Development Studiesから日本を見る。 -6ページ目

Development Studiesから日本を見る。

ロンドン大学SOAS(国際開発学)での一年間と、旅行記を綴る。

最近ちょっと、中だるみしてきたんじゃないかと思う。

留学生活もちょうど半分。
8月の終わりに来たから、これで5ヶ月半。もし、9月半ばまで海外インターンをめいいっぱいして帰ったとしたら、あと7ヶ月。早めに切り上げて7月に帰ったら、あと5ヶ月半。

1つは、もう半年たったのだから、出来る事が当たり前じゃないかと、自らプレッシャーをかけちゃってる自分がいる。
授業についていけないなんて言うな、リーディングが終わらないなんて言うな。という具合に。

でも、実際、まだまだついていけない授業もあるし、全然成長していないんじゃないかと、もどかしさを感じることもしばしば。

もちろん成長はした。
以前とは比べ物にならないくらいに、いろんな角度から開発の問題を考えられるようになったし、実感をもっていろんな国のことを理解できるようになった。やっぱり、本場のアカデミズムに触れるのは違うし、いろんな土地に言ってみて、人と会ってみるのは違う。リーディングだって初めは「絶対に終わらない、むり」と思っていたものがなんとかなると思えるようになった。米英式の「議論」の立てかた、「主張」の仕方にも慣れて来た。

だけど、これは以前留学生の友人と話していたことなのだが・・
なんか、成長の限界みたいなのを感じない?
ってこと。

例えば会話力にしても、はじめの2、3ヶ月はぐんぐん伸びた。リスニングも。
その後の成長は、少し、はっきりしたものではなくなった気がする。

以前高校時代の英語の先生が「英語って成果が目に見えて伸びることもあれば、潜在期みたいな、目には見えないけど蓄えてるような時期もある。」というような主旨のことを言っていたけれど、それなのだろうか?


それから、冬休みにコペンハーゲンにも、北アフリカにも行って、別世界のような経験をして、
その後まだイギリスの生活にも慣れないままにエッセイばかりの期間に突入して、
なんだか目が回るようにいろいろやりすぎているのも原因かも・・

いろいろ見てくるのは大事だけれど、しっかりと反省をして、
課題設定をして、やっていかないと。


これまでの前半部は、「慣れること」が主眼だった。(とくに年末までの1学期)
こんどは、これまでのように日本との違いに適応していくような目に見えた課題ではなくて、じっくり、得たものを消化し、出て来た芽をあたためていって、質的に成長する期間。
新年になってから、それが見えないまま、前のような気持ちで居たから、なにも成長していないような感覚があったのかも。今年は、自分で、次のステップを見据えて、やっていかなくては行けない。



そうそう、自分にプレッシャーをかけてしまってるのでは?ということについては、
当初思い描いていたような像に自分が達していないのでは、という焦りから来ているような気がする。
それから、まわりとの比較で自分を評価してしまっているような気もする。

当初の予定とか目標とかだと、1年後に (1)英語を使いこなし (2)開発学の深い知識を得て (3) 自分の将来像を見定める! なのだけれど、
1もがっかりすることも多いし(たぶん、英語に慣れるとかの問題よりも、単語力とか文法とか、そういう知識の部分が足をひっぱってる気がする)、2はもっと、もっと勉強が必要だし(6月に控える試験に備えてちゃんと全てのリーディングを押さえて、自分なりの解釈をつくっておくことが必要だと思う)、3は日本に帰ってからの進路についてもまだはっきりしていない(もちろん、来る前よりも見通せることは多くなって来たけれど、まだ答えがこれだ!と決まったようなものは見えてない。たぶんこれは、こちらに居て見えてくるものというよりは、最終的に日本に帰ってからの勉強とか自己分析とかがあって決まって来るものだと思うから、焦らなくてもいいのかも。今は、いまできることに注力するのが得策か?)。

ともかく、それぞれのステップに注力していこう。
単語力とか文法なんて日本で勉強できたはずなのに、今頃?という感じだけれど。いつ始めたって、遅いという事は無い。ということを忘れずに。


それから他人との比較についてだけれど、
たとえば、ほかの日本からの交換留学生や短期留学生や、1年生のイギリス人の学生と比べたら、まあまあ自分って行けてるんじゃないか?なんて思ったりする事もある。いくらかいい点数のエッセイも書けたし、こちらの1年生の学部生に比べたら、経験からくる発想を議論に活かせたりすることも。

けれど、じゃあ、こちらに長年住んでいる日本人の学生や、3年生のイギリス人の学生と比べてみる。英語なんでまだまだだし、できる議論も、知識の量も、ヨーロッパの文化への慣れも、まだまだ。

そんな風に比べていると、がっかりしたり、調子に乗ったり。
でもそんな考え方では、自分自身が何をすべきなのかを見失ってしまう。だから、大事な事は
他人との比較ではない
ってこと。

自分は自分でしかなくて、
今の自分なりの課題を見つけ、成長していく事が大事。


なんだか当たり前のような話だけれど、
以前友人と話していて、日本の学生って他人との比較で自分を評価するところがあるという結論に至った。これまでの点数や偏差値だけでの縦の直線に並べたような評価とか、そういう教育がそうさせているのかもしれない。
自分も、まさにこれだったなと反省。


目標は、最高にユニークな存在感を出せる、パフォーマンスの高い人になる
こと。(なんかちょっとカタカナ語が多いですが、ユニークも、パフォーマンスも、日本語で表しにくい概念だと思う。)

自分にしかない事を、追求していく事。そのためには、他人との比較なんかしてる場合ではない。
でも、だからって使えない人になってはいけなくて、well-trainedを目指して自分を磨いていくこと。


留学という環境に居ると、自分の限界とか、取り組み方自体とか、そういうものにも反省が見えて来て、そこだけは成長してるなって思います。
というわけで、いろいろ反省でした。反省と目標ばかり並べてますが、たまにはこういうのも大事ですよね。
2010年のお正月。
こたつでみかんに、紅白歌合戦。年越しそばに、おせち料理に、初詣。という生活とはかけ離れて・・・

私が選んだのは、サハラ砂漠での年越しです!!


以前のブログに書いた、モロッコのZagoraというオアシスの街でのワークキャンプの最終日。New Year's Celebrationということで、まさに大晦日の日、参加者全員でぎゅうぎゅう詰めの車をチャーターし、サハラ砂漠へ。

道路は舗装されていますが、最初は2車線あったものが、1車線になり、舗装がなくなる・・
だんだんと道が狭くなり、小さな村につくと、そこで、20ほどのラクダがお出迎え。

ラクダに乗り換えて、さらに砂漠へ向かいます。後ろに見えていた村はなくなり、電線のようなものも見えなくなり・・
最後には、あたり一面なにも無い、キャンプ地に着きました。

Experience the World!-dessert1
ラクダに乗った一行は砂漠へ・・・


砂漠と行っても、よく想像するような、一面のさらさらの砂というわけではなくて、サハラでもほとんどはただの荒れ果てた大地なのだそうです。今回もその通りで、途中の道のりは、枯れたような低木がところどころ生えていて、ごつごつした岩に、まさになにも育たないような荒れた茶色い大地。もちろん、年に数回しか雨は降りません。

そういうなかで、モロッコの観光資源になっているのが、今回行ったMhamid砂丘と、Merzouga砂丘の2つ。砂漠のなかでもこうした砂丘でだけ、おなじみのさらさらした砂漠の大地に、風で砂丘が波状になっている、まさに物語のような光景が存在するわけです。

Googleマップではこのあたり。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&q=&vps=4&jsv=206b&sll=29.829997,-5.720358&sspn=0.037825,0.071239&brcurrent=h3,0x0:0x0&ie=UTF8&geocode=Fe4axwEd96qo_w&split=0


そして、ここは大事な観光資源であるがゆえに、地元の人が観光客用のテントを立て、ラクダを飼って、砂漠ツアーをやっているわけです。モロッコを旅している途中、現地の人から「ラクダ!ラクダ!さばく!」などと日本語でこうしたツアーの勧誘にあう事もありました。

だから、ここにいるいわゆるサハラの民族は、もう昔のように、ラクダをつかって貿易をするキャラバン商人をしているわけではない。音楽を奏でているアフリカ人も、実は、観光客向けのミュージシャンとして仕事をしている。

そう思うと残念ですが、そうした中でも、サハラの人々の風を感じることはしっかりできました・・・

Experience the World!-dessert camp Experience the World!-dessert2
左:砂丘の中のキャンプ地  右:満月とラクダ


Experience the World!-dessert house
現地人が使っているキャンプの中



大晦日の晩は満月。まさに、物語のような世界のなか、

伝統衣装を着たサハラの人々に、伝統音楽。

小学生くらいの子供も来ていました。父親がこの商売をしていて、彼は学校に言っているけれど、休みになるとここが好きだから来るんだとか。私たちからしてもすっごくいい場所だと思うし、地元の人たちもこの場所を愛しているのだ。この愛すべき場所が、観光地として、今は現金収入のために、現地人と観光客によってシェアされている。途上国における観光化にはもちろん弊害もあるし、先進国の人だけが一方的に旅ができるのは、格差の賜物かもしれないけれど。それにしても、素直に、地元の自慢できる場所で他の国の人々をもてなし、それをシェアしているなんて、なんだか素敵だなとも思ってしまいます。

そして、年越しは、キャンプファイアを囲んで、20、30人ものヨーロッパ人、アフリカ人が輪になって、各国の歌を披露する。そして、アフリカ音楽にのって、歌って、踊って・・・

気付くと夜が更けていました。

Experience the World!-new years celebration1 Experience the World!-new years celebration2
サハラでの年越し (左:国籍なんか関係なく、輪になって・・ 右:サハラの伝統衣装)



ただ、問題だったのは寒さ!

アフリカと行っても北アフリカなので、12月はしっかり冬。砂漠といっても、昼間もそれなりに寒いし、もう、夜になると凍るような寒さでした・・・

というわけで、一人、また一人と、
もう無理!寒いから寝る!なんて言って、キャンプファイアを後にしていきました。


にしても、本当にきれいな夜でした。

それから、ヨーロッパ内でも微妙に時差があるので、Happy new year for Western Europe! Happy new year for Eastern Europe! (モロッコの時間帯はイギリスと同じGMTで、ほかの西欧諸国よりも1時間遅い)なんて言っていたのも良い思いでです。なんて言っている間、日本では9時間前に年が開け、すっかり朝だったはず。

こんなお正月、きっと一生で最初で最後かな?
ロンドン生活が始まって、もうすぐちょうど半年。
はじめは、ホームシックにならないようにって、日本食も食べないようにして、手帳も英語で書いたり、日本人の留学仲間よりも英語で他の国の人と仲良くなるぞ!とか意識したりして・・そうして、やっと慣れてくる。

4、5ヶ月目を過ぎたあたりから、異国での生活が日常になってくる。

こちらに到着した頃、ただ、国籍が違う人と、違う言語で、違う土地で、違うものを食べ、違う気候で、違う生活習慣で・・生活そのものが新鮮で、困難に感じていた。今になって見ると、こっちで会った寮の仲間や、学校の仲間が、気の休まるよりどころになる。

きっと、日本に帰ったら、彼らの事を寂しく思うんだろうなと思う。

それから、フランス、イタリア、クロアチア、デンマーク、スペイン、モロッコと旅をした・・
英語も通じない国に旅をして帰ってくると、なおさらここがホームに思えてくる。

人間、どこに居ても、人と出会い、生活を営んでいる時点で、そこがホームになるんだろう。そうして、ほんとうに落ち着く自分の居場所・ベースと、たまには刺激を求めて行きたくなる異国との逆転みたいなことが起きる。海外経験の後、帰国後に日本の習慣や文化にショックを受ける、「逆カルチャーショック」という言葉があるけれど、おそらく帰国したら、今や「異国」かもしれない日本にそんな感情を抱くのだろう。


とはいっても、これまで育った日本の言葉、人、空気、自然、味・・・
いつになっても、自分の根幹にある、一番大切なホームであり続けるだろう。

久しぶりに、数年前のJ-popを聞く。
高校時代や、大学のサークルでのこと、試験勉強時代のこと。それぞれの時にちょうど聞いていた音楽が、いろんな記憶を呼び覚ましてくれる。


なんて、ふっと思ったら、寮でひとりでイヤホンで聞いてるんじゃなくて、思いっきり、日本語を話す友達と、カラオケに行きたい!なんて思ってしまいました。

こちらの飲み会・ソーシャル文化はちょこっと日本とは違う

例えば、飲み屋一つとっても。日本の飲み屋は、食事(おつまみ)とビールや飲み物を一緒に、座って飲むのが基本大学の飲み会なんかでも、事前に「席」を予約したりして、コース料理を頼んで、飲み放題にして・・。
でもこちらは、パブに行けば、席なんか必要なくて、立ち飲み。ビールは日本より多くて、安い。そのかわり、料理はサンドイッチやチップスや、良くてローストビースなど、褒められたものじゃないけど。だから、ちょっと話そうじゃないか!となったら、食事はとってきてから、遅い時間に会って飲みながらなんてことも多い。これは、イギリス人が食事にあまり重きを置いていない(?)からなのかも。

それから、ヨーロッパ人のホームパーティー文化みんなでワインを持ち寄ったりして、音楽をかけながら、カジュアルに会話が弾む。例えば誕生日だと、本人がいろいろと振る舞ってくれる。日本だとここのコミュニティの知り合いだけでこじんまりと・・などと既に仲の良い人通しでかためることが多いような気がするが、こちらでは人付き合いがすごくオープンで、主催者の知り合いがみんな集まって、ホームパーティーの機会にどんどん輪が広がっていく。


さて、もう一つ違うのが、飲み終わって、2次会、あるいは3次会となると・・
そこにカラオケが無い!ってこと。
あっても、バーのなかに着いているカラオケボックスではなくて、お店全体で共通のカラオケ設備だけ。

そう、こちらでは、カラオケ文化が無いかわりに、クラブ文化が盛ん。
というか、ロンドンではバーや飲食店が12時までには法律でしまってしまう(たとえばスペインとかフランスとかイタリアとか、ほかの西欧から来た人はみんなありえない!って口を揃えて怒ってます。日本人にしてもありえないけど。)ので、空いているお店はナイトクラブしかないんです。

というわけで、「クラブに行こう!」となると、みんなちょこっとこぎれいな格好をして、革靴を履いて、飲みにいくわけです。それで、良い時間になると、クラブへ。寮の仲間で行きつけなのが、Regent Street近くにあるこのDisco 24。
http://www.disco24.co.uk/
真っ白でシンプルな店内に、色とりどりのライトと、いい音響と、お酒と・・・。男女問わず、みんな上手に踊ります。

でもよく考えたら、日本の「カラオケ館」なんかに行っても、ギラギラ光る紫外線ライトに、十分なまでの音響設備に・・・。なんとなくイメージ近いなって思う。

つまり、仲間と、エキサイティングな雰囲気の場所で、音楽を聞きながら、歌うか、踊るかでエネルギーを発散しようとする若者のソーシャル文化が、この、クラブとカラオケに凝縮されてる。機能としては同じだけれど、形が違う。これが、共通点がありながらも違う、文化なのだと理解してます。

もちろん、勉強ばっかりもしていられないので、たまには飲んで、盛り上がって、というのは良いけれど・・。にしてもカラオケとは違うのです。

何が違うって、きっと、消費カロリーが断然違う(笑)。カラオケボックスに一晩行っても、もちろん座ったまま。ただ、順番がまわって来たら歌うだけですよね。それが、一晩中、座らずに、踊ってるわけです。半分叫びながら。

というわけで、J-popを聞きながら、久々に日本の文化が懐かしいなと思ってしまいました。