ド―ム | 蝋画塾 Atelier Berankat のブログ

蝋画塾 Atelier Berankat のブログ

第二次大戦中に開発された、「蝋画」という描画技法を紹介するブログです。

         見ていてごらん、わしはこの草と、口で話をするからね。

         普通の人間と話すように、ね。 ―「ドリトル先生月へゆく」より

                             ロフティング:著 井伏鱒二:訳

 

 

8月上旬、広島市で被爆樹の落ち葉を採集した。

旅程の後半に到来しそうな台風の進路を気にしつつ、

レンタサイクルと路面電車の助けを借りて、

樹から樹へ巡り歩いた。

 

 

 

下の写真は、広島城址のお堀端にある被爆樹の1本、ユーカリの木。

枝や幹を激しく波打たせた異形とも言える姿は、

様々な種類がある被爆樹の中で、最も強い印象を受けた。

 

 

 

木の下に、ユーカリ独特の鎌形の葉がたくさん落ちていた。

持ち帰った1枚に写真を焼き付けてみると、やや薄い像が現れた。

落ち葉でここまでの像が得られるなら、木に付いている緑の葉なら、

おそらくきれいな像を結ぶ。

 

 

 

広島市は18日、昨年度に実施した、市内の被爆樹木全161本の樹勢調査

の結果を公表した。6割を占める95本は健全だが、4割の66本は生育状態

に何らかの問題があると診断。今後、定期的に調査し、「物言わぬ証人」の

保護に努める。 (ヒロシマ平和メディアセンタ-HPより…冒頭の18日は4月)

 

爆心地から約2キロ以内という、最も被害の酷かったエリアで被爆し、

再び芽吹き、現在も生き続けている木を選び、広島市では被爆樹木

として登録している。

 

私が見た被爆樹の多くは、一見して他の樹木と見分けがつかなかった。

たとえ幹の傷を目に留めたとしても、原因は落雷か、台風か、被爆か…

私にはガイドブックとプレ―トが無ければ、判別できなかっただろう。

 

 

広島城址 ユーカリ

 

これらの木々の多くは、被爆者よりも、私よりも、長い時間を生きる。

同じ地球上の生命でありながら、その生態が人とは全く違うため、

将来のある時点で、戦争で被爆を経験した唯一の生物になる。

 

 

鶴羽根神社 クロマツ

 

原爆ド―ムをはじめ、今も傷跡を残す建物は広島市内に散在している。

それらも物言わぬ証人だが、生き証人ではない。

被爆を生き延び、その後72年間成長を続けた樹々は、

ひとつの不思議な特徴を持っている。

      

被爆樹の多くは、爆心地へ向かって幹を傾斜させている…

最初に聞いたときは、聞き間違いではないかと思った。

爆風や衝撃波により爆心地から逆方向に傾いた、というのなら理解できる。

しかし、事実樹々は爆心地へ向かって傾いていた。

 

 

       

山陽文徳殿 ソメイヨシノ          縮景園 イチョウ

 

この現象に関して、前述の広島市の樹勢調査を担当した樹木医・堀口力氏

により「爆風の吹き戻しによる」とする説が16年前に出されていたが、

同氏も加わった2014年の筑波大学の調査では、それを否定している。

 

その筑波大学の調査結果に基づいた論文には以下のような記述がある。

一般的に樹木は一時的に傾きを生じても、その後の成長で元に戻ろうとするもの

であり、雪害によって傾いた樹木も次第に鉛直に戻る事例は多く観察されている。

 

同論文では、被爆により爆心地側の成長が鈍化し、反対側の成長は旺盛なため、

その成長の差が累積して幹が傾いた、という仮説が提示されている。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila/77/5/77_627/_pdf

 

 

調査対象とした樹と爆心地の位置関係。筑波大学・研究論文より

 

また、9月2日に行なわれたヒロシマ連続講座の杉原梨江子女史の講演

では、爆心地と反対側の幹や枝の方が肥大するため、その加重が成長と

共に幹を傾けていった、という新しい仮説が紹介されていた。

いずれにしても、現時点ではまだ明確な理由は解っていない。

 

報専坊 イチョウ

 

なぜ爆心地へ向けて傾いているのか、木は何も語らない。

神話や伝承、子どもの頃に慣れ親しんだ童話の中でなら、

人は動植物と自由に会話する世界を、容易に思い描くことができる。

まるで現実に経験した事があるかのように、あまりにも容易に。

 

人の遠い祖先は、言葉とは違う交流の回路を持っていたのだろうか。

言葉を学ぶ前の子供は、大人より動植物と近い場所にいるのだろうか。

自分にもそんな時代はあったはずなのに、何も憶えていない。

 

人間と密接な関わりを持つ言語空間を、他の生物は共有していない。

私には、戦争の種はその言語空間を土壌として育っていくように見える。

だから動植物には、人と人がなぜ集団で殺しあうのか理解できないだろう。

おそらく科学的な知見というものも、同じ土壌に蓄積されている。

 

比治山公園 クスノキ

 

植物は葉の光合成によって無機物から有機物を作り、

落葉は微生物により分解され豊かな土をつくる。

土の養分はまた植物に還流していく。

人はその循環をより深く知ろうとして、言葉で考え続ける。

 

風に乗って運ばれる種子、虫によって運ばれる花粉。

これらはどこまで異なった存在で、どこまで一体なのか。

共生・共進化という言葉で、どれだけのことを言い得たのだろう。

 

 

縮景園 ムクノキ

 

植物学者稲垣栄洋氏によると、木は葉から水分を蒸発させ、

その不足分を補おうとする力で、根から水分を吸い上げている。

この力で水を吸い上げる高さの限界は140mだという。

木は計算上、この高さ以上に成長できない。

 

植物には、そんな計算の意味は理解できないだろう。

おそらく彼らの知性は、彼ら自身を包む環境にも偏在している。

より高く花粉を運び、より遠くに種を飛ばすことができる彼らは、

自らの限界を知らない。

 

 

 

原爆ド―ムのすぐ近く、島病院の前に爆心地の碑がある。

この何の変哲もない街中の写真は、そこから空を撮影したもの。

この上空580mでウラン型原子爆弾が爆発し、広島の街は焦土と化した。

 

半径2キロ圏内でこの場所を取り巻く被爆樹たちが、その幹の傾斜のままに、

「ジャックと豆の木」に登場する木のように、雲の上まで成長を続けようとしたら、

やがて伸ばされた枝葉はこの上空に達し、巨大な緑のド―ムが爆心地を包み込む。

 

傷ついた大地に差し伸べようとした手、それがあの傾きではないのか。

彼らは爆心地上空まで、自らが成長できないことなど知らない。

きっとこれからも、この空を目指し続けるのだろう。

 

 

平和記念公園 アオギリ

 

人から人へ、戦争の記憶が手渡されようとする時、

その難しさに戸惑い、方策もなく立ち止まった時、

彼らはその傷を晒しながら、側らに静かに佇んでいる。

 

その時初めて人は自らの口を閉じ、

彼らの声に耳を澄まそうとするのだろう。

 

 

 

 

 

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簡単なものですが、蝋画技法の初歩を図解したPDFファイルを配布しています。

実習を伴う教室等で受講者に配布しているものですので、この資料を見ただけで蝋画

が描けるようになる保障はありませんが、よろしければ下記アドレスからご請求下さい。

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