外見至上主義 | Eye of the God ~神の眼~

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現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

『外見至上主義』という韓国発のマンガ作品がある。
 これが最近、アニメ化されて話題を呼んでいる。Netflixで配信されていたので、筆者は何の予備知識もなく1話目を見たらはまって、結局その日のうちに全8話を見終わってしまった。
 終盤なのに新たな重要登場人物が出てきたり、回収されない伏線もてんこ盛りの中、「えっもう終わるの?」というものすごく消化不良な最後だった。続編や第二期の情報がまったくないため、どうしても先が見たい私には続報が待たれる。
 原作のマンガのほうでは、300話もあってまだ完結してないというから、アニメで再現されている部分は全体からすれば少しだけなのだろう。だからって、さすがに原作手に入れてまで読む気は……(笑)


 主人公は、その外見からいつものけ者にされ、いじめられてきたヒョンソクという男子高校生。絶望的な青春の日々を送るある日、目覚めて鏡を見たらそこには超絶イケメンな顔が……
 なぜ主人公が突然イケメンな顔と姿を手に入れられたのか、その辺の説明はまったくなし。ただ単純に姿が変わったわけではなく、もう少し事情が複雑になるのだが、ここでは詳細に書かない。実際に作品を見て「なんじゃこのシステム」と笑ってください!
 もちろん、この作品の面白さのひとつには、イケメンになった主人公の身辺の「ものすごい態度の変わりよう」がある。そこが笑いを誘い、またイケメンとそうでないのと両方のリアルを体験することで人として「成長」する主人公の姿もにも心を打たれる。
 タイトルからして「外見至上主義」というものに問題提起をしてはいるが、作中まったくその問題への「答え」を出せていないのが笑える。結局、イケメンや美女で得をすることには変わりなく、主人公だって「イケメンに変身できたからこそつかめた成長のきっかけ」であって、そのままの姿ならこのようなドラマは生まれなかったというのもまた事実なので、結局外見はそこそこチャンスには必要ということになる。


 私がこの作品を通じて面白いと思ったのは、「外見で差別する側のもつ偏見も問題だが、差別される側が恵まれた側に持つ偏見も問題だ」という点が描かれている点。
 見た目はイケメンだが、その中身は外見のせいでいじめられてきてその辛さが分かる主人公なので、自分と同じ境遇の者にやさしくしようとする。そしてそれは本心からなのだが、相手がそうは思ってくれない。


●どうせこっちを見下しているんでしょ。自分が優しくすれば誰だってなびくと思い込んでいるんでしょ。イケメンだから今までそれでうまくいったんでしょうけど、私は騙されないよ!
 

 世間に外見でいじめられてきた側からすると、容姿に恵まれた人間が好意的に近づいてきてもそれをそのまま素直に受け取れない。たとえ相手の本心からの行動だとしても、何かの下心を疑うし、見下しや安っぽい同情を前提とした「優しさ」だと勘繰ってしまう。
 世の中では、差別する側の問題をクローズアップしがちだが、この作品のように「差別される側が世間や恵まれた人間に対してもつ偏見」にも斬り込んでいるところは評価したい。何とか改善したい、と歩み寄ろうとしても素直に受け取ってもらえず結局和解が難しい、という現実もあるからだ。まぁ、外見差別に苦しむ人をそこまでにしたことは大いに反省すべきだが、これからどうしていくかだ。
 日本も相当だが、韓国はそれに輪をかけたような外見至上主義だから、このような作品が生まれたのだろう。筆者は一応スピリチュアル畑の人間だが、外見で一切判断してはいけないとか、人間性のみに価値があるなんてガチガチな考えは持っていない。ある程度、外見に価値を置いて好きになることに否定的な考えは持っていない。
 むしろ、この世界の性質上ある程度は仕方なしと思っている。大事なのは「ある程度」というところだ。この世界では、どうもその「ある程度」を超えてしまっているように見受けられる。だから、不幸が起きるのだ。


 コミカルで笑える娯楽作品ではあるが、本質的な問題も考えさせてくれるこのアニメ、一見の価値ありである。皆さんも視聴する機会があれば是非。