あの日、私は年少さんの息子とスーパーにいた。幼稚園にお迎えに行った帰りだった。
初めて経験する揺れだった。
棚から下がっている陳列商品が書かれたプレートが尋常じゃいほど揺れた。積んである缶詰や野菜も揺れた。揺れたけれど、何ひとつ崩れることがなく、揺れの中すごいなと感心した。
ひとりパニックになっている若い男性がいて、店員さんがその人に優しく話しかけていて、そちらにも感心した。
とうとう大地震が来たのかとかなり冷静に考えていたのを憶えている。
息子もそれほど動揺することはなかった。
後で聞くと
「お母さんが普通だったから安心だったもん。あとお兄さんが大騒ぎしていて地震よりびっくりした」
と言っていた。
当時一軒だけ残っていた電気店の店先にはTVがあった。その前を通って家に帰るときに見たのがあの津波の映像だった。
え?なに?
大変なことになっているのでは、と感じたのはこのときだった。
家に着くとマンションのエレベーターは止まっていた。息子は楽しんで上まで昇ったのが救いだった。
玄関ーリビングはかなりの惨状だった。玄関の鏡が外れてドアのとってに当たり割れていた。
食器棚の扉はロックしていたから開かなかったけれど、中で下に折り重なったティーカップやコーヒーカップや切子のグラスが割れていた。
キッチンの上の扉が開いてしまい小麦粉と砂糖と塩が散乱していた。
とりあえずガラスだけさっと片付けて娘を小学校に迎えに行った。
東北が大変なことになっているという情報が少しずつ入って来た。
共同通信の記者をしている知り合いからは、映像からひとつひとつご遺体を消す処理をしたと聞いた。
日常を失ってしまった人たちが大勢いる。
亡くなった人、大切な人を失った人、今でも戻れない人、今なお家族を探している人……
胸が傷む。
ついこの間のことのようなのに、今の小学生は6年生さえ生まれていない。あの子たちにとっては東日本大震災も完全な過去だ。
悪いわけではない。
ただ、伝えていかなければならないと思う。
どうか少しでも安らかでありますように。
ご冥福をお祈りいたします。
誰かに何かを渡せる人でありたい。