小田眼科ニュース 医心伝信 | 仙台市青葉区八幡2丁目・小田眼科ニュース

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小田眼科より、毎月発行しているニュースを載せています。

小田眼科ニュース 医心伝信 
         第375号        2021年 4月号

 今年の大河ドラマ「青天を衝く」は幕末から昭和初めに活躍した渋沢栄一の話ですが、栄一は埼玉県の藍農家生まれであったことを知りました。
 藍はタデ科イヌダテ属の一年草であるタデ藍の葉から作られます。藍は古くから各地で栽培されてきましたが、江戸時代に徳島藩の蜂須賀家がこれを奨励して、阿波藍として良質のものを生産し、全国に売り出しました。藍は徳島県の特産品になりました。

 それで、今月は、

  「藍」
                          の話です。

 紀元前3000年のインダス文明の遺跡から藍染めのための染織槽跡が発見されました。これが、藍に関する世界最古の記録といわれています。
 紀元前300年頃にはシルクロードを藍染の布が盛んに往来していたとされ、インドやエジプトを中心に世界各地に藍が流通していました。
 日本における藍は、奈良時代まで遡ります。藍は唐から朝鮮半島を経て伝来され、シルクロードの終点である法隆寺や正倉院には藍染めの布類が、多数保存されているそうです。その藍はタデ藍です。藍には多くの品種がありますが、それぞれの土地に地藍といわれる藍があります。
 藍の色素はインディゴといわれる紺色で、本来はインドで栽培される藍からとれる天然藍(インド藍)を指し、「インドからきたもの」という意味です。
 紺よりもさらに濃い、黒色に見える暗い藍色は「かちいろ」と言われました。色名の「かち」は、藍を濃く染み込ませるために、布などを「搗(かつ=叩く)」ことからきており、『搗色』『褐色』の字があてられました。
 鎌倉時代には濃い藍染が好まれ、色名の「かち」に「勝」の字をあてました。日清・日露戦争時の軍服は『軍勝色』に染められました。
 江戸時代に入ると、木綿の普及に伴い、幅広く藍染めが使用されるようになりました。中でも徳島の藍玉「すくも」はインディゴ色素の含有量が高い高品質の「阿波藍」として別格の扱いを受け、明治中頃には全国市場を席巻し、生産量もピークを迎えました。
 藍の栽培は3月から始まり、6月頃には収穫が可能になります。刈り取って、葉だけを乾燥し、発酵させ藍染めの染料「すくも」(藍玉)を作ります。「すくも」を作る人を藍師といいます。
 藍の生産は手間がかかる上に,多くの肥料が必要でしたので、安価な化学染料の普及に伴い、明治30年代から衰退の一途を辿りました。
 しかし、近年は、天然藍が持つ美しさや風合いが見直され、世界中でブームが起ころうとしています。衣類はもちろん皮製品、壁紙、床材などに使われるばかりでなく、藍葉を使用した青汁やハーブティー、サプリメント、健康食品、クッキー、化粧品などが開発されています。
 
 「出藍之誉」(弟子が師よりもすぐれた才能をあらわす)
 「青はこれを藍より取りて藍よりも青し」(『荀子』勧学)
 などの格言もあります。