人間と類人猿の違いを遺伝子レベルで比較するならわずか6%程度の違いしかない。だが決して同じではない。日本の学校や塾、予備校で教えている英文法は、実は、英米の標準英文法とは別物の「日本固有の特殊英文法」なのだ。英米の標準英文法が人間だとするなら日本で普及している日本版英文法は類人猿に相当するのである。
日本の学校英文法の体系は、明治期の1870年代から形成され始めました。その基礎を築いたのは斎藤秀三郎で、1898-99年に出版した『Practical English Grammar』において、NesfieldやSweet、Murrayといった19世紀英国の文法書を参考にしながら、五文型の原型となる概念を導入し、「熟語本位」という独自の体系化を行いました。続いて大正期の1917年、細江逸記が『英文法汎論』を著し、JespersenやPoutsma、Kruisingaなどの影響を受けながら、現在まで続く「不定詞の三用法」を体系的に整理し、日本独自の簡略化された文法体系を完成させました。
戦前の1920年から1945年にかけては、受験英語の体系が確立される時期でした。市河三喜が1929年に著した『英文法研究』は旧制高校入試に対応した内容で、五文型を明確化し、品詞分類を固定化しました。戦後になると、学習指導要領によってこの体系がさらに固定化され、特に江川泰一郎の『英文法解説』(1953年初版、1991年改訂版)が現在の学校文法の決定版となりました。江川はQuirkやJespersen、Zandvoortを参考にしつつも、基本的には日本化された体系を維持し、五文型、準動詞、時制の体系を完成させました。1980年代以降は安藤貞雄がQuirkらの『Comprehensive Grammar』(1985)を部分的に導入しようと試みましたが、基本的な枠組みは従来の学校文法のままでした。
現在の学校英文法は、19世紀英国文法に大正期の日本独自の体系化を加え、さらに戦後の受験対応で固定化されたものです。その基本構造は1890年代から1920年代の文法理論に基づいており、用語や分類は日本独自の簡略化されたもので、現代言語学の成果はほとんど反映されていません。
この体系が更新されない理由は、大学入試が五文型や不定詞の三用法を前提としており、採点基準の標準化が必要なこと、教員養成課程でも江川文法が標準となって再生産されていること、そして教科書検定制度により学習指導要領の制約から逸脱することが困難なことにあります。
その結果、日本では1900年代の伝統文法を理論的基盤とし、五文型を中心概念とし、不定詞の三用法を必須項目とする体系が続いている一方、現代の英語圏では1980年代以降の記述文法に基づき、五文型にはほぼ言及せず、不定詞の三用法という概念自体が存在しないという、大きな断絶が生じています。
現在の日本の学校文法は、CGELはもちろん、その前身であるQuirkらの1985年の文法書さえもほとんど反映しておらず、約100年前の理論的枠組みが現在も「正しい英文法」として教えられているのが実情です