今日は私がかつて愛した(今でも心の奥底で慕っている)早霧せいなさんのお誕生日だ。

 毎年毎年バースディカードを選んだ。

 心を込めてメッセージを書いた。

 宝塚歌劇団在団の頃も卒業後もお誕生日に間に合うように会宛てに出した。

 今年は出さない。

 出せない。

 もちろん伝手を辿ればなんとか出すことはできると思う。

 けれどそれはできない。

 きっと彼女は望んでいないだろうから。

 

 ちぎちゃん、どこかで今、あなたが幸せでありますように。



 なんて、三日月を見ながら感傷的になっていたら、2年前に私が書いた記事が上がってきた。

 腹立たしいことは数々あったが、その最たるできごとはこのメールを受け取ったこと。

 腹が立ちすぎて立ちすぎて、冷静になるのに時間を要した。

 

 

 ふざけないでいただきたい。

 妻のそして子どもの人生をいったい何だと思っているのだろう?

 妻も子もあなたの人生の脇役ではない。

 自分の人生の主役なのだよ。

 それが分からないのなら、初めから家族など持つべきではなかったのだ。

 

 そういう男だと見抜けなかった私もいけないのだけれど。

 

 元夫がいまだに私の愛した生まれ育った土地に住んでいると思うとたまらない。

 自分のマンションを買って自分好みにレイアウトして住んでいるのにもかかわらず、どうしても元の土地に未練がある。

 愛している場所だからという理由ともうひとつ、縁もゆかりもない彼がそこに自宅も会社も持っているからというのもある。

 私と子どもたちは離れなければならなかったのに。

 どうして全ての原因を作った張本人の元夫だけが、いまだにそこにいるのか。

 

 やはり私は、いつの日か、帰る。

 必ず。