以前『少年の名はジルベール』について書いた。
竹宮恵子さんほどの漫画家が「萩尾望都さんに嫉妬していた。それに耐えきれずに距離をおこうと告げた」と書いていたことに衝撃を受けた。
萩尾望都さん。大好きな漫画家だ。
絵が美しいのはもちろん、ストーリーの奥深さや心理描写の豊かさに惹かれた。
『トーマの心臓』の繊細さ、『ポーの一族』の儚い美しさに胸が苦しかった。
『11月のギムナジウム』『銀の三角』『半神』『残酷な神が支配する』『イグアナの娘』『マージナル』『バルバラ異界』…どれもこれも美しく恐ろしいほど繊細で透明で不器用で切ない。
作品の世界は萩尾さんの世界なのだと感じていた。
さて『一度きりの大泉の話』には、萩尾望都さんの側からの見た竹宮恵子さんとの確執が描かれる。
いや、確執とは言えないだろう。萩尾望都さんは本当に一方的に嫉妬されていたのだから。
それも才能という彼女の預かりしらぬところで。
ふたりの綴った当時の話には齟齬がある。
「下井草のマンショに萩尾さんが訪ねてきて、増山さんとの楽しそうなお喋りが辛かった」と竹宮さんは書いた。
ところが、萩尾さんの記憶では『竹宮さんと増山さんに呼び出されて『小鳥の巣』について詰問され、うまく説明できなくて悲しかった」となる。
遠い昔のことだ。
今となってはどちらが現実なのかは分からないし、はっきりさせたところで意味はなかろう。
ただ、私としては萩尾さんの話が事実なのだろうと考えている。竹宮さんは嘘を吐いているのではなく、ただ忘れてしまいたい記憶なのだと思う。
そしてその下井草の竹宮さんマンションでの出来事のしばらく後、竹宮さんは「距離をおきたい」と萩尾さんに告げるのだ。竹宮さんの本にはたった2行、その事実が書かれる。
このことについて、萩尾さんは「竹宮さんが訪ねて来て手紙を置いていったこと」「手紙には『マンションには来てほしくない』『スケッチブックを見てほしくない』『距離をおきたい』などと書いてあって、自分は嫌われてしまったのだと哀しかった」と詳しく綴っている。
竹宮さんは『少年の名はジルベール』を書くことで、萩尾さんに謝りたかったのではないだろうか。
自分の当時の真意を告白したかったのではないだろうか。
「ごめんなさい。本当はあなたのことが大好きだった。あなたの才能に嫉妬していた。あなたに憧れていた。才能のなさに焦ってあなたを傷付けた。今さら許してほしいなんて言えない。でも、もしかなうことならもう一度会いたい。話がしたい」
そんな心の叫びが私には聞こえるように思えるのだ。
自分の才能に気付かず、竹宮さんを素直に認めていた萩尾さん。彼女のそうした態度はあまりにも泰然として見え、さらに竹宮さんを追い詰めていったのだろう。
けれど萩尾さんは全く気付かなかった。彼女は、素直に竹宮さんのことが好きで、彼女の作品が好きで、漫画家としての彼女を尊敬していただけだったのだから。
だからよけいに竹宮さんの言葉と態度に萩尾さんはあまりにも傷付いた。体調に変調を来たし、漫画家を辞めようとまで思った。そして漫画を描き続けるために、その頃の記憶を全て封印したのだ。
竹宮さんがどれほど願っても二人が再び語り合える日は来ない。
嫉妬ということを知らない萩尾さんには、おそらく竹宮さんのあの頃の感情は永久に分からないだろう。
また、えてして傷付けた側というものは時が経てばことの大きさは忘れてしまい、美しい記憶だけが残るものだ。
けれど、傷付いた側は違う。普段は記憶の奥底に押し込めていても、ふとした瞬間にそれは顔を出す。いつまでも記憶は鮮明なままなのだ。
ただ、こんなことをいうのは失礼かもしれないけれど、今では竹宮さんのプロデューサーのようになっている増山さんがいなければ、ふたりはここまで追い詰め合わなかったように思う。他の同じ頃活躍し始めた漫画家と同じように、普通に付き合い続けていたのではないかという気がする。
少年愛が好きで、漫画が大好きで、自分は描かないけれど誰よりも様々な漫画や作家を批判する増山さんの圧倒的な審美眼と熱量と個性は、竹宮さんに必要であったのは確かだけれど、一方で遠ざけてしまったものもあったのかもしれない。
『一度きりの大泉の話』本当にものすごい本だった。
萩尾さんの辛さ、切なさ、苦しさが実感を伴って心に入り込む。あまりにも個人的な話に、こんなことまで知ってしまっていいのだろかと何度も思わされた。
それとともに、山岸涼子さん、木原敏江さん、一条ゆかりさん、美内すずえさん、名香智子さんなどといったそうそうたる少女漫画家たちが、肉体をもった存在感のある生きた人物として所々に表れることに驚いた。よく考えると当然のことなのだけれど。
そしてもうひとつ。あちこちに挿入されたスケッチがとても美しい。これらのスケッチはどれも作品の構想のために書きためたクロッキーブックからの掲載だそうだ。そればかりでなく、池田いくみさんの原作を作画した作品がまるまる載っている。こうした小さな作品を見るだけでもこの本の価値はあると私は思う。