思い出 | Eye of the God ~神の眼~

Eye of the God ~神の眼~

現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

 言うまでもないことだが、ここを閲覧する人の数はそう多くない。
 そんなアクセス数など雀の涙ほどでも(マニアに言うならミクロイドSの涙ほどでも)、最新記事でもないのに常に一定数のアクセスがある記事があることが調べて分かった。

 
 昔の、懐かしい作品(TV番組や映画よりも、小学校の教科書に載っていたような読んだことのある物語)のことを紹介・あるいは私なりの作品解釈を書いたものが、少ないがほぼ毎日と言っていいほどどこかの誰かのアクセスがある。
 たとえば『大造じいさんとガン』、戦争を描いた『一つの花(今西 祐行)』、一部地域で使われた「にんげん」というタイトルの道徳の教科書に載っていた『ばんざいじっさま』というお話。今筆者と同世代の人が、そういえば昔あんな話読んだなぁ、どんなだったかなぁと懐かしく思い出す。そして、今どきの子も読むのかなぁなんて関心が出てくる。


 筆者もそうだが、子どもの頃は人生経験も少なく、強制的に読まされテストにまでされるその物語には恨みしかなく(笑)、教科書のイラストにくだらない補助線を入れておかしい顔にしてギャハハと笑うくらいだった。でも、大人になった今改めて読んでみると、新たな発見や味わいがあるものがある。
 また、自分だけでなく「他の人はどういう読み方をしたんだろう」「どういう着眼点が他にあるんだろう」という興味も湧く。おそらく、そういった懐かしむ思いと作品の別の光の当て方を求めて、たどり着かれたのだろう。
 上記の他にも、マンガだがパタリロ!の第38話の解釈とか、広瀬すずが難しい役どころで出演した『怒り』という日本映画の解釈とかも、常時誰かのアクセスがある感じだ。


 個人差はあるだろうが、覚醒(あるいは、自分の人生観世界観がまるっきりひっくりかえり、以前の自分という生き物と同じだとは思えないような内的変化)という体験をすると、以前の自分に関することをなかなか思い出さない。
 それでも昔の自分にまつわることを思い出すことがあるのは、メッセージにうってつけのたとえ話として使える場合だけである。こうした小学生・中学生時代に触れた物語のことも、思い出したあとで「これについて書こう」となったんじゃなく、何かのメッセージが降りてきて後「この理解にはあのお話がいいんじゃないか」と連想するかたちである。
 あくまでもチャネリングメッセージなので、私個人がひねりだしたものじゃない。だから書いた私自身が、書き終わって後それを読み返して感動したり、他人事のようだが「へーこういう見方もあるのか!」と自分で書いておいて感心する、という不思議なことになっている。


 ここも、記事を書き始めた日からずいぶんと年月がたった。
 今でも、昔に書いた記事がどこかの誰かの役に立っていて、誰かしらの学びや気づきに寄与できているのなら、これほどうれしいことはない。
 以上、その昔『オオカミ王ロボ』という児童文学作品のことを、無知から「オオカミのロボットが暴れる話」だと勝手に思っていた賢者テラでした。