「スペイン風邪の流行を知る」(第364号2020年5月号) | 仙台市青葉区八幡2丁目・小田眼科ニュース

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第364号2020年5月号「スペイン風邪の流行を知る」の話



 
 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止対策で日本中が外出制限、学校の休校、三密禁止などの負荷を強いられ、人々は戸惑い、これからどうなるのか、流行はいつまで続くかなどに不安を持っています。この流行が、これからどのような経過を辿るかを知ることができれば、コロナ流行のまっただ中にいて五里霧中の我々にある程度の展望を与えてくれると考えます。
 100年前に起き、世界中に感染が広がった「スペイン風邪流行」の経過を知ることは参考になるかもしれません。

 それで、今月は、「スペイン風邪の流行を知る」についての話です。

 1914(大正三)年6月にオーストリア皇太子夫妻がサラエボで暗殺された事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発しました。この戦争は最初は局地戦でしたが、参戦国は徐々に増え、オーストリア、ドイツ、ロシア、イギリス、フランスなど30か国以上が戦った初の世界規模の戦いとなりました。この戦争に日本は1914(大正三)年8月、アメリカは1917(大正六)年4月に参戦しました。
 アメリカ参戦の翌年1918(大正七)年11月に、この戦争は終わりました。終戦になったのは、1918年8月ころから戦場で突然、その後「スペイン風邪」と云われるようになった流行病が始まり、多くの兵士が感染し、死亡し、戦争を続けられなくなったためと言われています。
 スペイン風邪は1918(大正七)年3月アメリカのカンザス州にあったアメリカ兵のキャンプで始まったと考えられています。この疾患は最初は良性の「三日熱」でしたが、その1週間後には罹患者が急速に増え、重症度を増しました。この病気は4月始めに、感染の潜伏期にあり、無症状であった兵とともに西太平洋を渡り、戦場の多くの兵に感染させたと考えられています。一般市民への感染を経て急速に全世界に広がりました。この戦争で中立国であったスペインでは報道規制がなかった為に、スペイン王が罹患した流行病を報道しました。「スペイン風邪」と言われるようになった所以です。
 この流行は5月には日本に上陸し、8月には東北地方でも流行が始まりました。河北新報は郵便集配人の病欠、夏季訓練を終えた第二師団の兵士の感冒流行を記事にしました。最初は遠慮がちの報道でしたが、流行の拡大と共に、宮城男子師範学校、県警察官などの流行、さらに学習院、近衛歩兵連隊での流行と死者の増加が報道され始めました。11月に、内務省から感冒予防告諭が出され学校は休校し、児童の死亡も報道されました。この流行は、11月ころから終息の兆しを見せ始めましたが、翌年7月まで、全国の流行は続きました。
 内務省衛生局はこの流行を総括して、第一回の流行は1918(大正七)年8月から翌年7月まで、第二回の流行は1919(大正八)年10月から翌年7月まで、第三回の流行は1920(大正九)年8月から翌年7月までとしています。
 この中で感染者数が最も多かったのは第一回の流行で、全国で二千百万人余の人が感染しました。その後の流行での感染者数は、200万人余、20万人余と急速に減少しました。
 現在は、100年前よりも医学は進歩しています。コロナに効果のある薬品やワクチンの開発に世界中の科学者が、一刻を争ってしのぎを削っています。ニューヨーク州で行われた抗体検査では無症状者の10%以上が抗体を持っているという結果でした。これが信頼できるデータであれば流行は間もなく終息に向かうと期待できます。
 しかし、まだまだ我慢の日は続くのは覚悟しなければなりません。
 スペイン風邪は世界人口や経済に大きな影響を与えたはずですが、流行が去った後、人々は流行など無かったように振るまい、忘れられた流行と言われています。



小田眼科医院理事長 小田泰子
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