もう12月


10月の終わりに母が旅立ちました。


母がステージⅣの乳がんが分かったのは3年前。

要介護4になった母のために仕事を辞めたのは8年前。

鬱病から統合失調になった母のサポート生活が始まったのは44年前。


母を中心にした長い長いケア生活が終わりました。

気が遠くるなるほど長い歳月だったけど、

最後は自宅であっという間でした。


春から夏に掛けて癌の薬の副作用で大きく体調を崩し、夏になんとか持ち直したものの、

転倒して骨折して2ヶ月入院。

退院の2週間前から発熱して容態急変。

そのまま予定通り退院させ、在宅ケアは10日間。



退院日が決まってカンファレンスした時はまだ車椅子で、「美容院に行きたい」って言ってた母。

その数日後に発熱。

病院はコロナ禍で面会禁止だったけど、当初の退院後に向けたカンファレンスとは状況が変わってきたため、病院の配慮で2回面会が許可されました。

1回目はベッド上で会話出来たのに、翌週は会話が出来ない状態で、もう長くは持たないというのが見ただけで分かる。

早く連れて帰り、会いたい人に会ってもらおう!

そこから部屋の模様替えを始め、新たに在宅ケアの準備をし直して退院。

毎日、看護師さんや介護士さんが来て、口の中や体をキレイにしてくれました。


その間、家族や親族、長い間お世話になったヘルパーさん、ケアマネさん等、会うことが出来ました。

短い時間だけど、会う人みんなに笑顔を見せる母。

それがお世話になった人への感謝の気持ちなんだと思う。


点滴終了後の外し方、口腔ケアと痰吸引の仕方、座薬の入れ方などレクチャーしてもらって、24時間、夫婦で母宅に泊まり掛けの生活にもようやく慣れて、母の高熱も微熱程度に落ち着いてきた頃の朝のこと。

気持ちの良い秋晴れの日で、窓を開けると澄み渡った青空と、まだ10月なのに綺麗に紅葉した木々とヒヨドリの鳴き声…それが母が最後に見た風景でした。


あれから1ヶ月以上経ち、

もう、母のことを気にせず外出できるのに

母はもう家にいないのに、

長く外出してると、心のどこかで気にして落ち着かない自分がいます。


母がデイサービスに行っている時や、

入院している間は解放感で外出できたのに、

本当に解放されても解放感がないのは何故だろう?




今からは自分の為の人生をしっかりと歩んでいかなくては。

とりあえずは片付けと、体のメンテナンス。