先日色々と書いたの『京都寺町三条のホームズ』、なんだかんだとKindle unlimitedで読めるところまで読み切ってしまった。それなりに面白いのだもん。
でもね、やっぱり間違い探し、なのだと思うのだ。
仕事がら、添削したくなる。
まずは言葉。
「髪をそよぐ爽やかな風」→「爽やかな風に髪がそよぐ」
「見事に描かれた石庭」→ ええと。困った。「石庭には見事に山水が表現されていた」かな?もしくは「見事な石庭」
その続きの「まだ寒い季節を最大限に生かされた、美しい庭」→「寒い季節ならではの植物を最大限に生かした美しい庭」
「美味しくて目尻が下がる」→ううむ。「目尻が下がる」のは綺麗な女の人ににやにやするときかなあ。美味しいときには使わない。何度も繰り返し出てくるけれど。
「大学にエスカレートで行く」→ 「大学までエスカレーターで進む」「エスカレート」って「だんだん程度がひどくなること」なのだが。
「元京大院生」→「京大の大学院を出ている」「京大の修士課程を出た」じゃないと中退したみたいよ。
大学の「図書室」→ 京都府大だよね。図書室ってことはないでしょう。小学校じゃないんだから。図書館でしょう。
「素晴らしい代物」→「なかなかの代物」「代物」には「素晴らしい」という意味があるのだよ。
「華道の生花」→「華道の花」でいい。「刺身の造り」と同じ間違いだ。
和歌の間違い。
「君こひし 寝てもさめても くろ髪を 梳きても 筆の柄をながめて」→ 「ながめても」だよ。そうでないと意味が通らないし、字足らずだ。この後に歌の解釈を書いているのに、気付かないのは何故?与謝野晶子が泣く。
固有名詞。
「東京国立美術館」→ そんなものは存在しない。東京国立博物館はあるし、国立西洋美術館と国立新美術館ならあるが。
「備前長船住近景が手掛けた刀」→「住」は人名じゃない。「備前長船の刀匠である近景」よ。備前長船の刀匠は大勢いる。
ついでに、鞘からさっと抜いて刃と鞘(桔梗紋入り)だけ眺めて特に鞘を見て鑑定しているが、鞘を見ても刀匠が誰なのか分かるわけがない。刀匠は鞘は作らない。それに拵は見ないのだろうか?鍔とか目貫とか小柄とか笄も大切よ?柄は見ないの?刀がよいものならそれに見合った拵のはずだもん。あとね、本当は刀は白鞘に入れて保存しているはず。「鞘に桔梗紋」だから「明智光秀から拝領した」っていうのもあまりにも安易だと思うし。
「家宝の青磁」→ 「青磁」は固有名詞じゃないよ。単なる青い磁器だよ。せめて「元の龍泉窯の青磁」とかそういったことを書かないと、家宝にならない。
これはいつかの東京国立博物館。
大好きな場所のひとつ。
ふうう。
まだまだあるが…この辺りで一旦おしまい。
私って意地悪だな。
でもまあいいか…私のブログだしね。
他の本にも間違いなんて溢れている。
でもこの本が特に気になるのは、間違いが多過ぎるのもあるけれど、それ以上に「元京大院生で古今東西の美術に通じ教養深い鑑定士見習い」を中心にした話だからだ。そんな彼が語る蘊蓄が間違っていたら、お話が崩壊してしまう。
教養のある人を大勢出して京の骨董品店を舞台にするなら、書く方にもそれ相応の知識と教養がなければならない。
知らないなら調べればよいのだ。
小学生だってよく知らない事柄や曖昧な言葉は調べて作文を書く。少なくとも私も私の周りもそうだった。我が子たちもまた然りだ。
調べても理解できなかったら、ちゃんと誰かに相談して消化するか、難しければそれに触れるのを諦めてほしい。
曲がりなりにも「作家」で商業出版本なのだから。
こんなに間違いだらけなのはもったいない!
あれ?それともやっぱり間違い探し、なのか。