前回までの話をまとめると。地球から見た太陽の軌道、という、言ってみれば「架空の軌道」に12星座の名前を割り振り、「まるで実在の軌道であるかのように」扱うことにした。
どの星座が、どの位置にあるかは、じつは「太陽が地球にもたらす季節」によって定められており。
春分点:おひつじ座 0度
夏至点:かに座 0度
秋分点:てんびん座 0度
冬至点:やぎ座 0度
といった具合。そうして、軌道、とは言っても、距離感を伴わない、方角・角度だけでできた「架空の軌道」であるのを良いことに、「近くにある」月も、「遠くにある」冥王星も、同じ1枚の図のなかに載せることが、できてしまうのだった。
そんなふうにして、太陽や月や、太陽系の惑星ぜんぶの、「地球から見た方位・方角だけを」1枚の図に掲載したのが、ホロスコープ。だから、たとえば、火星と冥王星がコンジャクション(0度)と言ったところで、
地球から見た、火星の方角と、
地球から見た、冥王星の方角が、
同じ。
という以上には、なんの意味もない。
ところで。 ここまで故意に使用を避けてきた単語があって。それは「天動説」というワード。
「天動説」という言葉は、語そのものが持つ意義以上に、『無知と迷信の象徴』のようなイメージが、まとわりついてしまい、そうして、占星術は、いかにも天動説的な体系だ。
なにしろ、「地球から見ると、太陽や月や惑星たちは、動いている」という視点にのみ基づき、占うのだから。
ここまで過去数回分の説明において。
地球から見た太陽が描く軌道を、それは架空の軌道であるにもかかわらず、完全に計算できていた、という事実を示した。
このことは、「天動説的な」視点を持つ占星術師たちが、決して天動説そのものを盲信していたわけではない、という事実も、同時に示す。
なぜなら、ほんとうは動いているのは、太陽ではなく地球のほうだ、という認識なしには、軌道の計算など、不可能だから。
たったの、これだけのことを説明するのに、連載数回分を費やしたわたしもたいがいだが。
そこまで説明しておいて、同時に、
「占いには、科学的根拠など、ない」とも述べた。
軌道計算が、どれほど正確であろうと。そこには、とどのつまり、地球から見た方位・方角以外には何も描かれてはおらず、それについて、この星とあの星が「おなじ方角」とか、「ちがう方角」とか、言っているだけだからだ。
こんな意味不明な図を読むことで、現実世界での「なにか」を言い当てることができるなんて、オカルト以外の何物でもないだろう??
そう。だから占いはオカルトであって、科学的根拠など、全くない!
だが。よくよく考えてみたら、科学的と言えなくもない部分が、ひとつだけある。それは、統計的事実。偶然と呼ぶのは不可能なほどに、「確率が偏る」ことについて、だ。
科学的、とは、言い換えれば、唯物論的であるという意味だと前回述べたが、それとは別に、科学とは「再現性を重視する哲学」という見方だって、できる。
そうして、そちらの視点に立つのなら、占星術には、古来より大量の統計データが蓄積されており、それは異様なほど、よく当たる。
火星が東の地平線にある瞬間に生まれると、闘争心あふれる人物に、なりやすい。
冥王星が西の地平線に沈んだあとに生まれた者は、ハードワークに耐えられる。
月と海王星が特定の角度をとった瞬間に生まれた者は、どうにも夢見がち。などなど。
こうした例は、あなたに占星術の素養があれば、いくらでも挙げられるはずで。まえに話題にしたMC:土星や、火星/土星コンジャクション、火星と天王星のスクエアなども、その一例だ。
つまり。「なぜ、そうなるのか」という根拠は説明できなくとも、ある人物が生まれた瞬間の星の配置図と、その人物の性格/性質について、「たしかに、そのように、なりやすい」ということは、言えるのだ。
断定する、のは、やりすぎだとしても。
単なる確率論を、大幅に越えるレベルで、「このように、なりやすい」ということを、予測することなら、できる。
その点においては。 占星術とは、統計学である。
さて。
前回のラストで、あたらしい開運法、ないしは願望実現法を公開すると宣言してしまったので、わたしとしては、はやく、そこまで、たどりつきたい。笑
その開運法/願望実現法とは、このようなものだ。
まず、ある人物が、生まれた瞬間の星の配置図と、その人物には、関係がある。これが、占星術の基本前提だ。
ただし、それは人物には限定されず、組織やできごとやプロジェクトにも適用できる。国家の建国記念日や、会社・学校の創立記念日。大きなプロジェクトの発足記念日なども。年月日にとどまらず、時刻まで特定することができれば、その瞬間の星の配置図を作成して占うことができる。
そうして、よくよく考えてみると。
①なにかの「始まりの瞬間」を、何時何分のレベルで特定できれば、
②その瞬間の星の配置図を作成することができ、
③それについて、占うことができる。
それ以外には、制約など、なにもないことに、気づかされる。
(※厳密にいえば、ほかに、大まかな場所の情報も必要です。日本でいえば、都道府県レベルの。とはいえ、それがわからないということは、ほとんどありえないでしょう。)
「制約など、なにもない。」ということについて。
具体的に言ってみる。
とにかく、「始まりの瞬間」が特定できれば、「なにが」始まった瞬間なのかは、一切問われない。規模の大小、個人的か集団的か。具体的か抽象的か、なども一切。
もうひとつ。
なにかが「始まった瞬間」の星の配置図を読むのが基本だが、その「始まり」は自然発生である必要はない。
つまり。特定のタイミングの星の配置図の情報をさきに得ておいて、そのタイミングで、なにかを「始める」のでも、まったく何の問題もないのだ!!
そうして。星の配置図そのものは、たとえ数千年さきだろうと、じつは、すでに決まっている!
だから、占星術的な意味での「大安吉日」を、何時何分レベルで特定して、「その瞬間に、あたらしいことを、始める」ように、すればよいのだ!!
実際、第2次世界大戦終了後、インドはイギリスから独立するにあたって、占星術的に見て「もっとも良い瞬間」を、建国の日時に定めたのだという…。
ひるがえって、日本には、そのような考え方はなく。
日本の、いわゆる「戦後」という時代が始まった瞬間は、だれが考えても、1945年8月15日正午(東京)ということになりますが。
その瞬間のホロスコープを作成してみると、やはり、異様な、というか。すくなくとも健全ではない図が、出てきてしまうのです…。
つづきます。
ホロスコープは『メトロポリタン占星学研究所』さんよりお借りしました。
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