好きな人がいないなら付き合ってくださいと言われて、自分から気持ちを伝えることはない好きな人がいるので断ろうと思ったけど、彼女の勇気には応なければならないと考えた。

 

 私は、彼女と友達として付き合うことにしたのだけど、すぐに、友達面した同級生らから「好きでもないのに付き合うのは彼女に悪いだろう」「異性と友達なんかになれるわけがない」等の中傷があった。

 

 最高の教師で鵜久森さんが言っていた「無自覚に人を傷つけるような人間」はいつの時代にも存在するということなのだろう。

 

 気にしなくてもいいことなんだろうけど、彼女にも悪影響が及ぶであろうから、一緒に帰ったりするように、外形上付き合っているという形を解消することにした。

 

 それから数ヶ月後に、別の女の子から手紙をもらった。

 

 私は、自分にできなかった勇気を振り絞っての行動に応える義務があるはずなのだけど、うまく説明することはできないので、好きな人がいると本心を伝えて、とてもかわいらしい女の子の心を傷つけてしまった。

 

 高校3年の体育祭・文化祭が終わった頃、友達のように話のできる女の子と仲良くなった。

 

 二人で神社祭の日に会って、話をしていて本当に友達になれるんじゃないかと思え、これまでに私に気持ちを伝えてくれた女の子にも友達になってほしいと伝えようかと考えはじめていた。

 

 でも、あの日二人で歩いた通りで見た交通事故の処理作業。それは、私の友人が命を落とした交通事故だった。

 

 私の心は閉ざされた。それから、仲良くなった女の子とも話せなくなってしまった。

 

 あの時代に人の思いに応えることができなかったからなのだろう。その後、勇気を出して女性に自分の想いを初めて伝えたけど、まったく相手にもされず、聞く耳さえもってもらえなかった。