「日本女性の地位②女子学生亡国論」の話(322号2016年11月号) | 仙台市青葉区八幡2丁目・小田眼科ニュース

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第322号2016年11月号「日本女性の地位②女子学生亡国論」の話


いよいよ11月になりました。皆様お変わりなくおいでのことと存じます。昨日までのハロウィンの騒ぎは驚きです。時代差を感じました。

 政府は人口減少、とりわけ労働人口の減少を視野に入れて「働き方改革」に着手しようとしています。女性が多い非正規労働者の待遇改善のため「同一労働、同一賃金」、女性を働きやすくするための「長時間労働の是正」、それに外国人労働者受け入れなど、多くの問題が検討され始めています。

 それで、今月は「日本女性の地位②女子学生亡国論」の話です。

 前号で日本は女性の「人間開発指数」は高いが実生活では女性の地位が低いことを書きました。

 日本は教育に熱心な国です。明治政府は明治6年に初等教育の義務制を導入しました。学校では新しいタイプの労働力である人材を育成しました。明治期から日本は近代的な学校教育を徐々に整備して多くの有能な人材を社会に送り出しました。子どもの親は自己資金を使って子どもを教育しました。一種の投資です。教育を受けた子どもは学歴や資格等を得て社会で働き、家庭を作り、生まれた子どもを教育する事で日本は近代化し、社会が発展するシステムを確立させ維持してきました。

 このように、男女が教育を受ける体制は整えられましたが、その教育目的、内容は大きく異なりました。戦前の女子教育が掲げた理念は「良妻賢母」でした。旧制の中学校と女学校では、重点を置く教科に差があるばかりでなく教育程度にも歴然とした差がありました。中学校は卒業後、社会で働くことを念頭に置いた教育をし、女学校はよき家庭を作り夫を助け、子どもを育てることを主たる目的として教育されました。女学校は一般に経済的に裕福な家庭のお嬢様が通う学校でした。「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業が学校教育で行われたのでした。この傾向は戦後、男女共学という新しい教育制度においても形を変えて維持されました。大学に進学した女性が選択する専攻分野と男性のそれとは大きく異なりました。女性の学校教育は労働市場への参入すなわち就職を全く考慮していませんでした。そもそも高等教育を受けた女性が社会で働き収入を得ることを、親も本人も学校も考えていませんでした。女性が受けた教育は結婚して夫である男性とその子どもを支えるのに役立つことしか考慮されていませんでした。

 戦後、高等教育を受ける女子は着実に増加し、徐々に男子に追いついていったばかりでなく1980年代には大学・短大をあわせた進学率は男子を追い越しました。さらに1990年代には女子の四年制大学の進学率が短期大学への進学率を上回りました。しかし、専攻分野での隔たりがあり、就職率にも差がありました。女性とその家族の意識もありますが、学校教育と職業とが連動していないのです。

 大卒女子の就業率は30歳で急激に下がり、その後も上がることはありません。これは、高卒女子の就業率が35歳以上になると再上昇するのと大きな違いです。大卒女性は一旦離職した後、再就職をしないのです。過剰な教育を受けた存在として労働市場からもてあまされ、使い捨ての労働力となりました。また、大卒女性は家庭からも排除されました。1960年代「…テナこといわれて、その気になって、女房にしたのが大間違い。掃除洗濯まるでダメ。ひとこと小言を言ったなら、プイと出たきり、ハイ、それまでよ」と歌われました。

 高等教育を受けプライドは高いが家事能力の低い女性が揶揄の対象になっています。また、女子学生の多くは文学部などを選んで入学しました。1990年代に暉峻康隆(早稲田大学教授)は「文学部は女子学生に占領されて、いまや花嫁学校化している」と「女子学生亡国論」を展開しました。

小田眼科医院理事長 小田泰子
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