アジョシ(おじさん) | Eye of the God ~神の眼~

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現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

 コロナ禍を挟んで、筆者はめっきり映画館に足を運ばなくなった。
 行かないということに「慣れた」ことと、経済的な理由も大きい。あと、最近はネトフリやアマプラなど動画配信サイトも充実しているので(上映中の作品でも、待っていれば配信サイトで半年足らずで見れてしまうので)、それもある。
 私がまだ映画館に入り浸るかのような日々を送っていた頃、上映の頭に流れる予告編のなかに『アジョシ』という韓国映画の予告があった。かつて政府の特殊任務を担ってきた最強の男が、ある不幸な事件を期に希望を失い引退。フラリと流れ着いた掃き溜めのような街で、ある少女と仲良くなる。男は少しづつ心を開くのだが、その少女のどうしようもない母親がヤクザの麻薬をかすめとったせいで、母親は臓器を全部売られその少女もヤクザの魔の手に……
 と、ここまで説明したらだいたい先の流れは読めるよね? その男が少女を救うために動き出し、最後には悪人ばらを蹴散らして、少女を抱きしめハッピーエンド……という流れになることを想像するだろう。もちろんそれである程度間違いじゃないんだが、ネタバレになるといけないので言わないが、想像よりも重い展開だ。


 筆者は、当時興味を持てば片っ端から鑑賞していたほど映画好きだったのだが、この「アジョシ(韓国語でおじさん、の意味)」という映画は結局見なかった。予告編を見たっきり、この映画の存在は基本忘れていた。でも、韓国ドラマを字幕(韓国語音声)で見てるとたまに登場人物が「アジョシ~(おじさーん)」と言ってるのに出くわすので、その度に「あ、そんなタイトルの映画があったなぁ」と一瞬思い出すが、そのドラマを見終わるたびにきれいに忘れ去っていたものだ。
 でも、でもである。妹のおかげで見れるようになったU-NEXTの配信の中にこの作品を見つけてしまったのだ! 私は昨日、長い間知ってはいたけど見る機会のなったこの作品を、ついに見た見たやっと見た!


 ……重っ! 暗っ! あとグロっ!
 血が出るのがいやな人、内臓の一部が出たりするのが絶対見たくない人はやめましょう。(笑)まぁ、臓器売買なんかする悪人が敵の設定なんで、当然そういう描写が入りますわな。
 そういう人を選ぶ表現は置いておいて、映画としては及第点。ラストシーンでの主人公(ウォンビン)の表情があとあと心に残る。こんな事件が起きる社会自体なんとかしないといけないんじゃないか、と思ってしまうがそういうことは置いても、全編に漂う「切なさ」と、不毛な地に一輪だけ咲いた花のような「絶望的な人生の中で見つけた小さな愛」のコントラストがまぶしい作品であった。
 もし未鑑賞の方で興味を持たれた方がいたら、機会があれば見てほしい。でも、さっきの筆者の警告だけは覚えておいて!


 きっと皆さんの人生にもあるだろう。
 ある時意識はしたけど、それきっり記憶の中に埋もれ触れてこなかったある何かが。時間が経って、何かの縁でめぐりめぐってそれに出会えた時、何だかずっとなくしていたパズルのピースが見つかった時のような感動がある。
 そうやって見た映画が本当に良かったかどうかよりも、出会えたこと自体が私には重要だった。もしあの時見れていたら、今見るのとまた人生で違った意味があったのだろうか、と想像するのもまた楽しい。