息子は小さい頃
「わあい。ぼくのおひなさま」
と五月人形を出すと大喜びだった。
「そうなねえ、お人形、飾ろうねえ」
と「おひなさま」という言葉を否定しなかった。
だって可愛かったんだもの。
あの頃の息子にとって「ある季節だけ飾る人形=おひなさま」だったのだろうな。
さて、息子のおひなさま、つまり両親が買ってくれた五月人形は伊予一刀彫である。
数年前息子と二人で松山に行ったとき、見覚えのある木彫りの兜が飾ってあるお店に気付いた。
「これ、うちのお人形と同じだよね?」
「うん、本当だね」
入ってみると、中には段飾りの雛人形、それにうちにある五月人形と同じものがある。
「この工房のなんだね」
二人で盛り上がっていると、お店の方が話し掛けてきた。
「何かお探しですか?」
「東京から来ました。ぼくの五月人形、ここのなんです!」
「偶然通り掛かったんだけれど、似てるなあって思って入ったら、同じだったの」
そう息子が言うと
「あらあらまあまあ」
「東京のデパートに出展したとき買って下さった方にここで会えるなんて」
と喜んでくれた。
「お兄ちゃんのお人形を彫った職人、工房の主人ですけれど、今広島で展示会があって行っているんですよ。いたら絶対に喜んだのにねえ」
私のスマホに入っていた息子の初節句の写真を見せると集まって皆で喜んでくれた。
「まあ、可愛い」
「こんなに大きくなって…」
「帰ってきたら、お兄ちゃんが来てくれたこと、伝えますよ」
と何も買わないのにお茶までご馳走になってしまった。
伊予の工房なのだから、松山にあるのは当然と言えば当然なのだが、探そうとしたわけでもないのに工房の前を通り掛かるなんて。
両親が買ったときには、その職人さんとも話をしている。
その人と直接会えなかったのは残念だけれど、両親は行かなかった工房に私たちが行ったなんて。
ご縁を感じる。
旅行から帰ってからお店宛に息子の五月人形の写真を添えてお礼のメールをした。
すると
「このお人形、憶えていますよ。大切にして下さってありがとう」
という返信メールをいただいた。
職人さんはやはりひとつひとつのお人形を憶えているものなのだなあ。
手彫りだものね、お顔もそれぞれ違うものね。
この職人さんの彫るお人形はとても表情が柔らかくて好き。
荷物は少しずつ減らしているしこの先も増やしたくはないのだけれど、やっぱり他のものも色々集めたいなあ。