「思考は言語によって作られる」
私はそう考えている。
漠然としたもやもやとした考えのようなものは、言語化できたとき初めて思考と言えるのでがないか。
抽象的思考能力はその人の言語能力による。
とすると、である。
どの国の言語も未熟で母語と言えるものを持たない子どもは思考することができるのだろうか?
そのまま大人になってしまったら、年齢相応の思考力が育つのだろうか?
抽象的思考ができるようになるのだろうか?
私は難しいと思う。
Australiaに留学していたとき「semilingual」という言葉を知った。
「いくつかの言語を使うことができるが、その全てが未発達でありどの言語でも抽象的思考のできない状態」のことだ。
なんだかこの言葉も差別用語とされているようで「double limited bilingual」というべきらしい。
言葉はこの際なんでもいい。
とにかく、こういう状態の子どもがいるのは間違いない。
小学校6年生の1年間だけ一緒だった同級生Yちゃんがそうだった。
Yちゃんの国籍は香港(当時)。父親は香港出身で母親は北京の人だそうだ。そして両親と父親の祖父母(広東出身)と来日、両親は中華料理店を経営していた。
彼女は小学校1年生から6年生にあたる年齢まで横浜の中華学校に通っていたのだが、両親が日本の公立中学へ娘を進学させることを希望した。ところが、日本語能力が不足しているため6年生を日本の小学校でやり直す必要がある、という理由で公立の小学校に転校してきたのだった。
日常会話に不自由はなかった。語彙は豊富とは言えないけれど日本人でも個人差がある。その範囲内だった。
けれど、彼女は勉強が苦手だった。知能が低いのではなかったと思う。5、6年生になれば育ってくるはずの認知能力が育たず、おそらく抽象的思考ができなかったのが原因だった。
もちろん当時の私にこのような分析ができたわけではない。けれど、彼女と仲良くなって話をしているうちに漠然と感じたことを言語化するとそうなる。
彼女の言語生活を聞いて驚いた。小学生の私は広東語と中国標準語の違いが大きいことなど知らなかったからだ。
家では広東語と北京語のミックスの言語、家庭内pidginのような言葉で家族と話していたらしい。
「おじいちゃんとおばあちゃんは標準語が分からないから広東語で話す」
「でも私は広東語がよく分からない。家での言葉は本当の広東語じゃなくて家でだけ通じる中国語」
と言っていた。
中華学校での教育は中国標準語だったそうだ。だから学校では中国標準語、中国人の友だちとも中国標準語、家庭では北京語広東語のpidgin、習いごとや町中では日本語というように使い分けていたようだ。
ある意味すごい。
すごいのだが、どの言葉も未成熟なのだ。
複雑な思考ができるほどにはどの言葉も使えない。明確な母語がない。
小学校卒業後も彼女とは半年に1回程度会っていた。
高校生の頃
「私はちゃんと分かる言葉がない」
「難しい話が分からない」
と言っていたのを憶えている。
彼女の両親は、娘の言語の問題を分かっていなかったと思う。
だんだん疎遠になってしまい、もう四半世紀も会っていないYちゃん、今はどうしているのだろう?
小学校教育を分かる言葉で受けたYちゃんですらこうなのだ。
1年生の授業も母国語で受けないまま、理解できない日本語のクラスで無為な日々を過ごしているお行儀の悪いあの子たちも、このまま育てばもっと悲惨なことになるだろう。
全くの他人だけれど、このままではあまりにも可哀想だ。
「日本語の問題ではない。年齢相応の言語能力、認知能力がない」
黒なようだけれど、これが事実。
私の言葉がちゃんとお母さんに通じていたらいいのだけれど。