社宅でのママとしての平穏な生活、楽しかった。

 どんどん成長する娘と過ごすのは幸せだった。

 同じような月齢の子どもを持つ同士、同じ社宅のママたちとも気が合う。子どもの話だけでなく、自分の好きなことを伝え合えるような友人に慣れた。

 妹とも修復できた。

 

 たくさんの幸せとほんの少しの退屈。

 母であるというのはそんなものだと感じていた頃、突然に元夫が言い出した。

「東京に戻る。転職する。俺には研究者は向いていないし、ここにいても先がない。研究職出身で取締役になった人はいない。だから、今月は面接にあちこち行く。定期も買ったよ。」

 そして、留めに 

「東京の方が好きだよね。」

 

 はあ、転職?

 何を今更?仕事を止め、新しい就職先も探せず、ここに戻ったのに?

 やっと、やっと穏やかな日を過ごしているのに?

 

 もちろん、東京は好きだ。

 劇場も図書館も美術館も本屋さんもたくさんある。

 そして、この街は小さすぎる。

 ほんの少しのことで、何故だか目立ってしまう。

 

 だけど。

 研究者は向いていないって、どういうことよ!

 せっかく研究職なのに。

 私は、諦めたのに。

 遠距離通勤とあたなとの新婚生活の破綻で、先のキャリアを諦めたのに。

 だったら、どうして、最初から…

 

 逆恨みかな。

 でも、もし結婚していなかったら、別居結婚を選んでいたら、私は、職場の学科募集停止の時に、自分の論文をファイルにして、就職活動をしただろう。日本のどこであっても、研究職があったら行っただろう。

 何だか理不尽に思える。

 納得がいかない。

 

 けれど。

 納得はいかないけれど、時間は戻せない。

 反対する、理由は何もない。

 

 結局、元夫は一ヶ月ほどの転職活動を経て、都内のとある外資系コンサルティングファームに内定した。

「研究では先が見える。ビジネスをやりたい。」

 それが、そう言い放った彼が選んだ転職先だった。

 

 引越しだ。

 一年半近くに渡って築き上げた生活、また、一からやり直しか。