『彼岸花が咲く島』をGWに再読。

 あらためて凄い小説だと感じる。



 それにしても、この小説を初めて読んだときの衝撃をなんと説明すればよいのだろう。

 

 男性による暴力的な政治を捨てた南の島。

 日本から追い出され、島に流れ着いた人々とその後に台湾から流れ着いた人々が葛藤の末に選んだのは、女性原理が支配する社会。それは、男性による戦いの歴史と「日本語」を封印し、歴史の語り部たる女性だけのもの「女語」とした、新しい形の社会、一種の理想郷だ。そこで話される言語「ニホン語」はかつての日本語と台湾の人々が使っていた台湾語から生まれたクレオールである。

 そして日本。

 外国人と外国語を排除した排他的な社会。そこで話されるのは「ひのもとことば」である。それは、第二次世界大戦中に英語を排除したように、中国からもたらされた漢字と漢語を排除し、漢語は「やまとことば」に置き換え、どうしても言い表せない言葉は世界の共通言語に近いと言える英語で言い表された新しい形の日本語だ。

 

 島で日常語として使われている漢字と中国語交じりの「ニホン語」。

 島に流れ着いた少女が使ってきた日本の言葉、ひらがなだけで表される「ひのもとことば」 

 島の女性だけが習うことを許される歴史を伝えるためだけの言葉「女語」(これこそが、私たちの知っている日本語なのであるが。

 それらの造形が秀逸である。

 

 理想郷のような島の作られ方に関する説明や日本の描写があまりなく、想像するしかない。

 けれど、三種類の「言語」に圧倒される。

 そして三人の子どもたち(日本から漂着した宇美、島の女の子で宇美とともに島の語り部であるノロとなる游娜、女性だけが歴史を知ることができ言葉を学ことができるという掟に疑問を持つ拓慈)描写で物語に信憑性が生まれる。

 

 漢字とひらがなとかたかなという三つの書き言葉を持ち、漢語と外来語と大和言葉という三つの成り立ちの言葉を持つ日本語。

 日本語を母語とする私たち日本人はその特殊性に気付くことは無い。 

 台湾に生まれ中国語を母国語とし、かつネイティブ並みの日本語力を持つ李琴峰さんだからこそ、書き得た物語だ。

 

 最近この小説がイタリア語訳されていることを知った。

 いったいどうイタリア語で表現されているのだろう?

 非常に興味がある。

 残念ながらイタリア語は数の数えかたと挨拶くらいしか分からないのだが。