これまでに何度か葉に焼き付けた兵士の画像、
この人物の写る写真は、アルバムに3枚残っている。
1枚は写真館で撮られた、葉に使用した写真、
後の2枚は、背景に中国大陸を思わせる風景が広がっている。
家の戸籍に目を通してみると、祖父の弟、私から見て大叔父が、
この人に該当する可能性が高いことがわかってきた。
昭和13年6月18日、日中戦争の最中に
山東省第4兵站病院で亡くなっている。当時29歳。
その2年前の昭和11年11月、大叔父は福岡県小倉市に
婚姻届を出している。相手の女性は福岡の人。
東京生まれの大叔父が、福岡の女性と出会った経緯はわからない。
結婚から中国で死亡するまで約1年半、
出兵した時期はいつだったのだろう。
新婚生活は1年にも満たなかったのではないか。
戸籍には、2人の間に女の子が1人生まれたことが記載されている。
その子の出生日時は昭和11年10月、別の箇所には12月とある。
婚姻届が出された11月と相前後している。
どちらにしても、出兵前に我が子の顔を見ることはできたのだろう。
大叔父の入隊していた部隊は「野戦重砲兵第六聯隊補充隊」。
その隊長が、大叔父の死を役所に届けている。
家族に届けたのも同一人物かもしれない。
遺骨も届けられたのだろうか。
大叔父と結婚していた女性は、
福岡大空襲を生き延びて、戦後別の男性と再婚している。
女の子がその後どうなったかはわからない。
生きていれば今年81歳になる。
縁もゆかりもないと思っていた九州・福岡という土地が、
戸籍のたった数行の記録で、急に身近に思えてきた。
調べを進めていくと、
アンパンマンの作者やなせたかしさんが、同じ部隊の所属だった。
もしや戦友だったのでは…と想像したが、
氏が入隊したのは大叔父の亡くなった2年後だった。
著書「アンパンマンの遺書」に軍隊生活の記述があるのを知り、
図書館から借りて読んでみた。
大叔父のイメ-ジを重ねようとしてみたが、うまくいかない。
入隊するとは「一種のファシズム」の世界に叩き込まれること、
読んでいてそのことは理解できても、その生活に慣れて、
身体も筋骨隆々になっていき、銃を手に行軍する、
そんなやなせさんを想像すること自体が難しい。
だからと言って、想像しようとすることを止めてしまったら、
戦争体験者が伝えようとする努力は水泡に帰してしまう。
前掲書には、アンパンマンの誕生に
戦争体験が影響を与えた事も書かれていた。
正義のための戦いなんてどこにもないのだ。
正義はある日突然逆転する。
正義は信じがたい。
ぼくは骨身に徹してこのことを知った。これが戦後のぼくの思想になる。
逆転しない正義とは献身と愛だ。
それも決して大げさなことではなく、目の前で餓死しそうな人がいるとすれば、
その人に一片のパンを与えること。
「アンパンマンの遺書」P61より
やなせさんと大叔父、2人の小さな接点は、
おそらく祖父母も両親も知らなかったのだろう。
ことさら調べようとしない限り、表には出てこない事だから。
私の小学校の入学祝いに、両親がプレゼントしてくれたのが、
やなせたかし第一詩集「愛する歌」だった。
偶然なのだろうが、個人的には淡い縁のようなものを感じる。
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簡単なものですが、蝋画技法の初歩を図解したPDFファイルを以下から配布しています。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/0af30761220259
注:これは実習を伴う教室や講座の受講者に配布している資料ですので、
この資料を見ただけで蝋画が描けるようになる保障はありません。