例のtweetは今でも荒れ気味のようだ。

 もちろん批判ばかりでなく、擁護するものや応援するものもたくさんあるのだが、悲しいことに批判もなくならない。

 

 これらはやっかみ妬み嫉み僻みも多々あるのはもちろんなのだが「大学院」というものが、あまり馴染みのないものであることにも起因している気もする。令和2年のデータであるが、学部卒業者の進学率は人文系では4.2%くらいなのだ。ただし理系はまた別で、感覚だが私の頃から7〜8割は院へ進んでいた。

 もっとも進学率はかなり大学によって違う。大学院進学率が高い大学は、はっきり言えば高偏差値の大学である。大学によっては院がないところもあるし、あっても修士課程だけということもある。博士課程まである大学の場合、修士という表現はするが、博士課程前期というのが正式な呼び名である。

 そんなことも知らない人は知らないであろう。

 そんなこんなで多くの人にとっては未知の世界であるから、余計的外れの書き込みがあるのかもしれないとも思う。

 

 以前にも書いたが、私が1番楽しかったのは院生時代だ。同じようなことに興味を持ち、勉強することを当然と考える仲間しかいない生活なのだから当然だ。

 院生というのはつまりそういうことで、勉強したくない人がやっかんだり妬んだり嫉んだり僻んだりするのはいかがなものかと思うのだ。

 

 また、院に進学したからと言って皆が修士号が取れるかというと、そんなに甘いものでもなかったりする。

 現に私の同期も全員が修士を修了できた訳ではない。どうしても修論が仕上がらず、1年余分に在籍、それでも書けずに結局は「単位習得退学」となる人が毎年必ずいるのだ。

 院試だって必ず受かるものではない。新卒時には院試に受からず、学部では同期だったのに院では後輩になった人もいる。研究生として1年遅れで院に入ったからと言って修士号が取れるとは限らず、知り合いの一人は1年遅れで進学したのに結局修論を書けずに退学している。

 

 修論を書けなかった人はどうなったかと言うと、私の知る人に限るが、私立高校の教員になっている人が多い。他大学の図書館司書になった人もいる。研究者としてはうまくいかなかったのかもしれないが、それもまた生き方のひとつだと思う。

 私も専門が専門が活かせているかというと甚だ疑問である。授業での雑談ネタにはなっているし、我が子どもたちにも話題を提供できているのでいいのだが。

 

 必ず合格できるわけではないというのは、博士課程後期も同じだ。後期進学を教授に勧められたからと言って、絶対に院試に受かると決まったわけではない。同期には研究分野では優秀だったのに院試の英語ができなくて合格できず、博士課程進学が1年遅れた人もいて、担当教授を苦笑いさせていた。

 

 そう、要するに主婦が「趣味」なんかで生きられる世界ではないのだ。覚悟が必要なのである。

 主夫だろうと主婦だろうと独身だろうと既婚者だろうと、自分で研究していく力がなければ取り残されていく世界。成果の出せない人はいらない世界。非常にシビアなのだ。

 そんな世界に飛び込み子どもを四人育て家事をこなしながら、単位を取り修論を書き、後期試験に受かったTwitterの女性は褒められこそすれ、非難されるような存在ではないのである。

 まったく

 「ごちゃごちゃ文句を言うなら同じことをお前がやってみろ!」

である。

 

 男性に比べて女性の院の進学率が低いのは残念ながら事実だ。

 「女子に学歴はいらない」という周囲の声が気になるというのもあるだろうし、「院卒女子は就職や結婚に不利になるのでは」と自身で不安を覚えるというのもあるだろう。

 

 はっきり言おう。結婚に不利というのとは違うと思うのだが、結婚している女性は少ない。

 私も離婚してしまったし、同期で結婚しているのはNちゃん(以前ブログに書いた)と、もうひとりくらいだ。NちゃんはM2で結婚したし、もうひとりの女性は、新卒ではなく、院進学の時には既に結婚していた。

 けれど、自分の好きな勉強をできる機会は本当に貴重だ。一般企業に就職する場合は初任給が学部卒より高いというメリットもある。

 院進学を考える人には躊躇わずにチャレンジして欲しいものだ。

 

 研究者として生きていくのは男性より遥かに不利なのは事実だ。これは何もこの世界に限ったことでなく、まだまだ日本社会は男性優位である。

 

 男性であれ女性であれ、自分の好きな道を自分の力で切り拓いていく人に、無意味に絡んで引きずり下ろそうとするようなおかしな人たちがいない世の中になるよう切に願う。難しいだろうけれど。