伊香保のお土産の旅がらすはパッケージにぐんまちゃんが描かれていた。

 あら、可愛い。

 

 群馬の銘菓旅がらすは、もらって嬉しいお土産のひとつだ。ちょいと珍しいお菓子だと思う。

 ゴーフルのような普通のクリームサンドはよくあるお土産品だし、なんなら風月堂のゴーフルの方が美味しいが、旅がらすはちょっと違う。鉱泉煎餅(炭酸煎餅)にクリームが挟まれているのだ。

 鉱泉煎餅自体、その辺で売っているわけではないから嬉しいし、間にクリームがあるのも楽しい。




 炭酸の温泉水で作られるこのお菓子、私は鉱泉煎餅と呼び、炭酸煎餅とも聞くけれど、なんという種類のお菓子なのだろう?

 一口に「匂わせ」と言っても様々なものがある。

 同時期に同じお店をチラ見せしたりたり、さりげなくお揃いアクセサリーを見せ関係を匂わせる男女。学校名は隠しつつ制服は見せていたり、さりげなく校章が見えるようにしていたり、特徴的な門のところで撮っていたりと、子の進学先や在学校を写真で匂わせる親。

 どれも微笑ましい限りである。

 

 こうした数ある「匂わせ」は基本的には微笑ましいとしか感じないのだが、衝撃を受けたこともないではない。

 そろそろ時効だと思うので、そんな衝撃的な経験を書いてしまおう。

 それは、校章ネイル、つまり子どもの合格した(通っている)中学校の校章をネイルアートしているママとの遭遇である。

 私にはかなりの衝撃だったのだが、私が知らないだけでよくあることなのかもしれない。なぜなら、時と場所を変えてふたり遭遇したから。

 ひとりは、とある会場でたまたまご一緒しお隣に座っただけの知らない人であり、もうひとりは習いごとが一緒で、同じレッスンを取れば世間話をする顔見知り程度のママであった。

 

 たまたまご一緒した方の人の両手の爪(中指だったか人差し指だったか)に描かれたのはクロスしたペン。周囲の人に見えるよう、意識して振る舞っているようだった。私がちらっと目を向けると見せるように指の向きを変えた。

 え?もしかして何か言ってほしい?

 「お子さん、すごいですね

とか?でなければ

「校章をネイルしているんですか?」

とか?

 

 習いごとが一緒のママは片手の薬指のネイルアートが見覚えのある幾何学模様。さらにその模様について触れてほしいであろう雰囲気が漏れている。

 「あ、受験終わったんですね。おめでとうございます。親孝行ですね」

と言うと 

 「ありがとうございます。そうなんですよ。ネイルしちゃいました」

としっかりと見せてくれた。

 いやいや、見せられてもこれ以上なんと言えば?

 「優秀ですね!」

と言ってほしいの?

 「あら、どこの校章なのですか?」

とでも聞いてほしいの?

 

 

 

※画像はお借りしています。

 雑誌記事です。

 

 どちらの場合にも、分かっていて敢えて学校の名前を言わなかった(おそらくいちばん触れてほしかったはず)私は、少々意地が悪いのだろうか。

 

 それにしても、感性が謎過ぎて理解できない。どうして恥ずかしくないのだろう?

 分かる人にしか分からないから、さりげないつもりなのかもしれないが、またそれが逆に嫌らしくはないか。

 「嬉しいよね。自慢したいよね」

と微笑しくも思えなくもないけれど。

 

 大学生がスクールリングをしていたり、憧れの学校の校章入りグッズを子どもが持っていたりするのとはなんだか違うんだよね。

 

 さて、こちらは娘のお土産のテディベアである。

 

 

 「アメリカの学生ってすごく母校を愛しているよね」

 

 ちなみに娘の通う大学はここではない。遊びに行ったときに

 「話のタネに」

と買ったらしい。

 ということで、これは「匂わせ」はありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 娘のお土産のシーズニングのもう片方。

 



 茹で卵にかけると美味しいと言っていたが、まずはサラダに使おう。

 

 水菜の部分に振りかけておいて、その上からオリーブオイルで作ったドレッシングもかけた。

 

 パスタはバジルソースにハムとズッキーニとえのき茸。

 



 なんだかGreenの食卓になった。

 

 ちょうど4年前に書いた記事があがってきた。

 

 結婚生活を振り返ってみると、彼から離婚を切り出されるまで一緒に過ごしたことが、我がことながら本当に不思議である。

 こんな風に何度も何度も一緒に生きていくことに疑問を感じてきたのに。

 

 離婚を切り出されるまで一緒に過ごしては来たけれど、積極的に一緒にいたいとは思ったことはなかった。

 彼の懇願で彼のもとに戻ったけれど、当然全くの元通りの気持ちなど持てない。一度裏切った人間をその前と同じように信頼することなどできない。

 

 「一度目の騒動で悲しませた両親にさらに心配を掛けたくない」

とも思った。

 「子どもたちに苦労を背負わせたくない」

とも考えた。

 

 けれど、安定を捨てシングルマザーになる覚悟を持てなかったのもまた事実。

 期待値が低いからこそ、別れを真剣に考えるほどの憤りは感じないまま、ずるずると楽な方に流されていた。

 

 身勝手で自己本位な彼から、子どもたちを守れると信じていた。

 守っているつもりだった。

 

 本当のところはどうだったのだろう?

 「我ことにおいて後悔せず」ではあるのだけれど、子どもたちに関わることだけに、自分の選択について一生考えてしまう気がする。と言うより、一生背負っていかなくてはならないと思う。過去は変えられないのだけれども。

 

 

 今年も妹から干物のお裾分け。とろさば開きと真ほっけ開き。

 これ、美味しんだよね。

 嬉しい。

 

 どちらから食べようか。

 

 息子のリクエストでまずは鯖。

 「特大」と書いてあるが、まさに特大。380gあった。

 ふたりで分けても十分大きい。

 

 骨のある側を息子に。

 私って母の鏡だわ。

  


 とろさば開き

 南瓜の煮もの 

 大根と胡瓜の浅漬け

 とうもろこしご飯

 小松菜とえのき茸のお味噌汁