今日はイギリスの大学の試験について。
イギリスの大学の試験は、ひょっとしたら世界で一番難しいのじゃないかと思う。
というのも、タームごとではなく、1年分をまとめて出題する「学年末試験」制度だからだ。
この響きがなんとも中学、高校時代を思い出す・・。
アメリカでは前期、後期のそれぞれに期末試験があり(日本と同じ)、
ディスカッションの授業への参加度、エッセイ、出席などそれぞれが総合評価されると聞いたが、
イギリスではまさに、一発勝負である。
だいたい、ターム毎にエッセイがあって、それが成績の30%(1、2タームで2本書いたら15%づつ)、
最終試験が70%である。
それに、授業の出席やディスカッションの参加度はいっさい加味しない。もちろん、大量のリーディングや「ディスカッションに参加しなさい」という要求があるが、それは、本人の意思に任せたまま。
つまり、最後に痛い目をみるシステムなのだ・・・。
そういうわけで、4月のイースター休暇から、5月にかけては、周囲もみな勉強モード。(という私はウガンダに居たので、焼けた肌とNGOの仕事のアウトプットを教授に提出して「開発学」の単位にかえさせて欲しい!)
SOASではそうではないが、UCLやLSEの図書館は24時間空いている日もあるようだ。
試験の内容はというと、1時間で1本、合計3本のエッセイを3時間で書く形式。
それも、知識を書くだけでなく、複数の視点からの批判、自分の意見、論理的な構成が要求され、簡単ではない。
例えばSOASの1年生向けの開発学の試験は
(過去問は全て公開されている:http://www.soas.ac.uk/library/resources/exams/)
「『dependency は必ず経済発展の障害となる。』 論ぜよ。」
「『post development thoeryは開発の無意味性を主張する。』 論ぜよ。」
「どの程度、世界銀行とIMFの政策は経済発展を推進するか。」
と言った内容。
「論ぜよ。」
というのがミソで、常に、答えが無い問題をぶつけてくる。
途上国が経済発展のなかで先進国との依存関係となっているという批判であるdependency theoryが、途上国の発展を妨げていることが「必ず」とは言い切れないだろうし、
参加型開発、オルタナティブ開発と並んで、既存の開発レジームに対する根本的な批判であるポスト・デペロップメントの「ポスト」が何を意味しているか:開発を否定するか、新しい開発を提案しているか、白黒つけられるものでもないし、
世銀やIMFの政策も、あるときは経済発展をサポートし、場合によっては途上国の累積負債を助長したかもしれない。
というわけで、イギリスでは最初から最後まで、常にargumentが要求される。答えのないディベートを繰り返しさせられているような授業には、日本での分析的、真理追究的な考え方に慣れていると嫌になってくるのだが、こうして学問も政治も進んで来たのだから仕方がない。
加えて、問題なのが要求される文字数。
はっきり決まっては居ないのだが、どうもA4の要旨一杯書いて、それを片面計算で4ページから5ページ書けというのだ。1時間で。
3問あるから、3時間で、12-15ページとなる。
ぶっつづけで書いて、知識不足や、論理構成や、英語の問題でとまどったりしないで頑張って、それで、30か40分くらいかかるだろう。それに、問題を見てからそれを分析し、アウトラインを考える時間も必要になる。
いろんな友人が口にするのは、
問題は頭じゃない。手だ。
ってこと。コンピュータに慣れているこの時代には、3時間はきっと辛い。
でも、留学生からしたら、
内容も、議論の仕方も、英語も、手も。
どれも問題なんですけど。
ついに試験は1週間後!
ウガンダからイギリスに帰って、「食」に対する評価が全くもってかわってしまった。
イギリスの飯はまずいと評判だし、
渡英まで日本を出た事がなかった私としても、毎日がっかりさせられていたのだが、
ウガンダに着いたときの印象は、
「ウガンダ料理はイギリス料理より上手い!」
と感じた。
やわらかいご飯(東アジアのものとは違うが)に、ウガンダ風魚の煮付け。ビーフシチューに、いろんな種類のイモやバナナ。と聞くと、少しはおいしそうだ。
しかし、それから2、3週間と過ぎると、
「ウガンダ料理はシンプルすぎる!」
と飽きてしまった。というのも、上に挙げたもの意外に、魚のフィレット、フライドポテト、フライドチキン。あとは、肉がビーフかチキンかヤギかを選べて、ソースがピーナッツかスパイスのどちらかが選べる。しかし、それだけなのだ。
それも、ボランティアの団体で毎日出されていた昼食は、現地の子供達に食べさせる給食と一緒。甘くないコーンでつくったペーストに、豆のソースがかかっている、至ってシンプルなものである。現地の人々と食事を何度か共にしたが、一般の人は毎日魚や肉が食べられるわけではなく、炭水化物が多い食事をしている。
冗談で現地で話していたのだが、このウガンダ料理の質素さとシンプルさ、もしかしたらイギリスの旧植民地時代のせいなのではないだろうか。ウガンダ人の友人も、好きなものは何?という質問に、チップス(フライドポテト)と答える。フィッシュ&チップスに毒されているのだ。旧ベルギー植民地のルワンダにも旅したが、料理はもう少しバラエティーにとんでいた。
しかし今、イギリスに帰って来ての印象は
「イギリス料理は栄養満点で、高級な西洋料理だ!」
である。
自分でも信じられないのだが、ここまで来てしまったようだ・・。
毎日、イギリス人も酷評する大学寮で出される料理も、ウガンダで飽きていたものに比べればずっと食べ慣れた西洋料理。そして、ないよりも肉も野菜もふんだんに使ってあって栄養バランスが良い。
このまま行くと、日本に帰った時どうなってしまうのか怖い。
今の私には、日本のコンビニ弁当や牛丼は10ドル出しても良いくらいの代物である。
こうしてヨーロッパ、アフリカを旅しての結論は、やはりロンドンは特別な場所だということだ。
毎週土曜日のモールには、各国からの露店が並んでいる。日本、韓国、中国、タイ、トルコ、スペイン、イタリア、ドイツ・・とそれぞれ、ロンドンに住む各国の人(であろうと思われる。少なくとも日本のブースはそう見えた。)が料理をつくってくれる。
街を歩けば、マイナーな国の料理だってみつかるし、日本食もまがいものが多いとはいえ大学から歩いて10分のところに3件はある。
この先は東欧、中東、南・東南アジアを旅とインターンをして、帰国予定である。また、ロンドンのようには行かないのか・・と考えると、どうにも日本食スーパーやレストランに足が伸びてしまう今日この頃である。
イギリスの飯はまずいと評判だし、
渡英まで日本を出た事がなかった私としても、毎日がっかりさせられていたのだが、
ウガンダに着いたときの印象は、
「ウガンダ料理はイギリス料理より上手い!」
と感じた。
やわらかいご飯(東アジアのものとは違うが)に、ウガンダ風魚の煮付け。ビーフシチューに、いろんな種類のイモやバナナ。と聞くと、少しはおいしそうだ。
しかし、それから2、3週間と過ぎると、
「ウガンダ料理はシンプルすぎる!」
と飽きてしまった。というのも、上に挙げたもの意外に、魚のフィレット、フライドポテト、フライドチキン。あとは、肉がビーフかチキンかヤギかを選べて、ソースがピーナッツかスパイスのどちらかが選べる。しかし、それだけなのだ。
それも、ボランティアの団体で毎日出されていた昼食は、現地の子供達に食べさせる給食と一緒。甘くないコーンでつくったペーストに、豆のソースがかかっている、至ってシンプルなものである。現地の人々と食事を何度か共にしたが、一般の人は毎日魚や肉が食べられるわけではなく、炭水化物が多い食事をしている。
冗談で現地で話していたのだが、このウガンダ料理の質素さとシンプルさ、もしかしたらイギリスの旧植民地時代のせいなのではないだろうか。ウガンダ人の友人も、好きなものは何?という質問に、チップス(フライドポテト)と答える。フィッシュ&チップスに毒されているのだ。旧ベルギー植民地のルワンダにも旅したが、料理はもう少しバラエティーにとんでいた。
しかし今、イギリスに帰って来ての印象は
「イギリス料理は栄養満点で、高級な西洋料理だ!」
である。
自分でも信じられないのだが、ここまで来てしまったようだ・・。
毎日、イギリス人も酷評する大学寮で出される料理も、ウガンダで飽きていたものに比べればずっと食べ慣れた西洋料理。そして、ないよりも肉も野菜もふんだんに使ってあって栄養バランスが良い。
このまま行くと、日本に帰った時どうなってしまうのか怖い。
今の私には、日本のコンビニ弁当や牛丼は10ドル出しても良いくらいの代物である。
こうしてヨーロッパ、アフリカを旅しての結論は、やはりロンドンは特別な場所だということだ。
毎週土曜日のモールには、各国からの露店が並んでいる。日本、韓国、中国、タイ、トルコ、スペイン、イタリア、ドイツ・・とそれぞれ、ロンドンに住む各国の人(であろうと思われる。少なくとも日本のブースはそう見えた。)が料理をつくってくれる。
街を歩けば、マイナーな国の料理だってみつかるし、日本食もまがいものが多いとはいえ大学から歩いて10分のところに3件はある。
この先は東欧、中東、南・東南アジアを旅とインターンをして、帰国予定である。また、ロンドンのようには行かないのか・・と考えると、どうにも日本食スーパーやレストランに足が伸びてしまう今日この頃である。
1ヶ月、4週間弱のウガンダでの生活と、NGOでのインターンを整理したいと思う。
出発前の目標は、以下であった。
- - -
・国際開発NGOが現地の人々のためにできることは、何で、どのような方法なのか:特に、スターではなく、人々のアシスタントとして何が出来るのか。
・ドナーや公共と、被支援者の関係性についての理解:ドナーいかんでどのようにプロジェクトが影響され、どのようなストラグルがあるのか。
・開発NGOのフロントラインという環境で、私自身に何が出来るのか、あるいは出来ないのか。また、将来そのような現場で働きたいのか。
これらの3つについて、答えをもって帰られるようにしたい。
これに一般的なことを加えると、
・世界でも最も貧しい地域である、サブサハラアフリカについての理解を深める。
・仕事の前線で使える英語とはどのようなものかを知り、その水準に少しでも追いつく。
これらの2つを実践したい。
- - -
>・国際開発NGOが現地の人々のためにできることは、何で、どのような方法なのか:特に、スターではなく、人々のアシスタントとして何が出来るのか。
現場に行けば、誰にでも、できることは沢山あることを知った。NGOワーカーのなかでも多くが、専門で勉強したわけでもなく、ただ現地の状況に共感し、ただ助けなければ、何か自分にできることはないかと思い、現地にとどまり、活動していた。インターン先の団体の代表もそうだし、そういう日本人の方にも出会った。
そこには、頭で考えるよりも、現場で出来る事からやっていこうという意思があった。
NGOはスターではない。小さなNGOにはリソースもなければ、技術も、お金もない。そういう状況で、報告書に書くために一方的に技術や資金の額を競って援助したりして、スターになれるはずもない。現場に密着すればするほど、現地の人の声に耳を傾けて、ほんとうに必要とされるものがわかってくる。また、そいうい意味では現地のソーシャルワーカーのスタッフが秀逸であった。彼らは、コミュニティをまわり、彼らと話、ニーズを探り、北からの支援と人々を結びつけられるようにトレーニングされていた。
・ドナーや公共と、被支援者の関係性についての理解:ドナーいかんでどのようにプロジェクトが影響され、どのようなストラグルがあるのか。
ドナーがいなければ継続的な支援ができない。ビジネスであてはまる顧客や投資がなければ継続できないのと同じく、開発援助NGOもそういう厳しい状況におかれていることを知った。ドナーを増やすための広告も、マーケティングもしなければならない。もちろん、会社でいう収益というような判断軸とは違い、ドネーションの量と、援助の効果というNGOなりの尺度があって自分たちを評価している。
たしかに、ストラグルは存在する。アカウンタビリティ、透明性というのがそれだ。スラム街の人々を効率的に助けるには、援助品をばらまき、質にこだわって高い費用を出し、結果支援できる人が少なくなるよりも、スラム街の人同士で助け合うようなしくみをつくってしまえば良いと思うが、簡単にはいかない。ドナーからの援助品を渡すには、誰からの支援品が誰のところにいったのかを明確にしなければならない。ドナーからの資金を使うには、質の保障できない、不明確なプロジェクトであってはいけない。多少お金がかかっても、識字教育にはそのプロを雇い、評価も実施していかなくてはならない。ドナーも、ただお金をくれているわけではないのだ。NGOにはNGOなりのシリアスさがあり、さらなるドナーを獲得するためには、そのドナーの期待、目に見える形で出したお金の効果を知りたいという欲求に答えなくてはならない。
・開発NGOのフロントラインという環境で、私自身に何が出来るのか、あるいは出来ないのか。また、将来そのような現場で働きたいのか。
自分にできることは無数にある。というのが結論だ。
しかし、次にくるとしたら、ボランティアという立場というわけにはいかない。資金的な持続性が無いし、できることも限られている。技術であれ、ビジネスであれ、政治であれ、コンサルタンツであれ、途上国は先進国との接点を必要としているし、高い水準を求めている。途上国支援にかかわるかどうかにこだわらず、日本でやりたいことを追求していき、そのプロフェッショナルになることができれば、いつか途上国にかえって来た際、それはきっと生きるのだと確信できた。
そういう意味で、がむしゃらにフロントラインでなくては働きたくないというわけではないことにも気付いた。好きな事を探し、研究でも仕事でも追求し、それが、役に立つときがくれば途上国に渡れば良いのだ。
・世界でも最も貧しい地域である、サブサハラアフリカについての理解を深める。
アフリカの、海から離れた、工業化の進んでいない国であり、そしてその都市化の波に襲われ、不十分な環境に生きるスラムの人々の生活に触れた。確実に理解は深まったと思う。
・仕事の前線で使える英語とはどのようなものかを知り、その水準に少しでも追いつく。
英語については恥ずかしいことばかりであった。仕事で外に出すには英語は不十分で、イングリッシュチェックをしてもらい、マネジャーや他のボランティアを煩わせてばかりであった。アセスメントのためのインタビューシート作りも、不明瞭な表現では現地スタッフが混乱してしまう。適切で、明確な表現を使う事。そして、外部に出すためにはナチュラルな英語にしていかなければならないことを知った。
英語で電話をかけ、交渉するというのが最も難しいことであったが、仕事ではいくども使うことになった。はじめは緊張してしかたなかったが、なんとか通じていくものだということがわかり、すこし成長した。
今回、レポートを書くというような仕事が多かったが、そういうシンクタンク的な仕事をするには、文章表現の完成度が求められることも悟った。プロポーザルを書くもの大学のレポートも同じ。通じるからよいや、ではなく、より正確な文法、適切な表現をしだいに身につけていかなければならないと感じた。
職場には、イギリス人、カナダ人、アメリカ人、オーストリア人のマネジャーとボランティが半数、ウガンダ人の教員やソーシャルワーカーのスタッフが半数ほどであった。そういう中に、アジア人が一人。英語だけでなく、コミュニケーションスタイルの違いから戸惑いも大きかった。
アジア人が通じることができる「空気を読む」というのは白人スタッフには通用しないし、その分、敬語をつかったり意見をいうのに遠慮する必要は無い。ものをはっきりと言い、ボランティアであってもフランクな会話が大切にされる。
ウガンダ人はお互いに対して丁寧であるという空気感では、日本人に通じるとことがあった。しかし、時間の感覚、約束や契約という感覚に欠けているところがあった。仕事を依頼しても、maybe later. afternoon.と言い、午後は何時かと聞くと maybe 2.と答える。そしてその時間になると、maybe tomorrow.と帰ってくる。雨が降ったらアポイントメントは解消になる。夕方のひどい渋滞のおかげで、夜の約束に時間も何もあったものではない。
そういう中で、これらの時間の感覚やコミュニケーションスタイルに慣れるということも学んだ。
以上、1ヶ月という短すぎる期間だったが、得るものは本当に大きかった。
思い切ってウガンダに渡って良かったと、今は本当に思っている。
出発前の目標は、以下であった。
- - -
・国際開発NGOが現地の人々のためにできることは、何で、どのような方法なのか:特に、スターではなく、人々のアシスタントとして何が出来るのか。
・ドナーや公共と、被支援者の関係性についての理解:ドナーいかんでどのようにプロジェクトが影響され、どのようなストラグルがあるのか。
・開発NGOのフロントラインという環境で、私自身に何が出来るのか、あるいは出来ないのか。また、将来そのような現場で働きたいのか。
これらの3つについて、答えをもって帰られるようにしたい。
これに一般的なことを加えると、
・世界でも最も貧しい地域である、サブサハラアフリカについての理解を深める。
・仕事の前線で使える英語とはどのようなものかを知り、その水準に少しでも追いつく。
これらの2つを実践したい。
- - -
>・国際開発NGOが現地の人々のためにできることは、何で、どのような方法なのか:特に、スターではなく、人々のアシスタントとして何が出来るのか。
現場に行けば、誰にでも、できることは沢山あることを知った。NGOワーカーのなかでも多くが、専門で勉強したわけでもなく、ただ現地の状況に共感し、ただ助けなければ、何か自分にできることはないかと思い、現地にとどまり、活動していた。インターン先の団体の代表もそうだし、そういう日本人の方にも出会った。
そこには、頭で考えるよりも、現場で出来る事からやっていこうという意思があった。
NGOはスターではない。小さなNGOにはリソースもなければ、技術も、お金もない。そういう状況で、報告書に書くために一方的に技術や資金の額を競って援助したりして、スターになれるはずもない。現場に密着すればするほど、現地の人の声に耳を傾けて、ほんとうに必要とされるものがわかってくる。また、そいうい意味では現地のソーシャルワーカーのスタッフが秀逸であった。彼らは、コミュニティをまわり、彼らと話、ニーズを探り、北からの支援と人々を結びつけられるようにトレーニングされていた。
・ドナーや公共と、被支援者の関係性についての理解:ドナーいかんでどのようにプロジェクトが影響され、どのようなストラグルがあるのか。
ドナーがいなければ継続的な支援ができない。ビジネスであてはまる顧客や投資がなければ継続できないのと同じく、開発援助NGOもそういう厳しい状況におかれていることを知った。ドナーを増やすための広告も、マーケティングもしなければならない。もちろん、会社でいう収益というような判断軸とは違い、ドネーションの量と、援助の効果というNGOなりの尺度があって自分たちを評価している。
たしかに、ストラグルは存在する。アカウンタビリティ、透明性というのがそれだ。スラム街の人々を効率的に助けるには、援助品をばらまき、質にこだわって高い費用を出し、結果支援できる人が少なくなるよりも、スラム街の人同士で助け合うようなしくみをつくってしまえば良いと思うが、簡単にはいかない。ドナーからの援助品を渡すには、誰からの支援品が誰のところにいったのかを明確にしなければならない。ドナーからの資金を使うには、質の保障できない、不明確なプロジェクトであってはいけない。多少お金がかかっても、識字教育にはそのプロを雇い、評価も実施していかなくてはならない。ドナーも、ただお金をくれているわけではないのだ。NGOにはNGOなりのシリアスさがあり、さらなるドナーを獲得するためには、そのドナーの期待、目に見える形で出したお金の効果を知りたいという欲求に答えなくてはならない。
・開発NGOのフロントラインという環境で、私自身に何が出来るのか、あるいは出来ないのか。また、将来そのような現場で働きたいのか。
自分にできることは無数にある。というのが結論だ。
しかし、次にくるとしたら、ボランティアという立場というわけにはいかない。資金的な持続性が無いし、できることも限られている。技術であれ、ビジネスであれ、政治であれ、コンサルタンツであれ、途上国は先進国との接点を必要としているし、高い水準を求めている。途上国支援にかかわるかどうかにこだわらず、日本でやりたいことを追求していき、そのプロフェッショナルになることができれば、いつか途上国にかえって来た際、それはきっと生きるのだと確信できた。
そういう意味で、がむしゃらにフロントラインでなくては働きたくないというわけではないことにも気付いた。好きな事を探し、研究でも仕事でも追求し、それが、役に立つときがくれば途上国に渡れば良いのだ。
・世界でも最も貧しい地域である、サブサハラアフリカについての理解を深める。
アフリカの、海から離れた、工業化の進んでいない国であり、そしてその都市化の波に襲われ、不十分な環境に生きるスラムの人々の生活に触れた。確実に理解は深まったと思う。
・仕事の前線で使える英語とはどのようなものかを知り、その水準に少しでも追いつく。
英語については恥ずかしいことばかりであった。仕事で外に出すには英語は不十分で、イングリッシュチェックをしてもらい、マネジャーや他のボランティアを煩わせてばかりであった。アセスメントのためのインタビューシート作りも、不明瞭な表現では現地スタッフが混乱してしまう。適切で、明確な表現を使う事。そして、外部に出すためにはナチュラルな英語にしていかなければならないことを知った。
英語で電話をかけ、交渉するというのが最も難しいことであったが、仕事ではいくども使うことになった。はじめは緊張してしかたなかったが、なんとか通じていくものだということがわかり、すこし成長した。
今回、レポートを書くというような仕事が多かったが、そういうシンクタンク的な仕事をするには、文章表現の完成度が求められることも悟った。プロポーザルを書くもの大学のレポートも同じ。通じるからよいや、ではなく、より正確な文法、適切な表現をしだいに身につけていかなければならないと感じた。
職場には、イギリス人、カナダ人、アメリカ人、オーストリア人のマネジャーとボランティが半数、ウガンダ人の教員やソーシャルワーカーのスタッフが半数ほどであった。そういう中に、アジア人が一人。英語だけでなく、コミュニケーションスタイルの違いから戸惑いも大きかった。
アジア人が通じることができる「空気を読む」というのは白人スタッフには通用しないし、その分、敬語をつかったり意見をいうのに遠慮する必要は無い。ものをはっきりと言い、ボランティアであってもフランクな会話が大切にされる。
ウガンダ人はお互いに対して丁寧であるという空気感では、日本人に通じるとことがあった。しかし、時間の感覚、約束や契約という感覚に欠けているところがあった。仕事を依頼しても、maybe later. afternoon.と言い、午後は何時かと聞くと maybe 2.と答える。そしてその時間になると、maybe tomorrow.と帰ってくる。雨が降ったらアポイントメントは解消になる。夕方のひどい渋滞のおかげで、夜の約束に時間も何もあったものではない。
そういう中で、これらの時間の感覚やコミュニケーションスタイルに慣れるということも学んだ。
以上、1ヶ月という短すぎる期間だったが、得るものは本当に大きかった。
思い切ってウガンダに渡って良かったと、今は本当に思っている。