「ネタバレ禁止」「感動の物語」「紙の本でしか出せない」とかなり話題になっていた『世界でいちばん透きとおった物語』をご存知だろうか?
これだけ評判がよい本、読まない手はない。
せっかくなので一切の情報を遮断した。文庫の裏表紙のあらすじは読んだが。
ううむ。
面白くなくはない。それなりに心も動くし、まあよくできたミステリと言ってもよい。
ライトノベルの読者や東野圭吾の文章を抵抗なく読める層には、読みやすい文章と分かりやすい感動ストーリーが受けるだろう。
電撃小説大賞出身だからそれでいいのか。
さて、この小説、著名な大衆推理小説家の隠し子(と言っても皆そのことを知っている)である若い男性、燈真が父親の死後幻の小説である『世界でいちばん透きとおった物語』を探すというのがあらすじである。
燈真の持つ障害というか特性が「世界でいちばん透きとおった」という言葉の肝となるのだが、私はかなり早い段階でどのような意味なのか気付いてしまった。というかその特性が引っかかり、「世界でいちばん透きとおった」という言葉で示されるものと「紙の本」と「電子書籍」の差を意識的に考えたときにそういうことかと思いいたり、不自然な言葉遣いがあったことを思い出しその箇所に戻って確信しててしまったというべきか。
もちろん仕掛けが分かっても物語としてそれなりに楽しめた。父の残した小説を探していく中で、奔放な女性関係を持ち派手で好きで自分と母親を捨てた男だと思ってきた父親の自分への親としての愛情に気付いていく過程とそれに伴って変わっていく彼の心情はすっと心に入って来た。
また校正者であった母と一緒に仕事をしていた編集者である霧子さんへの淡い想いも可愛らしかった。
だがしかし、である。
純粋に物語だけを追った場合、ストーリーもだが、どうにも文章が稚拙なのだ。
読書好きで少し背伸びをするような子なら、小学校高学年でも同様の感想を持つだろう。
仕掛けに気付いたきっかけの不自然な部分というのは、本当に読み始めて早々2ページ目である。母親が仕事のパートナーである女性の前で高校生の息子に「燈真くん」と話しかけたことだ。一瞬
「え?文が下手?それとも馬鹿?」
と感じ
「いやいや、編集の人がいて校正があるはず。あるなら訂正が入るはず。ということは何らかの意図があるはず」
と思い直し
「ああ。記述問題の字数を整えるのと同じか」
と思いいたった。そして字数を整える必要があることの意味を考えたのだ。
それでも文章が不自然にならないよう、努力してはいるとは思う。
私が言葉に妙にこだわるから引っかかる部分が多いと言われればそうかもしれない。
ただ、1箇所だけどうしても納得いかない部分がある。
言葉遣いではない。
物語の最終ページのそれ、必要?
作者は「してやったり」と思っているのだろうか。
そこに関して褒めているレビューもたくさんあったが、理解できない。
そうする意味はないでしょう。
唐突に現れるそれは不自然でしかない。
それ、なかった方が謝辞を捧げられた「A先生」感心したと思うのだが。