さてさて炎上の件である。

 莫迦莫迦しい。

 

 確かに遊郭は性の搾取かもしれない。人権の侵害かもしれない。

 遊女は皆借金で縛られていたし、下級遊女が悲惨だったのも事実だ。

 けれど、最高格の遊女が美と知性と教養の頂点にいたことも、吉原や新町や島原が当時の日本文化の到達点であったことも、遊女の髪型や着こなしが女性たちに取って憧れの対象であったことも、厳然たる事実だ。遊女でありながら、簡単には枕を交わすこともできなかったのもまた事実だ。

 彼女たちを哀れみ遊郭の正の側面を否定することは、たとえそれが作り上げられた虚構の世界であったとしても、その中で精一杯生きていた彼女たちへの冒涜だと思う。

 

 そもそも現代の日本の感覚でものを言うのがおかしい。

 

 あの時代、口減らしとして女の子たちは親に売られた。親が死んでしまっても売られた。

 遊郭に。商家に。豪農に。

 遊郭に売られた子だけが悲惨だったわけではない。商家に売られた子もまた同じ、一生下働きで自由になるお金も時間もなかった。

 それでも女の子の方がまだ殺されることはなかった。もちろんお金になるからである。

 男の子は女の子より殺された。高く売れないから。跡取りが必要なら、また産めばいいのだから。

 

 生きられることを価値があることとするなら、売られた子はまだましなのだ。

 妊娠すれば流された。生まれてすぐに間引かれた。幼いうちに捨てられた。

 親に運よく殺されなくても、飢饉があれば大勢が亡くなった。

 いい、悪い、ではない。ただの事実。

 社会全体が貧しかった時代の貧しい地域の真実。

 

 それでもなお、日本ほど庶民が文化的に豊かに暮らしていた国はない。

 舞台芸術も音楽も絵画もヨーロッパでは王侯貴族だけの楽しみであったが、江戸時代の日本では全て庶民のものでもあった。

 旅をすること、美女と名高い遊女の浮世絵を買うこと、芝居小屋に行くこと、算術で遊ぶこと、本を読むこと、絵を描くこと、お花見も花火見物も長屋暮らしの庶民が当たり前のようにしていたのが日本の江戸時代だ。

 だいたい大名の子が、世継ぎではないとはいえ、身請けした遊女を側室にできたのは日本くらいではないか。(酒井抱一のことである)。藩主に身請けされそうになって、恋人を想う句を詠んで殺された遊女もいる(これは史実だったか、創作だったか)。

 そんな国だからこそ、日本では革命が起きなかったのだと私は思っている。

 

 江戸時代の遊郭が悪なら第二次世界大戦後に占領軍であるアメリカ軍人のために作られたRAAはなんなのだ。

 敗戦国の女性だからといって当然の権利のように一般の女性を蹂躙するアメリカ軍人も、軍人のための慰安施設を要求するアメリカも、一般女性を守るためだからと言われるがままに慰安施設を作る日本政府も、江戸の遊郭よりよっぽどおかしい。

 これも現代の感覚だから、おかしいのだろうか。

 それとも、戦争に負けるということは今なおそれを許すということになるなのだろうか。

 

 閑話休題。

 

 中途半端な知識で非難する暇があったら、もっと文献を読み、実際に浮世絵を見るといいのに。

 せっかくこれほどの文化遺産があるのだ。

 味わわなければもったいないではないか。

 また近いうちに同じような企画展をやってほしいと切に願う。

 

 事前に買える電子チケット、便利。