元夫には
「僕にとっては殺人と同レベル、絶対に許さない」
「そういう人たちは殺人犯と同じくらい嫌いだ」
ということ、ものがある。
「殺人」とは穏やかでない。そもそも嫌いなことを喩えてそこまで言うなん馬鹿馬鹿しい、と思うが。
それに、これをここまで嫌う人を私は元夫以外に知らない。
さて、それが何かというと、いわゆる芸事全てである。
子どもたちがバレエを習っていたことも、ダンススクールに通っていたことも、歌を習っていたことも、どれもこれも気に入らない。体操もまた然り。私がコーラスをやっていたのも気に入らない。
「殺人と同じくらい嫌だって言っていることをやるんだから、一切手は貸さない。」
子どもたちが芸術系の習い事を始めるにあたって彼は言った。
「別に構わないよ。私が全部やるから。」
私もそう答えた。
子どもたちが、自分で好きだ、やりたい、ということである。やらせてあげたいと思うのは当然ではないか。
私ひとりでもなんとかする。
彼の「一切手を貸さない」というのは、本当に「一切手を貸さない」だった。あっぱれとしか言いようがないくらい徹底していた。
レッスン料を出さないのは当然として、送り迎えもしたことがない。
もちろん、その間に下の子の面倒をみたこともないから、下の子を連れての送り迎えだった。何故なら、上の子の習い事の間に下の子の面倒をみるということは、間接的に手を貸したことになるからなのだと言う。
だからどんなに悪天候でも、どんなに遅い時間になっても送迎は私の仕事だった。
上の子の習い事の時間は下の子と遊ぶ時間に出来たことはよかったが。
帰国した後の冬だったから、まだ上の子が年長、下の子が一歳半くらいだった頃のことだ。
その日は朝から雪がチラついていた。その上、東京マラソンの日で、近くの道路は時間によっては自由に横断できなかった。
だから、頼んでみた。
「今日だけでいいから、下の子を家に置いていっていい?寒くて可哀想だから。」
もちろん、答えはNO。
「一切協力しないって言ったよね。それでいいって言ったくせに何を言ってるんだよ。例外はないね。」
と言い放たれた。
ああ。そう。
もう、2度と頼まない。
そう思ったが、この日ばかりは本当に大変だった。
案の定、雪は帰りにも止まなかった。
その時に使っている駅から家へ帰るには道路を渡らなければならない。でも東京マラソンのコースであるため、横断禁止になっていて、家に帰るには歩道橋を渡るしかなかった。
「雪の中、幼稚園児の手を引いて、ベビーカーを担いで歩道橋を渡るのか。」
さすがの私もちょっと躊躇した。
そして、歩道橋近くで警備をしていた警察官に声を掛けた。
「人が通らない時を見計って、道路を渡っていいですか?」
残念ながら、それは許してもらえなかった。
「ひとりに許すと他に人も許さなくてはならなくなる」
ということだ。もっともである。
でも、私の様子を見、手伝いを申し出てくれた。
息子はベビーカーで寝てしまっていたし、いつもそうだったから、私がベビーカーを持った。警察官は娘の手を引き、ベビーカーに掛けた荷物を持ってくれた。そして、一緒に歩道橋を渡った。
本当にありがたかった。娘も笑顔でお礼を言っていた。
警察官とは言え、他人がここまでしてくれるというのに。あの人は父親なのに。
いくら嫌いだからって、そういう約束だからって。
そんな感情がくるくると渦を巻いていたのを今でもよく覚えている。
大きくなってもそれは変わらなかった。
娘はひとりで習いごとに行くようになると、ついて行くことはなくなったが、遅い時間になった時のお迎えは当然私だった。
息子の送迎時間と被って困ると言うと、平気で
「好きでやっているんだから、ひとりで帰って来させればいいだけだろ。」
と言った。
「女の子ひとりでは危ないから。」
と夜の送迎だけはしてくれるパパというのは結構いるのに。
驚いたことに、彼にとっては、娘を守ろうということより「手を貸さない」という決めごとの方が大切なのだ。