『京都寺町三条のホームズ』について、もう少しだけお付き合い願いたい。

 

 もうひとつ、本当にかなりがっくりしたものを挙げたい。

 それは『義経千本桜』の解説の間違いである。この『義経千本桜』というのは『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』同様、もともとは文楽(人形浄瑠璃)として作られたもので、合わせて三大名作狂言と言われる。つまり、とてもとてもとても有名で愛されてきたものであり、大切に上演され続けてきたものなのだ。

 

 さて、主人公の葵とホームズさんは南座の顔見世興行に行く。

 そこで観た演目のひとつが『義経千本桜』であった。

 作品中で葵は「義経の話ではなく、義経を慕って義経に化けている源九郎狐が主人公。義経が吉野山に匿われていることが頼朝に露見し、捕まりそうになるが、源九郎狐がそれを阻止しようと奮闘する話だ」と言う。さらに「忠信と義経と源九郎狐をひとりで演じる」とある。

 

 いやいやいやいやいや。

 何をどうしたらそうなる?

 Wikipediaだってもう少しまともである。

 

 確かに『義経千本桜』には義経はそれほど登場しない。けれど根底にあるのは頼朝に追われる義経の物語だ。そこに壇ノ浦(歌舞伎の中では壇ノ浦ではないけれど)で海に沈んだはずの平知盛、維盛、教経が実は生きていて義経を討とうとする話が絡む。さらに義経を恋い慕う静御前と両親を慕う子狐の物語も加わる。勇壮で幻想的で哀切な作品である。

 

 そもそも、そもそもだ。

 子狐は義経ではなく義経の家臣である佐藤忠信に化けている。

 さらに子狐が慕うのは義経ではない。子狐が慕うのは義経が後白河法皇から賜った初音の鼓だ。だからこそ鼓を形見として受け取り持っている静御前を守る。

 初音の鼓の皮は実は子狐の両親狐のもので、親恋しさに子狐は忠信に化け、鼓に付いていくのだ。

 事情を聞いた義経は小狐を不憫に思い、鼓を授ける。鼓をもらった子狐は義経を助ける。

 

 狐忠信は猿之助、静香御前は児太郎。


 猿之助。

 すごい跳躍力だ。


 狐忠信はやはり猿之助、静香御前は芝雀


 狐忠信を中心とした物語は本当は上に書いたような筋だからはっきり言って誤りだ。が、それでもよしとしよう(百歩どころか1万歩くらい譲ってだが)。

 けれど平家一門の復讐譚が全てないことになるのはいただけない。だってそれがこの狂言の世界だよ。場面も半減してしまうよ。

 廻船問屋の渡海屋の主人に身をやつして平家の再興を目論んでいた知盛はどこへ消えた?

 維盛の出家の物語である鮓屋の段はどうなった?

 僧に姿を変え義経を狙った教経はどこへ行ってしまった?

 どうして、狐と義経と頼朝の話だけになった?

 

 「どうして」と書いたが、なんとなく理由は想像できる。

 おそらく作者は自分が参考にした(「観た」ではないだろう、観たなら狐が化けているのが義経だとはいくらなんでも思わないだろうから)『義経千本桜』が『義経千本桜』の一部だけであることを知らず、それが『義経千本桜』だと思い込んでしまったのだ。 

 川連法眼館の段だけか、または狐忠信を中心とした抜き出しのものか、とにかくそれを一作品の全てだと思ってしまったのだろう。

 現代において歌舞伎は全段通しで上演されることは少ないということを知らなかった故の誤りだ。

 それにしたって「忠信はどこへ行った」だし「平家の復讐はどこへ消えた」だが。

 作者はこの子狐がなぜ「源九郎狐」という名になったのかも分かっていないだろうなあ。

 

 何を資料としたらそんな間違いが書けるのだろうか。

 大好きな『義経千本桜』だから余計腹立しく、大人気なくつらつらと書いてしまった。

 失礼。

  余談であるが『義経千本桜』はアクロバットあり、宙乗りありで初めて歌舞伎を観る人も楽しめると思う。


 さて、こんな風に三度にもわたって『京都寺町三条のホームズ』について書いたのには間違いが多過ぎる以外にも実は大きな理由がある。

 作者が

 「『拙くても勉強不足でも嘘だけは書かない』と心に誓って書きました」

と書いているからなのである。

 「嘘は書かない」のではないの?

 

 嘘だらけなのに気付かないのだろうか。

 だとしたら、勉強不足などと言っている場合ではなく、嘘を書いてしまっていることに気付く程度には勉強してもバチは当たらないと思う。

 

 だいたい商業出版する書籍について「拙い」「勉強不足」と言い訳をするのは読者に失礼だ。

 (まさか、謙遜ってことはないよね?)

 拙いものしか書けないならば勉強不足ならば、それをテーマに書くべきではないと私は思う。

 自分の書いたものを公にするという行為は、自分の書いたものに責任を負うということだと思っているからだ。

 

 文章は拙くても下手でもまだいい。

 ライトノベルでしかもミステリという読書に馴染みのない層でも手に取りやすいジャンルの作品だからこそ、嘘と間違いだけは書かないでほしいものである。