佐竹本三十六歌仙絵巻の断簡の隣には上畳本三十六歌仙絵巻の断簡まであった。小大君だ。

 上畳本は初めて目にした。

 この小大君、とてもとても愛らしい。

 色もとても鮮やか。

 こちら、個人のものなのだろう。よく貸し出してくださった。本当にありがとうとしか言いようがない。

 

 この絵のあった場所は空いているので、一度見て、先を見て。

 また戻ってきて、と数回見た。

 それができる幸せを噛みしめながら。

 

 幸せついでに願ってみた。

 いつか、三十六歌仙絵巻が全て揃って展示される日が来ますように。

 斎宮女御の断簡の実物が見られますように。

  

 斎宮女御(朱雀天皇の斎宮、娘の規子内親王が斎宮となったときにともに伊勢にくだった方)
 「ことのねに みねの松風 かよふらし いづれのおより しらべそめけむ」
 これは生きているうちに実物を見たい。

 

 さてさて、佐竹本の断簡は違う場所にもあった。

 源信明と東京国立博物館所蔵の壬生忠岑だ。

 こちらももちろん貴重だし美しい。

 

 源信明 (『みなもとのさねあきら』と読みます。光孝天皇の曽孫です)

 「こひしさは おなじこころに あらずとも こよひの月を きみみざらめや」

 

 壬生忠岑

 「はるたつと いふばかりにや みよしのの やまもかすみて けさはみゆらん」

 

 何度目かに小大君と小野小町の前に戻ったとき、同世代くらいの女性3人組がいた。

 「あら、これ何?」

 「百人一首の絵じゃない?小野小町って書いてある」

 「さすがね。よく知っているわあ」

 「それほどでもないわよ。小野小町って聞いたことあるでしょ?」

 「こっちは小大君だって。これも百人一首の絵?」

 「多分そうよ」

 「綺麗ねえ」

 

 ええと。どこから突っ込む?

 うん、綺麗なのには同意する。

 いやいや百人一首って。

 小野小町は確かに百人一首に選ばれているけれど。

 

 「さすが」じゃないですって。

 謙遜してる場合ではないのですよ。

 

 ちゃんと「三十六歌仙」って書いてある。

 せっかく展示を準備した学芸員が書いたのだから見よう。

 歌も違う。ここの歌は「いろ見えで うつろふものは」よ。

 百人一首の小野小町の歌は「はなのいろは うつりにけりな」だよ。

 

 知らないのは仕方ないけれど、よく知らないことをぺらぺら話すのはやめたほうがいいと思うの。

 大人が恥ずかしいよ。

 知ったかぶりはやめたほうが自分自身のためよ。

 自戒を込めて。