私は闘病中、すごい病人になってしまったなと感じたのは、病院から帰って毎日決まった時間に大量の薬を飲み、副作用も出てきて、まだ見ぬ副作用に不安になり、この病のまだ見ぬ姿に怯えていた時が一番自分が病人に感じた時でした。怖かった。

副作用とベッド生活も手伝って階段を登るのもやっと。

当たり前が当たり前ぢゃない生活


子供を公園に連れて行き見守るのもやっと。気持ちも病になっていました。
入院を突きつけられるその日まで恐らく蛋白+4でていたのに走り回っていたのにな

不思議でした。通院中大の大人がお母さんに病院に着いてきてもらい、数値をみて腎機能が下がっている事にワンワン泣く私。

帰ってきても、家族の前でその話をしているとワンワン泣き。何年分も泣いた。


子供の頃の、一年に人前で泣くなんてあるかないかの我慢強い子だったのに、大人になってはじめて病気になり、こんなにワンワン泣くなんて


強がって常に上を向いて涙こぼさずがんばり続けた自分が、おおずっこけして、下を向いて泣きながら歩いて、このままぢゃいやだ、このままぢゃいやだ。ってもがいてもがいて、見つけたものは、これまで、目をむける事のなかった自分


もしかしたら、このまま、薬の治療のみで終われていたかもしれない。食事もある程度は、気をつけていたし、でも36歳の泣きべそゆかちゃんは、ただぢゃあ転げたくなかったんだね。


だって、ちゃんと病気になる前に用意されてずっこけてるんだもん

傷病手当だって後1ヶ月違ってたらもらえてなかった。


周りの方にも沢山助けて頂いた。


出会いも会った。そこでアロエベラに出会えた。そこでまだまだ大切な事を日々、教えて頂いている。気づかせて頂いている。


すごいぢゃん。恵まれてるぢゃん。気づけたぢゃん。不甲斐ない自分も見てもらえばいい。誰かに認めてもらえなくたっていい。私があなたを認める。あなたは、よく頑張ってる。あんなパンパンになってまで自分を後回しにしなくったって、あなたは、ちゃんと頑張ってる。


子供たち大事、家族大事、周りの人大事もいいけどね、私はあなたも大事だ。


なりたい自分に一緒になろう