娘に

「いくら預金があっても適切にお金を使えない人はお金があるって言わないんだって、なるほどだよね」

と話したら

「当たり前でしょう」

と言われてしまった。

「預金がいくらあるかってことより自分にいくら使ってくれる気があるのか、だよ。お父さんみたいに家族のために使うのも嫌がる人はまあ、だめだね。そういう意味ではお母さんは失敗したね」

と。

 

 はい。ごもっとも。

 気付かなかったよ。

 

 人に何かをプレゼントする喜びというのは、相手の喜ぶ顔を想像したりどんなものが似合うかを考えたりそういった全ての経緯そのものだと思う。彼はそれを知らなかった。

 「相手が喜ぶことを喜ぶこと」それを自己満足とも夫は言う。確かにそういう面もあるだろう。けれどそんなことを言ったら、この世の中ほとんど自己満足だよ。

 自分が装う喜び、その姿を相手に見せる喜びも知らなかった。

 

 何だか哀しい。

 

 彼の脅迫めいたメールから数日経ったけれど「当方の弁護士」からの連絡はない。

「勝ち目はないですよ」

と諌められたか、作戦を練っているのかは分からない。

 

 私の方にもまだ『送達通知書』と『陳述書』が来ない。

 『送達通知書』は差し押さえ命令が送達された日が書かれた通知書で、その日付から1週間経過経つと、取立ての権利が得られ取立てを実行できるようになる。

 元夫本人の会社に私自身が電話するのだ。

 彼と話すことになるのか、経理の人か、はたまた顧問弁護士か。

 誰であっても関係はない。覚悟はできている。

 

 『陳述書』というのは差し押さえ命令時に第三者機関が記入し裁判所に提出する書類だ。言うまでもなく提出は義務である。差し押さえられた債権の有無や、他に差し押さえはないかなどを書くのだ。それが私のところに送られてくる。

 私の場合「第三者機関」というのは元夫の会社である。つまり彼自身の会社が、代表取締役CEOである彼の差押債権についての陳述書を書いて裁判所に出さなければならないのだから笑える話である。

 顧問弁護士も嫌だろうな。

 

 司法の力は想像以上に大きかった。

 法治国家に住んでいてよかった。