Development Studiesから日本を見る。 -5ページ目

Development Studiesから日本を見る。

ロンドン大学SOAS(国際開発学)での一年間と、旅行記を綴る。

さて今日は、SOASのELAP (Endangered Languages Academic Programme)が主催する、「Endangered Languages, Endangered Knowledge & Sustainability」(消え行く言語、知識と持続可能性)というワークショップに参加してきました!
http://www.hrelp.org/

ちょうど朝の9時半から5時まで。1日がかりです。
今週はEndangered Languages Weekというイベントが開かれていて、世界各国(アメリカ、カナダ、イギリスなど)からの研究者、学生がSOASに集まっている様子。

個人的には、環境・文化という点での持続可能性、地域の環境や固有の伝統文化などの保護に関心があったので参加してみました(昨年、マレーシアのイバン族の村にホームステイした時に感じた、近代化による伝統文化の喪失が問題意識。)。
内容はというと、かなりLinguistic(言語学)、Social Anthropology(文化人類学)の専門的なもので、ちょっと分野が違いすぎたかな・・・という印象。だけど、たまには異分野に顔を出す事も視野が広がるので楽しい。

いくつかの講義は具体的で、言語、コミュニティ、経済社会、教育、行政、環境などの複合的な関わりを取り上げていて興味深かったです。
例えば、Isle of Man、Uganda、North Caucasus、Arcticにおける研究事例。言語学・文化人類学者が、現地にどう赴いて、どういう記述、研究をして、どう地域と関わってプロジェクトを進めたかという報告がメインでした。これまで言語学・文化人類学者というと、「伝統文化を守る」一辺倒でやっているのかという先入観をもっていたのだけれど、どちらかというと、「そのコミュニティの人のために何が出来るか」という視点でより実践的な研究や提案をしていたのが印象的でした。
例えば、単に言語を維持するのではなくて、どうしたらその言語が行きた言語として生き残るのか、そこにはその言語が使われる場面、コミュニティがあるかどうかが重要で、それをつくるためにどうしたら興味をもってもらえるか、教育や、メディア、ゲーム等を使ったアプローチをしている人も居ました。

環境に関しては、とくにウガンダの事例で、Conservation(環境保護)が現地住民の権利や発展の妨げになっている事例がありました。特に、西洋の科学的な考え方を現地に適応してしまうと、彼らがもっているよりスピリチュアルな、indigenous(固有の)考え方を壊してしまうことになる。ある見方をすると、彼らの方がずっと環境のことを知っているのだとか。確かに、科学がコンテクスト重視というよりジェネラル化、モデル化に重きを置いていることを考えると、現地のコンテクストにおける問題は、非科学的かもしれないけれど、彼らにまかせたほうが良いというのは納得できます。

また、消え行く言語の保護が国際的に課題化されていった背景として、戦後のPost-materialism(ポスト物質・実利主義)、とくに先進国において物質や経済発展といった価値観以外の、より精神面の価値観に重きが置かれ始めた流れを紹介していました。既に物質的な豊かさが達成された先進諸国にとっては、伝統文化はポストマテリアリズムのなかで貴重なものに映り、一方で、いままさに物質主義が導入され発展していくさなかにある伝統社会では、伝統言語の重要性は軽視されている。論理も、価値観も二元的になってしまった世界だからこそ出てくるアジェンダなのかもしれません。そう考えると、一方的に伝統社会を守るように先進国の論理で押し付けるのも考えものです。

また、多くの研究者がMultilingulism(多言語使用)について研究していました。例えば、少数派がマルチリンガルになり、多数派がモノリンガルになる傾向とか。日本のように比較的単一民族、一言語がよく通じる国にいるとあまりしっくりこないのですが、特に多くの途上国で、多数の少数言語を抱えながら、旧宗主国の言語が政府の公用語になっているところが多い。イギリスやスペインにも少数民族、言語はあるし、国家の成立過程をみると、先進国でも過去に同じ事が起きていったにすぎないのかもしれません。

最後に、言語のサスティナビリティーではなくて、Fieldworkのサスティナビリティーという議論がありました。これは、fieldworker(ようは言語学者・文化人類学者)自身の研究環境をより整えるためにはどうしたいいかという話。たとえばファンドレージングや、その柔軟性など。これにはかなり真剣な議論が展開されていて、欧米の研究者がファンドレージングや研究分野自体の拡大に強い関心をもっている姿が伺えました。

この分野の研究者との話を通して、そういう世界もあるのだな、と、気づきのある一日でした。でも、私には文化人類学者や言語学者にはなれそうにありません。そんな、言語のオタクになんかなれない・・・
最近、面白そうなLSEのオープン・セミナーに良く行きます。
http://www2.lse.ac.uk/publicEvents/eventsHome.aspx

というのも、LSEのセミナーの講演者はなかなか大物だったり、政治経済の本筋という感じで、普段授業を受けている比較的左派なSOASとの違いをみるのが、とっても面白いから。

先日はLSEの学生サークル(?) Global Societyが主催するレクチャーシリーズに行ってきました。
「Global Governanceをどう達成するか?」
というタイトルで、世界の多極化が進む中、どうすれば安全保障、貧困、環境問題などの国際的な問題に対応しうるガバナンスを構築できるか、という内容でした。

それも、SOASでの議論に慣れていると、そもそもGlobal Governanceという概念自体に問題はないの?とか思ってしまいます。Bottom-up、People-centred、Community-basedといった草の根の立場をサポートする学生が多いSOASでは、よくそういう議論になるわけです。

一方、SOASのセミナーだと、アメリカの大批判をしたり、講師がマルキシストだったり・・・
何を批判する事も許される分、それは言い過ぎだろうという内容のものもあります。

また、そういう体制批判だけではなくて、世界各国の文化・言語・マイノリティについての研究が盛んなのもSOAS
今週はEndangered Languages Weekといって、消えゆく世界の伝統文化、言語について、映画上映、文化人類学者の講演会、ワークショップなどがあります。
http://www.hrelp.org/


どちらにしても、世界の政治経済の中心を担った(今も、それなりには)英国の首都、ロンドンだからこそ、議論の内容も「自分達が政治経済をつくっているんだ。これからはどうするか?」というような、主体的な観点が強いように感じます。

日本でグローバリゼーションの議論や、世界の多極化の議論を聞くと、
「世界はこうなってるぞ!俺たち、どうする?キャッチアップしなきゃ!」というような、なんだか受け身のような議論が多かった気がします。やっぱり体制をつくっている側というよりは、開発・経済でキャッチアップしただけの「成功した発展途上国」なのかもしれません。


たいがい質疑応答の時間がたっぷりとってあって、参加者も批判的な姿勢で、がんがん質問していく姿も、日本とはだいぶ違うように思います。


ー ー ー


さて、今日はLSEのサスティナビリティのオープン・レクチャーで
Prosperity without Growth (成長なき繁栄)
という講演会に行ってきました。

Tim Jackson氏という経済学者が書いた同タイトルの本の出版にあわせた、彼の提案についての報告会。
http://www.amazon.co.uk/Prosperity-without-Growth-Economics-Finite/dp/1844078949


内容は、ローマ・クラブの「成長の限界」(http://www.amazon.co.jp/%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C%E2%80%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%89%E3%83%8D%E3%83%A9-H-%E3%83%A1%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%BA/dp/4478200017)における警告に始まってからずいぶんと長い間議論されている、環境・資源制約にどう対応した経済をつくるか?というものですが、

昨年までの経済危機での打撃があった後だからこそ、参加者や講師の発言から、今の経済のやり方それ自体、経済的にサスティナブルではないのではないか?(環境的、社会的なサスティナビリティーはおいておいたとしても)という社会的な認識をひしひしと感じました。

経済雑誌のThe Economistの最近の記事をみても、
http://www.economist.com/printedition/cover_index.cfm

Feb 20th 2010 号のタイトルは 「What's going wrong in Washington?」

その前あたりには、「イギリスの経済はどれだけ壊れてしまったか?」というような主旨の記事があったし、

Dec 19th 2009 号では 「Progress and its perils」(進歩という概念とその危機:つまり、科学技術や経済成長といった「進歩」をすべて良いものという前提でこれまでやってきたが、実際、先進国の人々の間では漠然とした疑問が出て来ている。たとえば、ほんとうにこの「進歩」で私たちは幸せになったのか?というような。)が特集でした。

この経済危機を境に、潜在的だった近代化への不満や疑問が顕在化してきている時代にあるように思います。これを期に、経済の立て直しだけでなく、環境や南北格差についても解決できるような変革ができるのであれば良いのに、と思うのだけれど。



さて講演の内容ですが、

1.「成長」のジレンマ
 成長(growth)自体が持続可能でないというのはこれまで警告されてきたことだが、貧しい国々の貧困削減には成長が必要だということももはやコンセンサスがとれている。しかし問題は、なぜ先進国までもがこの成長にaddicted(中毒状態)であるのか?ということ。

 その背景にあるのは、De-Growth(成長不在)もまた不安定であるということ。労働人口と労働生産性がGDPを決めているなかで、この生産性を上げていく事が必要不可欠な前提条件になっている。

 ここで氏が説明する現在の経済のモデルは
  農業(経済)活動 farming←→農家(家計) Household の間で、消費、収入、投資、生産性の向上が繰り返されているというもの。特に、生産性向上と投資が重要で、ここに貸与(credit)という概念が広まり、経済のドライビングフォースになっているというのだ。

 このモデルが定着している理由は、経済構造(economic structure)と社会的ロジック(social logic)が背後にあるからだという。

2.新たな成長エンジン
 
 ここで、新たな方法としては
 1) グリーンテクノロジー市場を推進
 2) サービス中心の経済に移行

 があるという。しかし問題は、こうした経済はこれまでの経済のようにはいかない。そこまで利益がでないかもしれないし、時間がかるかもしれない。だからこそ、新しいモデルが必要なのだと。

 そこで彼が提案するモデルは
  人々(people)←→環境企業(eco entrepreneur) の間で、人々の参加(participation)とcapability(能力、可能性)の供与が行われる。そこに、環境システムとの間で、投資と環境サービス提供が行われるというもの。



さて、ここからは私の意見になりますが、

まず、先進国での成長を前提とした経済を「addicted(中毒状態)」言い切り、その原因に「De-Growth(成長不在)もまた不安定」と説明してくれたのは、よく整理してくれたと思いました。この本のタイトルが「成長なき繁栄」であるように、環境問題や資源問題の切り口だけでなくて、この経済自体をどうするか?というところが出発点になっている点も、いまの時代の感覚をよく掴んでいると感じます。

そして、いまの経済システムが疑問があるにもかかわらず変わっていない現状を、
経済構造(economic structure)と社会的ロジック(social logic)と説明している。つまり、社会的に成長を信じ、説得し、その体制を維持しているというロジックが、経済構造とあいまって続いているというわけです。この考え方は、経済を絶対のものでなく、つくられたもの(つくったもの)と捉えている。そこで、この構造を変革する道筋として、社会的ロジックを見直すことがあるわけです。このリベラルさはイギリスらしいなと感じました。

最後のモデルについてですが、participationとcapabilityというのは、開発学のなかでも近年よく出てくる言葉です。例えば、participatory development ということで住民参加型の開発プロジェクトとか、地域住民や政府関係者のcapabilityをつけるとか。これらの言葉がでてきた背景は、上からの押し付け型のプロジェクトや、途上国の人々自身のcapability、能力をつけないでただ制度や技術を移転するだけの開発援助が持続的でない、ということに気付いてきたということがあります。このボトムアップ、住民中心型の概念を経済に導入しようとしている点は素晴らしいと思う。

しかし、このparticipationやcapabilityという新しい言葉を使っているからこそ、既存の経済との整合性が気になります。本には書いてあるのかもしれないけれど、この新しいモデルの中で、既存のマーケットメカニズムは存在するのか?あるいは、participationとcapabilityを評価するための新たな指標が、商品市場、労働市場とは別に存在することになるのか?、はっきりしません。また、マーケットのひとつの大きな役割である、最適な資源配分(efficient resource allocation)をどう達成するか、という視点に欠けています。この点について質問したところ、equable(平等な)資源配分が大事だと言っていました。たしかに、efficient(効率的)という言葉の意味は不明瞭で、いまの経済が「効率的」とうたうのはそのセオリーにおいてであって、そうではない可能性も十分にあるのかもしれません。しかし、では、平等な資源配分をどう計るのか、決めるのかというのも非常に難しい問題です。この資源配分は利益が直にぶつかりあう部分なので、何らかの客観的な(に見えうる)ロジック(現在の経済の「見えざる手」のような)が必要になるのではないでしょうか。

一方、環境システムを投資の対象(つまり、環境を維持、管理、向上する)として捉えている点は素晴らしい。地球環境がただ搾取する対象ではなく、投資し、そこからのリターンとして環境サービスが提供されているのだと捉えれば、環境対策も一段と進むのではないかと思います。ただし、この投資とリターンの関係性が企業や設備、インフラへの投資とは違って、自然環境なので評価や理解が難しいというのが課題です。この自然環境への投資という概念の実現には、経済と、自然科学が手を結ぶことが必要なのではないでしょうか。


以上、少し長くなりましたが、講演会の報告と感想でした。
イギリスの飯がまずい!!
というのは有名な話ですが、朝、晩と、食事付きの寮で出される料理に、日々のやる気を削がれています(汗)

そのひどさは、なんとイギリス人が酷評するほど

「今日のはヒドいね。なんだこのスープは。」とか、
たまに伝統っぽい料理が出ても、「こんなのイギリス料理じゃない。」とか、

毎晩の食卓で、食事ののまずさが必ず話題に上るというほど。
イギリスでは曇ったり、雨がふったりしがちな天気の話も多いですが、寮では食事の話が日課です。


また、食べているほうの食べ方もヒドい。

茹で過ぎのパスタには、
塩、コショウをかけて味を調整
します。

スープにも、まずいのでコショウを少々。

茹でただけの野菜には味がついていないので、ケチャップかソースが欠かせません



そんなロンドンの寮生活ですが(もちろん、外へ行けばおいしいイギリス料理も(たまには)あります)、
私の生命線になっているのは・・


らいすわいんショップ

という日本食スーパーマーケット!!
http://www.ricewine.f2s.com/

Piccadilly Circusから北へ少し入ったところにある、Brewer Streetという細い通りにあります(Regent Streetのすぐ脇)。ここには、日本食レストラン、ラーメン屋さん、寿司やさんもあって、まさにリトル・ジャパン という感じ。



月に1回くらいは買い出しに行くのですが、今日も行ってきました・・・

その内容はというと、


Experience the World!-japanese ingredients


今日はほんとに基本的なものだけそろえて、

全部で15£(2300円)ほど。
これで、2000円越えです。とはいっても、ロンドンにはおもな日本食スーパーが3つあるのですが(三越のとなりにある有名な「Japan Centre」、らいすわいんの近くにある「ありがとう」)、らいすわいんが一番安い!

日本にいる方からすると、高すぎるでしょうか?それとも・・・?
(なんだか、物価の感覚を忘れてしまいました;)


左から、
出前一丁のラーメン(1袋45p、70円ほど) でも、ヨーロッパ製です。工場があるみたい。そして、味もすこし違う?

焼きそば3玉セット(2£、300円ほど)

素麺500g(2£、300円ほど)

お茶漬けの素(8食入りで2£、300円ほど)  味の素は最高です。

つゆの素500ml(3.5£、500円弱)  これがすごく便利で、なんでも日本の味になる。かつおと昆布だし。

マルコメのインスタントみそ汁(12食入りで1£、150円ほど)  こちらのインスタントスープより安い?

五目チャーハンの素(3食入りで2ポンド、300円ほど)  懐かしくて買ってしまいました。

冷凍納豆(4食入りで80p、100円強)  冷凍なので1年持ちますが、冷蔵庫に入れておいたところ、先日クリーナーに捨てられました。やっぱり奇妙なのかな。隣の部屋に住むイギリス人に食べさせることを計画中。



他にも、日本のお菓子、お茶、お酒から、お米、漬け物、梅干し、それから冷凍の餃子、枝豆、おでんセットまで売ってます。
でも、だいたいのものは法外に高い。今回選んだのはほんとうに安いものだけなのですが、日本食だあ!!とか調子にのって買っていると、簡単に30、40£までになってしまいます。



あとは、日本のご飯を電子レンジで炊ける容器(ダイソー製)を見つけたので、お米も炊けます。

ただ、日本にあるような野菜や、魚(えびと、鮭と、白身魚くらいしか)や、肉(ソーセージやベーコンしかない)も無いけれど・・・


これで生き延びられる!!

というわけでさっそく、つゆの素を使ってだし巻き卵を作りました。
レパートリーは少ないけれど、こんなに日本食がそろってるのも都市部だけ。ロンドンで良かった、と思う瞬間です。