何者[直木賞小説の映画化!] | 冷やしえいがゾンビ

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めっきりノータッチですが、メインは映画に関する垂れ流し。

何者。

 

見ました。

http://nanimono-movie.com/

 

 

冒頭から後半にかけての「就活する若者の悲喜こもごも」を見て面白い!と感じられたなら、終盤のちょっとしたサプライズ展開に興奮できたかもしれない。

 

しかし個人的には前半からいまいち乗り切れず、最終的にはまったく心に響かない映画でした。

 

就活したり、就活しなきゃと決意したり、就活ノウハウを少しずつ学んだり、ついたり離れたり…そんなささやかなシーンの連続が、ただのエピソードの羅列にしか見えない。牽引力に欠けて、笑いも無く、リアリティの追求で満足している。面白くない。

 

「実はこの時主人公がこんな事してました」という終盤のタネ明かしを用意しているがゆえに、前半とタネ明かし部分とで整合性が取れていないといけない。面白みよりも整合性を優先させているとしか思えません。

 

主人公のキャラ造形があやふやで、周囲の人間に対する反応もハッキリしない。性格が見えてこないので共感も不快感も得られない。これも終盤のサプライズのために、あえて不透明な描き方をしているのでしょう。

 

その割にはたまに本音を吐き出す。毒舌を発揮する。このキャラの本性を隠したいのか、見せたいのか。サプライズの瞬間に意外性を出したいのか、「ああ、やっぱり」と納得させたいのか。意図がハッキリしない。

 

サプライズの瞬間、見せ方としては意外性を強調しているのですが、前半からのキャラ造形が中途半端なので驚きが無い。驚きのためのネタフリ前半部分が面白くない。これじゃ本末転倒。

 

そもそも主人公が自分の携帯を他人に見せようとしない描写がしつこすぎて、何かを隠そうとしているのがまるわかり。「携帯? 勝手に使っていいよ」っていうキャラクターが別の一面を持っている方が意外性につながるでしょう。リアルを優先した結果なのか…理解できない。

 

主人公と、もう1人のキャラが作っている演劇。これらの描き方が浅い。どのシーンも「すべってる、サムい」演劇としてしか描こうとしていないところに無自覚の悪意を感じます。そのサムい芝居を映画全体に脈絡なく挿入している事により、ストーリーの流れが止まって集中を乱される。演劇に価値を感じないのなら初めから描く必要も無いのに。

 

若者らしい、熱意が先行したナンセンスな芝居として描くことにより作中の整合性を取ろうとしているのでしょうが、劇中劇のクオリティが低くなくても今作のテーマとの矛盾は生じません。

 

主人公を含め、ネットで他者をけなす連中にとっては作品のクオリティなんて関係ないんですよ。屁理屈で否定してマウンティングごっこしたいだけなんですから。(っていう文章をわざわざアップするのも勇気が要りますね)

 

主人公の秘めたる一面が露呈した後、憧れの女性が情けをかける場面がありますが…なんですかあれは? その流れ、そのタイミングで「君にも良いところはあるよ」みたいなセリフを言わせて、空虚な慰めを与える事でこの物語が一気に陳腐化してますよ。

 

ヒロインが、就活で筆記試験を受けている時の主人公の姿にときめいたみたいな事を言ってますが、就活試験中の主人公って問題を前にして硬直状態だったじゃないですか。

 

しかも脚本・台本を書いていた人間にとっては決して難解でもなく、むしろ燃えるタイプの設問だったでしょう。なのに筆が進まず、試験官にジロリと一瞥を食らっている。そんな彼の後ろ姿が、同じ就活生として苦しんでいるヒロインの心を動かすだなんて絶対おかしいんですよ。

 

こんな矛盾、辻褄の合わない甘い描写で主人公にかすかな安らぎを与える意味が分からない。リカだけでなくミズキにもバレた、そんな絶望的な状況が急にぼやける。結局ミズキというキャラにリアリティを付与できていないって事。呆れました。

 

現代を的確に観察し、鋭く見事に描いた作品かもしれませんが、映画として面白いとは思えなかったです。

 

小説は小説。忠実に映像化したがゆえに生まれる矛盾もあります。「だからなに?」という感想で終わってしまう人がいるのも当然でしょう。

 

それにしても菅田将暉(上の写真の人)は素晴らしいですね。キャラがキャラだけに間を詰めた芝居で、言い回しも常に面白くて、凄い役者だと思いました。