世に何かを問う者が持つべき覚悟 | Eye of the God ~神の眼~

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現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

 オンラインゲームというジャンルでは、最長で20年続いているものがある。筆者が今プレイしているFF14(ファイナルファンタジー14)は、サービス開始より今年で9周年を迎える。これでもまだ短いほうで、日本でプレイできるオンラインゲームでサービス開始15年程度のものはゴロゴロしている。


 そういう息の長いオンラインゲームの広告をたまに目にするが、次のような内容のものをよく見かける。


●お帰りなさい! 復帰者歓迎キャンペーン


 一体何かというと、サービス開始から年月が経つと、もちろん飽きずにずっとプレイしてくれる熱狂プレイヤーも多いだろうが、人によってはちょっと関心を繋ぎとめておくのが難しくなる。要するに「飽きる」という現象だ。
 そうした「一度はゲームを見限って離れた」プレイヤーに対して「うちはまだ頑張ってますよ! あれから続きもアップデートされて面白くなってますから、是非もう一度戻ってきませんか? 今なら、こういうアイテムをプレゼントして復帰者優遇しますよー」とアピールしているのだ。


 運営側がこういう広告を打つということは、少なくとも「自分たちの作ってるゲームに途中で飽きちゃう人もいる」ことを自覚しているということである。
 彼らは仕事だから、それでメシを食っているのだからいつだって全力だ。決して、手を抜いているわけではない。

 そうして、クリエイター側は良かれと思って全力でサービスを提供していても、それが響かず「もうこのゲームはいいいかな」と思われてしまうことがあるということだ。
 でも、世の中には色んな人がいて好みも「ツボる」ポイントもバラバラだから、全力でやってても飽きる人が出ることは承知の上なのである。そういう人に「なんで?」とは言わず「頑張って面白くし続けているからよかったら帰ってきてね!」と腰を低くして過去の脱落者にラブコールを送るのである。


 スピリチュアルを発信していると(スピリチュアルというジャンルに限らず、世界へ向けて自分の意見や考え方を発表するということ全般に言えるだろうが)、時に読者からの批判に遭うこともある。
 世の中には色んな個性の色んな考え方の人がいるので、不思議には当たらない。歩んできた人生の事情によっては、私が全力でよかれと思って書くことであっても「認められない」「納得できない」「ゆるせない」内容に読めてしまうこともあるだろう。発信者となるための試練の第一歩は「そうした逆風との向き合い方」であろう。そこを乗り越えられないと、とてもではないが発信でメシなど食えない。
 いい人、と呼ばれる人種は高確率で「おかしな完璧主義者」という側面も併せ持っている。誰が読んでも明らかな「間違い」ならいざ知らず、ある程度まっとうなことを書いていてそれでも来る批判というものは、単にその読者の事情だけで「気に食わない」というだけのものなのだ。あまり深刻に反応するほどのものでもない。
 でもやっぱり、「いい人」は気に病むのである。たったひとつの罵詈雑言コメントが、まるで「世界を代表している」かのような錯覚に陥り、へこんでしまう。


 あなたの「発信したい」というその志(こころざし)がまがいものでなく本気の本気であるのなら、「批判上等」くらいの心意気をもってほしい。
 オンラインゲームの運営側は、常にプレイヤーを飽きさせないよう工夫したアップデートを定期的に施すが、それでもフォローしきれず飽きてやめる人が出ることを承知している。こちらの全力がそのプレイヤーに届かないこともあることを自覚している。だから定期的に「お帰りなさいキャンペーン」なるものをするのだ。


●あなたの全力が取りこぼすものは、この世の必然としてどうしても出る。
 それも含めて織り込み済みで、覚悟のうえでそれでも世に問いたいか? 
 その問いにイエスという答えを出した者こそ、世界へ向けての発信という大海原に船を出せるのである。



 筆者も人間だ。日々全力でモノを書いていて、それによって相手の気分を害させたのならそれは残念だし、言われたいか言われたくないかで答えれば、やはり悪口は言われたくはない。
 そうは言っても、この世界に完璧など存在せず、すべての人を納得させるものなどない。どう頑張っても、特殊な人生事情を抱えた人やものすごく変わった思想信条をもつ人の眼鏡には叶わないこともある。
 もちろん、全部ガン無視でいいというわけではない。向き合いはしつつも、その指摘が「自分が発信それ自体を断念させられるというところに至るほどではない」のならば、どこかですっぱりと切り替えて前を向くことだ。
 不可抗力で、どこかの誰かには嫌われるのが不特定多数へ向けて発信という行為をする者の宿命だ。あなたがどんなに成功しても、完璧にそれから逃げられることはないだろう。
 そうした存在が出ることを自覚しつつ、そして心の中で彼らに手を合わせつつ、それでも私は書き続ける。