『声かけ変換表』は怖い | Eye of the God ~神の眼~

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現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

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 今沢山の人の 「いいね!」 と賞賛を浴びている、ひとつのネット記事がある。
 

 発達障害の子どもへの『声かけ変換表』に、多くの人が反省させられる。


 一応、リンクを上記タイトルに貼り付けているので、興味のある方は読んでみてください。
 私は、この記事を読んで 「いいね!」 とは思わない。むしろ逆だ。
 怖い記事だと思う。たとえ良いことであっても、「ある基準への誘導」 が隠されている。
 それぞれのその時々のホンネや正直な気持ちといったものが、罪悪感という魔物によって価値を下げられ、「従うべき良い基準がある」 と思うことで我慢をさせてしまう。
 例えたら、怒りを覚えてその怒りを素直に表現しようとして、すんでのところで思いとどまり、「これはいけない」 と思い抑え込むか、または非常にお上品な言葉に変換され、うやむやにされてしまう。
 参考までに、その 『声かけ変換表』 を下に貼り付けておく。
 拡大しないと見れません。
 例えばー



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 ●いい加減にしなさい! → あと、何分で終われる? (タイマー持参)
 ●走るな! → 歩こうね
 ●何やってんの、バカタレ! → さすが天才!一緒に片付けようか



 …と、こんな調子である。
 三番目の例など、言う側がホンネで思えないで言ってる状況を考えたら、虫唾が走る。



 発達障害の子どもに、どうしても小言が多くなってしまうママや周囲の人々の対応のために作られたものだろうと思う。できるだけ怒らなくて済むように、お互いに気持ちよく生活するために考案されたひとつの 「方法」 であろう。
 しかし、方法はしょせん方法である。方法には 「人の素直な気持ち」 を超える価値がない。
 人が思いを曲げてまで、言葉上の 「言い方」 や、「怒ってないよ」 というポーズを見せるための方便は必要ない。むしろ、邪魔でさえある。



 この変換表は、まったく間違っているとか、悪いということではない。
 ある人種には、無害であり有効である。すなわちー



 これを参考にしたり応用したりする時に、おかしな努力を必要としない人。
 自然体でこれを受け入れ、力まずに用いることができる人。



 それはまぁ、出会うべくして出会った、みたいな。
 よかったね、と申し上げる。そういう人は、この表をどんどん利用して、発達障がいの子どもと良好な人間関係を築いたらよろしい。
 しかし、この表を鵜呑みにする、この表を良い基準として、常に自分が間違っていないか、悪い言葉になっていないか、ということを気にするようになってしまう人がいたら、この表は捨て去りなさい、とアドバイスする。



 まず、この変換表の最大の欠点を言おう。
 『発達障がいへの、ひいてはその人への見下し』 であるということ。
 反論もあろう。そのタイプの人を思えばこそで、なるべく気持ちよく引っかかりなく生きてほしい、と思うのはそんなに悪いことか?と言うだろう。
 悪い。
 人間は、そんなヤワな存在ではない。
 親切とか配慮というのは、この世界では一番扱いのやっかいな現象である。
 多くの場合見た目、善であり、素晴らしいこととされる。
 しかし、そこには 「相手の存在性に対する見下し」 が隠れていることも多い。
 この子は、配慮してあげないと自分ではちゃんとできない子・自分では幸せになれない子。
 あなたは無意識的だろうが、そういう決めつけがあなたの根底にあるのだ。
 残念ながら、発達障害の子どもをもつ親にも。
 障がいのある子どもをもった親に多いのは、普通よりむっちゃ大事にするパターン。愛情が前面に出るので、見た目悪くない。むしろ世間からは褒められる。ただし、その子が不憫という思いのせいで、時々 「過保護」 という世界に突入する。
 今日問題にしている 「声かけ変換表」 も、使い方を一歩間違えば 「過保護」 に変化し得る。



 この表に従うこと自体には良いも悪いもない。いや、むしろ良いことだろう。
 しかし、そこには大切な問いがなされないままになっている。



 あなたがどの意識レベルで、精神成長レベルで、言葉を気を付けようとしているのか。


 楽器やスポーツなどのおけいこ事でも、発展的な応用技術を学ぼうと思えば、基礎的な土台部分がしっかりしている、という前提がないと、発展編など手を出しても意味がない。
 それと同じで、目に見えない 「魂」 という分野に対する気付きや理解がなければ、たとえこの変換表通りにしゃべったからと言って、大した成果は望めない。
 なぜなら魂のこもらない、単なるがらんどうな 「良い言葉」 だからだ。
 相手の幸せを願っているようでいて、実は 「その子と関わっている自分のため (問題を起こさず、スムーズにこなすため)」 という、結局エゴから来る自分勝手な動機であることが多い。
 この変換表を応用して意味があるのは、「肉体の見え方を超えた魂の尊厳性」 を学んだ者であるが、むっちゃ皮肉なことにその段階に至った者は、変換表などもう必要ない。
 答えはすべてその変換表ではなく、自分の内側にあると分かるからだ。



 人を見下してないで、普通に言葉をかけなさい。
 いちいち、「これで大丈夫か?」 とワンクッション置いて会話するのは、命に失礼である。
 相手が聞きたいのは、薄められ無難化された言葉ではなく、あなたの本当の気持ちである。
 そのホンネが、まぎれもなくこのきれいな言い方なのだ、と言われたら私は反論しない。
 きっとそうなんだろう。まぁ、頑張ってね、ということろか。
 でも、目を背けないでハッキリ言うと、そういう 「内的世界の構造・この世界を認識するOSの違う子」 とこの世界で一緒にやっていくのは、ある段階に至るまでは誰でも 「戦争」 という段階を通過する。その言い方が気に入らないなら、『試練』 でもいい。
 何せ、苦しい。こどもはかわいいし、障がいがあるからってどう、という考えは親として捨てているつもりなのに、それほどうまくいかないこともある。
 そういう時に、この変換表は拷問である。
 本当に叫び出したい時の気持ちは分かるか。
 それを、お落ち着いて相手に 「はいっ、変換表!言葉遣い、適切?」 ってやりますか。

 

 私は思う。
 人が聞きたいのは、確かに表向きには優しい言葉、怒ってない言葉だろう。
 でも、人が聞きたいのは究極 「相手の素直な気持ち」 である。
 ホンネを言われてショックで自殺するよりも、誰もホンネを言ってくれない、ホンネが聞けないことで自殺する人の方が多いと思う。皆、仮面をかぶって生きている。感受性の鋭い人は、そこを見抜く。そういう人は、優しいだけの言葉、うまくやるというだけに特化した言葉などに魅力を感じない。
 『かわいそうなゾウ』 という物語を、小学生時代に学んだ人は多いだろう。
 戦時中の動物園で、ゾウにあげるエサ (じゃがいも) に毒を混ぜて与えるが、ゾウは知ってか知らずか食べない。鼻で拾い上げはするが、口元までもっていかずポイポイ捨てるのである。
 発達障害をバカにするなよ。分かるぞ、そういう小手先だけの工夫は。
 それは自閉症にも言えて、カードや視覚での提示という手法を 「神のように」 あがめているが、そのせいで 「自分 対 その子」 という根本のスタンスでは向き合えていないケースを多く生んでいる。
 人は自分にとって心地の良い言葉だけを望んでいるように思うだろうが、実はたとえキツい言葉でも否定でも、「自分のことを本気で考えてくれているからこその言葉」 を聞きたいのである。



 この世界に、どんな時でも誰にでも通用するベストな 「方法」 などない。
 どの瞬間も 「生き物」 であり、二度と同じ状況はない。
 一期一会のその瞬間において、「その都度だけに通用する真理」 がある。
 ちょっと想像してみたらいい。
 子どもが、本当に危ない状況にある時。
 一瞬でも判断が遅れたら、叫ぶのが遅れたら取り返しのつかない切羽詰まった場面でー
 「危ない!」 と叫ばないだろうか。他に何て言うんだい?



 (1秒ほど考えたあとで) 止まって!


 先ほどの変換表では、「止まって」 と言えと指導している。
 とっさに出てくるかい?ちょっと考えないと無理じゃないかい?現実味なさすぎ。
 コンマ1秒を争う深刻な状況で、そんな上品な言葉を高速で選べるとは思えない。
 また、きつい言葉でないと深刻さが出ない。エネルギーが低くなる。(落ち着きはあるが、この場合そのような属性は何の足しにもならない。相手に事の重大さを分かってもらい即座に反応させるには、強い直接的な言葉でないと)
 危ないもんは危ないもん。自然でいいじゃろ。
 本当に、きれいごとな理屈じゃ…



 変換表を賞賛するのは、多分人間関係にコンプレックスを持っている人である。
 自分に自信がない人である。
 人間である以前に、相手を 「発達障がい者」 という眼鏡で見ている。なぜなら、人対人というモードでは向き合う自信がないから。うまくやっていく自信がないから。相手が~さんであり、何が好きかという視点以前に、「どういうテクを知っていれば、この人との関係で自分が失敗しないか」 に心を奪われている。これは、福祉職員にも多いタイプである。
 福祉畑の人や医者、精神医学信奉者ほど、宇宙人のような自閉症者・発達障がい者に 「方法論第一」 で接する。また悪いことに、実際それでその場はしのげてしまう世界はあるので、神扱いしてしまう。
 同じ人間である発達障がい者や自閉症者に対してすらそのスタンスなのだから、もはや人間ですらない宇宙人とどううまくやっていくのか?とてもではないが無理だ。
 宇宙人なんて最初からはムリだから、まずは彼らで練習されよ。
 ~者ではなく、名前を持ったその人である、という視点を取り戻そう。
 それができてきたら、こういう 「変換表」 を神扱いしなくてもよくなる。
 その時々で内に湧いた言葉の方を、すんなり選べるようになる。




 【業務連絡のコーナー】

①テラ&知井道通 コラボトークライブ in 沖縄 開催間近!

 『君の一族は、そんなことも忘れてしまったのかね?』


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 【日時】 7月4日 (土) 12:30開場 13:00開始 17:00終了

 【場所】 沖縄県沖縄市コザ運動公園内武道館会議室&指導室

 【参加費】 お一人様 15,000円

 【申し込みフォーム】 http://kokucheese.com/s/event/index/289028/

 【主催・詳細情報】 http://ameblo.jp/orangi-1145-orangi/entry-12019602276.html



②スピリチュアルTV、いつもご視聴ありがとうございます!

 今回録画分はこちら。次回は7月11日 (水) になります。




③初の飛騨高山トークライブ!


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 【日時】 2015年7月11日 (土) 18:30~21:00 (開場18:00)

 【場所】 飛騨・世界生活文化センター(ミニシアタールーム)

 【参加費】 入場無料・定員100名様

 【お申込み・お問い合わせ】 ☎ 090-1723-0002 有限会社 プレス/細井 卓美
  mail: arigatou@bless1.com



④名古屋センター・リターナー講座

 『ももクロ吐息』

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 【内容紹介】

 新しい時代「悟り」や「覚醒」といった言葉が、今まで以上に脚光を浴びています。
 しかしそれは、求めても我力や努力といったものがほぼ実を結ばないのが現状です。 
 来るときにしか来ないようなそんなものよりも、求めるに足るものがあると私は信じます。  それは、『センターに帰る』 能力です。 


 私たちはこの世界で、様々なキャラを演じています。 
 人種・性別の違いに始まり、国や文化の違い、育った環境や性格の違いなどー 
 心理学的にも、人間関係上の力学において、たくさんの立ち位置があります。 
 二元性の世界では仕方のないことですが、どの立場にも長所・短所があります。

 
 しかし。それらのどの立ち位置でもない中心(センター)と呼ばれる位置があります。 
 それは、外側(対象)からの力学的な干渉によって自分の立場を決められてしまうのではなく、最初は自らの意志力で、慣れてきたら自然に、「中立」 の心境に立てるのです。 
 それができる者を、「センター・リターナー(常に中心に帰れる者)」と呼びます。 
 これは、いわゆる 「覚醒」 とは違いますが、誰でも本気で取り組めば習得可能です。 


 今回ご紹介するのは、その入門講座です。あなたが、外部への反応ではなく、自らの意志で幸せを、心の平安を選び取れるようにお手伝いさせていただきます。



 【日時】 2015年9月~12月の第一日曜日 13時~17時

 【場所】 名古屋市内(決まり次第お伝えします)

 【料金】 お一人様 80,000円

 【お申し込み】

  お名前・携帯番号・ご住所・返信可能なメアドをご記載の上、
  healingartist★dream.com (★を@に替えて) お送りください。
  お問い合わせなどもこちらまでお願いいたします。

 【主催】 SSS心身総合健康研究所 熊谷繁克



⑤テラ初の著書が、発売中!

 『宇宙シナリオからのメッセージ』 発売中!アマゾンでも買えます

 おかげさまで重版決定!

 日本文芸社刊・定価 1.404円
 ご注文は、PCで閲覧の方は右サイド中段にあります広告から!
 ケータイ画面などの方はこちらまで↓


 http://www.amazon.co.jp/dp/4537261137/ref=cm_sw_r_fa_dp_eDy0ub0GNXQXC


⑥賢者テラ・大阪定期講座、常時受講者受付中!

 『スピ・テラ (寺) 小屋』

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 【内容紹介】

 テラさんからのメッセージ発信や質疑応答に留まらず、講座参加者のみなさんお一人お一人にアウトプットしていただく 「公開セッション型セミナー」 です。

 脱・その時だけ気持ちいいスピリチュアル
 脱・分かった気分になるスピリチュアル
 脱・どうしていいかわからないスピリチュアル


 いつ始められても、途中やすまれても大丈夫!あなたのペースでお受けいただけます。


 【開催日・時間】 毎月どこかの土日 14時-17時 ※6月は、6月28日 (日) です。

 【場所】 新大阪駅構内・タリーズコーヒー
 
 【参加費】 毎月10,000円

 【お申し込みフォーム】 https://ssl.form-mailer.jp/fms/ce9145ac315718


⑦賢者テラが、過去に出版した小説を復刊させよう!

 テラが今のようになる前、チャネリングによって書いた小説があり、出版していました。
 しかし当時は私も無名で、内容は本当に面白いのですが結局売れず、廃版となりました。
 私が今のようになって、トークライブへ行く先々でこの本を欲しがられますがー
 作者の手元にも、ほとんど残っていません。
 この物語を、このまま埋もれさすのも惜しい。そこで、皆さんにお願いがあります。
 以下のサイトにて、投票いただきたいのです。


 『復刊ドットコム』

 → http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=56653

 皆様の、清き一票をよろしくお願いいたします!

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