Development Studiesから日本を見る。 -3ページ目

Development Studiesから日本を見る。

ロンドン大学SOAS(国際開発学)での一年間と、旅行記を綴る。

ウガンダでの1ヶ月のインターンシップがついに終わり、ロンドンに帰国した。
途中、アムステルダム経由便だったのだが、ヨーロッパに降り立った瞬間、なんともいえないような不慣れな、不思議な感覚に陥る。

いわゆる逆・カルチャー・ショックである。
例えば、日本からの海外旅行者や留学生が長く海外にとどまった後に帰国した際に、逆に日本の文化に違和感を覚えるのがその例だ。

私の場合、ウガンダに着いた後1週間は現地に慣れなかったが(前回、前々回のブログを参照。)、今、ヨーロッパに帰ってみてこんどはこちらにショックを感じてしまったのだ。

毎日歩いていたカンパラの、穴だらけの、未舗装道路。それが、きれいに整備されたロンドンの町並みに変わる。

熱帯の緑ばかりの木々はもうない。ロンドンではかわりに、涼しげな木々と、桜が咲いている。

道行く人に「外人!」「中国人!」と声をかけられることもない、平穏で、ミックスカルチャーなロンドンの人々。

銀行やデパートの前に大きな十を構えたセキュリティガードはもういない。家に頑丈な塀はない。しかし、それでも安全は保たれている。

自動ドア、自動水洗トイレに違和感を感じる。まともに信号を見て道路を渡ったのも、暖かいシャワーも、エレベーターを使ったのも1ヶ月ぶりだ。蚊帳なしで寝られるのも快適で仕方がない。

洗濯物も全自動で簡単に済んでしまい、電子レンジでおいしいご飯が手軽に作れる。手で洗濯をし、木炭に火をつけるのに手こずる必要も無い。そんな、生活自体が便利で、自動化されているからこそ、生活の基本はさておき、仕事や勉強に集中できる。

こぎたない乗り合いタクシーはなく、きれいに整備され、計画的に動くアムステルダムの公共交通。環境配慮からか路面電車が走り、人々は自転車を使う。ウガンダでは考えられない。

スロードラッグも、同性愛も自由で、まさにモダナイズされたアムステルダム。HIV防止のためにコンドームではなく禁欲が推進され、同性愛者が死刑にされるウガンダとは違う。


モダンからポストモダンへと映りつつあるヨーロッパ。
全てに今は慣れる事ができず、ぽかんと、空を見上げながら、大学への道を歩くしかない。


大学に戻る。

セキュリティの授業で、National Security、Private Security、Human Securityといった用語がでてくる。ウガンダで実際に見た、プライベートセキュリティ(家の高い塀や、銃をもった私用警備員が、警察にかわって富裕層の安全を守る。)を思い返す。人間の安全保障から考えると、ウガンダのスラム街の人々は、その安全保障の網から漏れてしまっている。

開発経済の授業では、ウガンダのケースタディが出てくる。世銀・IMFの構造調整プログラム以降、自由化、私有化に成功した例として扱われる。もちろん、治安はよく、悲惨な状況ではなかったが、スラム街や未だに有料の医療と基礎教育、ひどいインフラを目にした今、手放しで成功例だということに納得することはできない。



現場に行くと違う。本で読む世界と、授業で聴く世界と、ニュースや映画で見る世界。それは、理屈が通っているようでいて、でも、ただ単に想像と論理の世界でしかない。
現場には、生活があって、人が居て、そこは泥臭くて、リアリティがあって、動いている。


今回、ウガンダに行って、スラム街に毎日足を運び、彼らと話した。仕事では、マイクロファイナンスと成人識字教育プログラムのアセスメントをするために、受益者にインタビューをし、それを分析した。そのなかで、スラム街のスタンダードに立って、物事を深く考えた。

そして、パースペクティブが180°変わった。

私たちのプログラムの受益者のなかでは、1日1ドルの生活は良い方であった。

豆と小麦のケーキだけの食事も、1日1食は普通。2食あれば、それも良い方である。

支援なくしては、教育のためのお金は払えない。病気に倒れたら、薬を処方してもらえない。実際、数錠の薬で治るはずのマラリアで苦しむ人にも会った。


いままで、安いものだと思っていたものが、贅沢で、高級なものに映る。例えば、ピザやハンバーガーはロンドンでは最低ランクのジャンクフードだが、ウガンダでは高級品であった。小さな寮の部屋も、快適に思えて仕方ない。スラム街では、彼らはもっと小さい部屋に、4、5、6人もの子供と母親が住んでいた。ガスコンロも電気もトイレも、もちろんシャワーもない。トイレはビニール袋で、食事は木炭のストーブでつくる。

ウガンダで、普通だと思っていたものは、ロンドンには存在しない。豆と小麦だけの食事は、探してもほぼ手に入らない。寮のいままではまずくて食べられないと思っていた食事も、スラムに居たスタンダードからしたら、栄養満点で、高級な西洋料理だ。


自分が逆カルチャー・ショックを受けているということもあるが、実際にそういうスタンダードで暮らし、その生活のなかで楽しみ、笑顔を見せてくれる人々がいるということを知ったのだ。

もう、勝手な北の国の視点で、彼らが不幸だと決めつけたり、助けなければならないと一方的に語ったり、そういう勝手なことはしない。評論家ではなく現場を知ること。そして、彼らのスタンダードに立って考え、彼らの声に耳を傾けることが大切なのだ。
今日はウガンダの物価の話について。

よく、途上国を旅すると、物価レートのせいで、なんでも安い!という印象を受ける。実際、ドルや円を使う先進国からの旅行者にとっては、確かに物価は安い。
例えば、東南アジアのマレーシアでは物価は日本の1/3ほど。シンガポールでは2/3ほどであった。つまり、同じ金額で、3倍食べて飲んで、旅を楽しめてしまうのだ。

しかしどうも、東南アジアとウガンダでは様子が違う。
東南アジアでは「安く、何でも手に入る」という印象であった。食事も飲み物も、交通費も安くて、インフラは整っていて困りはしない。電化製品も、生活用品も日本より安い値段で、揃っていた。

それがウガンダではどうも、「いくらかのものは安い。他のものは高いか、手に入らない」という印象なのだ。例えば、ローカルフードであるキャッサバのフライや、チャパティという小麦粉のパンケーキ、豆の入った春巻きは現地では100~800ウガンダシリング(つまり、5円~40円ほど。)と安い。交通費も、100km離れた町までの乗り合いタクシーが6,000シリング(300円)である。ところが、輸入品の調味料となると数千シリング(200~500円)となり、紙や、英語の書籍(20,000~50,000シリング = 10~25ドル)も欧州で売られている値段より若干高い。そして、コンピューターなどの電子機器もやはり、欧米や日本よりも高いのだ。

そうしたものは現地では一般的でないか、あるいは一般的でないためか、輸入に頼っている。世界の工業地帯でもある東アジア・東南アジアとは違って、工業化の進んでいないウガンダは時には隣国のケニアから、時にはさらに海を渡って輸入しなければならない。海外から輸入する以上、その価格は輸送費などを付加され、輸入先の国(たいがいは、ウガンダよりも物価が高い)でのものよりも高くなる。

そうしたためか、いくつかの商品は容易には手に入らない。例えば、ローカルのキヨスク(小さな商店)に言っても、チョコレートやケーキといったお菓子は手に入らず、あめ玉とクラッカーとソーダ(コークなどの炭酸飲料)だけ。チョコレートやアイスクリームは、大きなスーパーや欧米人が出入りするお店に行くと、高い価格で高級品そうに置いてある。
それだけ、庶民にとって、そうした商品を買うのは一般的ではないのだ。

こうした物価の違いを、搾取だとか、ネオ植民地主義だとか呼ぶ場合があるが、その視点に経ったときの私の印象はこうである。東南アジアは世界の貿易構造に十分に取り込まれ、物価も安く抑えられている一方(これを「搾取」と呼ぶかどうかは価値観の問題である。)、モノも手に入る。しかし、ウガンダはその「搾取」される以前のバックワードで、十分に貿易をするインフラもなく、物価はもちろん安いが、モノも手に入らないのだ(それゆえ、モノによっては物価は高い)。


さて、タイトルに 1ウガンダシリング = 1日本円? と書いたのは、現地の実感レートの話である。

ウガンダではウガンダシリング(Ush、記号は日本円の「¥」の代わりに 「1,000/=」などと書く。)が使われている。
レートは
US 1$ = 2,000 ウガンダシリング
UK 1£ = 3,000 ウガンダシリング
ほどだ。つまり日本円だと、

1 ¥ = 20 ウガンダシリング
あたりになる。

ローカルフードのチャパティ(パンケーキ)に卵焼きを巻いたエッグロールは、800~1,000シリング(30円)ほど。ペットボトル入りの水は500シリング(25円)。ローカルの普通のレストランに行くと、ビールやチキンのスープにライス、バナナがついて5,000シリング(250円)で食べられる。

しかし、これを安いというのは、先進国からの旅行者だけの話である。

カンパラにある飲料水、炭酸飲料の工場で働く青年に、月々の給与を聞いてみると、100,000シリング(5,000円)だという。毎日、夜の7時から朝の7時までの夜勤を休まず続けての給与である。ソーシャルワーカーに現地の平均給与を聞くと、月に200,000シリング(10,000円)だという。つまり、一日あたりは2~4ドルだ。

これでも良い方だ。スラム街では、上手く言っている個人ビジネス(野菜を売ったり、小さな露店のレストランを開いたり)からの収入が、1日に5,000シリング、3,000シリングという声を聞く。つまり、1日1ドル、あるいは2ドル以下だ。これが、人によっては週に数千シリングだけという声も聞く。


ここで、一つ気付いた事がある。日本の大卒の初任給が200,000円、アルバイトで1日6000円稼ぐと、月に20日働いて120,000円。つまり、ウガンダ人が稼ぐシリングでの月給と同じとなる。

つまり、為替レートは1日本円 = 20ウガンダシリングだが、現地の給与から考えると、日本人にとっての円と、ウガンダ人にとってのシリングはほぼ同じ実感価値なのだ。


この実感レートで考えていくと、現地の物価は相当高い。
1,000「円」のエッグロールは高めのランチだし、100「円」のキャッサバフライはちょっとしたお菓子。800「円」の炭酸飲料も毎日飲むには少し高い。5,000「円」のウガンダフルコースのディナーはごちそうだし、10,000「円」のピザとなっては超高級料理だ。


これを「貧困だ」とか「貧しくてかわいそう」だとかで片付けるわけにはいかない。一人一人が何時間働いたかや、どれだけの価値を生み出したかだけでなく(もちろん、教育レベルが比較的低いウガンダでは、生産性が日本より低いであろうことは推測がつく。)、アフリカの内陸という立地や、国内に競争優位性が十分にある産業が無いといったマクロ経済的、あるいは構造的な理由で、為替レートが決まり、それが人々の生活を左右しているのだ。

だからといってその差を是正しようというわけではない。だが私は、現地で友人となったソーシャルワーカー(欧米の立派な援助機関から雇われている大人だ)に、隣町から私に会いにくるための交通費を補助してくれないかと頼まれ、食事を自然とおごってあげたことを、忘れるわけにはいかないだろう。
ウガンダでの生活ももうすぐ2週間が経つ。残りが2週間なので、これで折り返し地点。

ウガンダに来て、スラム街で働いて、旅をして、街を歩いて、ものすごい量のショックを受けた。
カルチャー・ショックというものには、この1年間、ロンドンでの生活と、数えると15カ国以上を旅して、慣れている。また、SOASでもアフリカの貧困や、文化の違いをどう認識するかについてさんざん議論してきた。
だから、「違う」という事実自体には驚かないし、「違ってあたりまえ」だと認識することはできる。だが、今回はこれまで訪れたどの国とも違うのだ。

到着してしばらくすると、まず、ここが私が訪れたこれまでの国のなかで最も貧しい国であろうということに気付く。
観光地でありアラブ世界のモロッコも、砂漠地方にまでしっかり整備された道路があったし、マレーシアは工業化に成功し先進国に追いつく勢いで、ジャングル のなかにも政府の学校が設置され教育が行き届いていた。タイには日本の援助で作られた高速道路や通勤モノレールがあったし、フィリピンの首都、マニラに は、貧しい人々は多いものの、豪勢で近代的なショッピングモールやホテル街、ビジネス街があった。
ところが、ウガンダにはそれすらない。

宿泊しているゲストハウスからNGOの事務所に通う途中、道路に空いているいくつもの大きな穴。おかげで車は左右に迂回しながら進まなければならず、中央 線という概念すらない。車のすきまを、「border border」というバイクタクシーがスピードをつけてすり抜けていく。片道1$ほどで私もよく使うが、ひどい事故も多いのだと言う。

カンパラにも舗装されていない道路も多い。赤土ででこぼこした道に、どこかしこにと刷れられたビニール袋やらのゴミが埋まっている。スラム街だけではない。一部の中心の一等地を除き、全体的にともかく汚い、というのがカンパラの印象だ。

鉃道は、西部の銅山から東のケニアの海岸線まで引かれているが、いまは動いていない。カンパラ郊外から中心に歩いて通勤する人々は、線路の上を歩く。おそらく、そこがもっとも安全で近道だからであろう。

ウガンダでは自動車の9割方が日本の中古車だ。TOYOTA、NISSAN、MITSUBISHIといったロゴが国中にある。どこの中古輸入業者がマーケ ティングに成功したのだろうか、日本製の車は良いとみなが認識しているようだ。おかげで、トラックには日本の個人商店の名前「○○商店」「○○有限会社」 といった字が残っていて、スイミングスクールの送迎バスが都市間バスに改造され、フロントガラスをみると「国土交通省 平成○○年度」という登録証が残っている。

地方を訪れた際は、乗用車をタクシー代わりにして人々が商売をしていた。初めて、5人乗りのトヨタ車に、子供2、3人を含むが11人が詰め込まれる。後ろに7人。運転席には運転手と、もう一人。助手席に2人。もちろん、シートベルトという概念などない。

そして、スピードメーターの故障したトヨタ車を、100kmもあろうかのスピードで運転していく。バイクタクシーのスピードメーターも、動いていない。 そして、途中でガソリン切れになる。盗まれたときの対策か、ワーキングキャピタルを減らすためか、タクシーはガソリンを常に少ししか積んでいないのだ。

街中を走っている乗り合いバスは、トヨタの古いミニバスを改造したもので、20人ほどが乗り込む。すべてがこの種の日本の中古車なので、よくここまで集め たものだと関心する。地方からカンパラ行きの乗り合いバスに乗ると、足下になにか麻袋がある。そして、途中、何かの鳴き声が聞こえる。足下をみると、鶏が ばたばたして自分の足を蹴ってくる。そうだ、私たちは輸送中の鶏袋と一緒にタクシーに載せられていたのだ。

地方には未舗装道路が何十kmも続き、おかげで車は20km/h程度で進んでいた。工事中の道路には砂が舞い、十分に前を見通すことができない。リゾート 地のとなりに、歩いて10分ほどで「City」があると聞いて歩いたが、少しの商店が並んでいるだけで何も無いと思って通り過ぎてしまう。しかし、その集 落のようなものが「City」であったことに気付く。

そして今、ガソリンが高騰している。アメリカ人に聞くと、アメリカ国内よりもウガンダのほうがガソリンは高いのだと言う。輸送ルートでなにかあったのだそ うで、ゲストハウスのコンロのガスは供給されていない。おかげで、食事をつくってくれるメイドは木炭に炉で火をつけて、調理しなければならない。もちろ ん、電子レンジや洗濯機などというものはない。マーケットには、木炭や薪が日常生活品として供給されている。

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自動車だけではない、多くのものが中古品で売り買いされている。街で見かけた青年は、「metropolitan art museum」というおそらく中古のTシャツを大切に来ていて、女性は「staff」と大きく書かれた赤いTシャツを日常着にしていた。道ばたのマーケッ トには、中古の靴、衣服が並ぶ。どれも洋服だが、どこから来たのだろうか。もしかしたら、北の国から援助として運ばれて来たものが、いったん使われて売ら れたり、横流しされて、売られているのかもしれない。

周囲で最も発達しているのはケニアだが、紅茶、調味料やアルコールなどの日常生活品のいくつかはケニアから輸入されている。それに対して、東アフリカで生産していない、輸入品のチーズや、西洋ブランドの調味料などは法外に高い。

電気製品などとなるとアフリカ外から輸入される。ウガンダにはこれといった工業がない。一部、ミネラルウォーターや石けん、ジュースなどはカンパラの工業 エリアで製造されているようだ。しかし、工業エリア付近を歩いていたら、煙が舞い、何かが混ざったようなにおいが漂っていた。環境対策などという気配も感 じられない。

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そして、私にとって初めての、マクドナルド、ケンタッキーが進出していない国だ。ウガンダの食事は質素で、学校給食や一般の貧しい人々は、小麦を似てペースト状にしたものや、キャッサバと、豆を煮たものを食べている。スラムでは一日1食か、それすら食べられない人も居る。

ホテルでも、結婚式の食事であっても、出てくる食事はだいたい予想がつくのだという。豪華なウガンダ料理のレシピは限られる。甘くない食用のバナナを練っ たものと、ライス、茹でたジャガイモ、さつまいも、ビーフ、マトンなどのシチュー、ビクトリア湖からの白身魚のフライ、ピーナッツソースなど。町中ではイ ンド風の春巻きや、揚げパン、パンケーキに卵焼きを挟んだエッグロールが売られている。それ以上のバラエティーはない。

US1-2$出せば肉のシチューとライス、デザートのバナナが食べられ、町中のエッグロールは0.5$。だが、ここではハンバーガー、ピザなどは高級品 だ。西洋世界と変わらぬ値段、たとえば3-10$などで売られている。カンパラには西洋風のファストフードはいくつかあるが、数えるほどしかない。

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彼らに取って、日本人は 「ムズンガ」(おもに白人であり、外国人のことをさす現地語)であり、「チャイニーズ」として認識される。


カンパラの街では「Helo. チャイニーズ.」とタクシードライバーから声を書けられる。笑顔で、I'm not. Japanese. But kind of Chinese.だと返す。彼らには大ざっぱな認識しかない。白人と、インド人と、中国人だ。子供に、お前はジャッキーチェーンに似ていると笑われたら、 まだ良い方だ。なぜなら、彼らは東洋人をテレビでも良いから知っているのだから。(もちろん、カンパラには日本人も済んでいるし、日本食、韓国料理レスト ランも1件ずつ、中華レストランも数件ある。)

田舎の街では、それすら言ってくれない。子供達は、笑顔で私に向かって「ムズンガ」と話しかける。彼らにしてみると、東洋人も、白人も、みなアフリカ人ではない、「白人」なのだ。

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格差にも気付かされる。スラム街の人々の多くは基礎教育を受けておらず(受けていても、小学校1、2年ほどまで)英語を話す事ができないし、読み書き、計算もできない。生活を改善しようにも、小さなビジネスを始めるお金すらない。

それに対して、英語を話し、大学に通い、コーヒー商売や、森林プランテーションなどのビジネスをする中、上流層。カンパラにあるマケレレ大学は、一時はロンドン大学の学位を授与していた時期もあるくらいの、エリート大学だ。

知人の知人を訪ね、マサカという地方でプランテーションビジネスと建設資材の製造のビジネスをする人を訪ねた。森林のプランテーションには収益を上げるま でに15年がかかる。それまでのキャピタルを手にした人だけが着手できるビジネスだ。しかし、輸出先は東アフリカに限るのだという。それは質の問題かもし れないが、彼はマーケットがないのだという。産業のボトルネックになっているものに、インフラの問題は相当大きいであろう。地方で見た、未舗装道路と止 まった鉃道。ウガンダは海からはなれたランドロックカントリーだから、港の近くに工業地帯を作るというわけにはいかないし、不十分なインフラでは配達の遅 延なども起きるであろう。そうすると、北のマーケットのニーズにマッチすることができない。

彼はまた、政治の腐敗についても語った。国連やNGOなどの援助機関が物資を支援しても、半分も必要な人々のところに届かないのだと言う。時には、9割り 方が官僚の手によって横流しされ、無料で届くはずの薬は病院では不足し、横流しされた薬は薬局で有料で売られている。その差額は、官僚やその他の支配層の 手に入るのだという。時には、国連職員自身がその腐敗に関与することもある。彼らにしてみると、これはみんなが知っているが変える事の出来ない、常識なの だという。

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スラム街では、目の前に、貧困の尺度といわれる「1日1$以下」(新しい指標では1.25%)で暮らす人々が居る。コンゴやルワンダ、ウガンダ北部の内戦 からの避難民も多く、母親だけで、4-6人もの子供を育てている。父親は、離婚したり、病気で無くなったのだと言う。あるいは、アルコールばかり飲んでい て手助けをしない父親もいる。

子供の中には、常に鼻水をたらしている子も多い。その多くは、母子感染でエイズに感染しているのだという。そしてそのエイズのケアをNGOが提供するが、日和見感染が発症するまでは症状もあまりないため、ケアの薬の服用を勝手に辞めてしまう人も多いのだそうだ。

先日訪れた家は、連日の雨で、泥をかためて出来た家がつぶれてしまっていた。

彼らの仕事は、スラム街のなかに小さな露店を開き、野菜を売ったり、木炭を仕入れて売ったり、簡単なレストランをしたり、あるいは他の多少裕福な層に雇用 されている。男性は、建設などのカジュアルレイバーとして働く。毎日の収入は1$ほど。毎日のお金のやりくりは、今日、明日という時限で使われ、貯蓄や投 資、ビジネスの拡張などにはほど遠い。

「衣、食、住」
という日本の言葉の、その大切さが、基本的な生活にまず苦労する人々を目の前にして、身にしみて感じられる。

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そんな中でも、ウガンダ人はフレンドリーで丁寧だ。(時間がゆっくり流れているので、日本人からするとルーズということを除くが。)街を歩いていて、レストランで食事をしていて、いろいろ手助けしてくれる人に何人も出会ったし、友達も何人か出来た。

そして、スラム街の苦しい生活にあっても、子供は元気いっぱいで、歌ってくれたり、笑顔を見せてくれる。


こういうアフリカのことを、西洋人は
TIF, This is Africa.
と表現する。

アフリカの未開の状況、ゆっくりした時間と人々、そして文化の違いのどれもが混ざったなんともいえないカルチャーショックのことを、そう呼ぶのだろう。