「一歩手前て気づく、妻の子育てへの思い」
俺と美香は2人共、馬好き、乗馬好き。
2人でモンゴルの大草原を馬でかっ飛ばしたこともある。
日本に限定してるわけではないから、場所はどこでもいい。
「俺たちの家の庭には馬が2頭います」みたいな生活・・・。
美香が管理してる「乗馬瞑想」Facebookページをシェアしたい。
美香は産後、抵抗力が落ちているのか、膀胱炎になったり、今も風邪気味だ。
1歩手前で気づく
今では習慣的に乗馬をしなくなってしまったが、
その時学んだことで現在でも役に立つことはとても多い。
その中でも特に、全てにつながっているなと日々感じるのが、
「一歩手前て気づく」ということだ。
例えば、馬がよそ見をする時、
「あ、草が美味しそうだ」
「あ、ちょっと下を向けば水が飲めるぞ」
「あ、あっちで音がするぞ」
とまぁ馬もいろいろ考え、
敏感にいろんなサインをキャッチしたり、発信しているわけで。
そんな時に、馬が動く一歩手前で手綱を引くこと、
それが乗り手の身を守ることだし、
馬と喧嘩することなく動くことだし、
摩擦なく、あとあとしんどい思いをしなくて済む、
ということだったりする。
もちろん外乗に限らず、
普段の乗馬でアリーナ内の図形を描くときなどにも、
馬の微妙な様子やサインを見逃さず、
一歩手前で舵をとる、
足や腰で合図する、
肩ムチを入れる、
などは重要となる。
このタイミングを逃すと、
次のタイミングまでなかなかスムーズに馬は動いてくれない。
そんな「動物的、勘」が人間にも必要な場面が、
乗馬の時以外でも、
都会で生活していく中でも、
たくさんあるわけで。
「あ、これ以上言うと(すると)泣いちゃうかも」
「あ、この辺で注意しないとやらかすかも」
「あ、この辺でトイレ行っとかないとヤバいかも」
などなど。
ただ、普段意識しないと、
どんどん人は鈍感になっていく。
これらのサインを見逃し続けると、結構面倒臭いことになり、
後々の軌道修正が必要になっていく。
勿論、人間は動物的な行動と、人間的思考が複雑に絡み合った生き物であるため、
いつも馬を扱うようにはいかないが、
まだ言語を習得していない我が息子に対しては、
この「一歩手前で気づく」が大変有効だと感じる。

10月23日に息子「颯馬(ふうま)」を出産してもうすぐ1ヶ月。
昨晩は夫が颯馬のギャン泣に苦しんだ。
ギャン泣きは放っておくと、
1)赤ちゃんが疲れて止める
or
2)声が枯れるまで加速する
のどちらかだ。
そして昨晩、
颯馬は2)の道をまっしぐらに進んだ。
2)の場合も最終的には1)となる訳だが、
その際の息子の精神的ダメージは計り知れない。
最終的には母乳を飲んで落ち着いてくれたが、
そんな女の最終兵器のない我が夫はどうすればよかったのだろうか。
よく観察すれば、
ギャン泣の「一歩手前」で、
赤ちゃんも様々な「サイン」を出しているに違いない。
颯馬の場合、目覚めたら手足を大きく動かして、
ムニャムニャと音を発する。
ギャン泣き前には表情が「すっぱ顔」になる、
他にも様々な音やジェスチャーで感情を表現している。
夜中に寝ているとそんなことに気づくことは難しいのだが、
だいたい3−4時間ごとに目を覚してくれるのだから、
「もう直ぐ起きそうだ」
というタイミングで先に動きたい。
産後、人生初とも言うべき便秘に苦しみ、
「便意をもよおした時にトイレに行こう」
と、
自分の内なる声に敏感になることを心がけているが、
ついつい忙しいとそんな声も聞こえず、
気づくと水分も取っていないし、
膀胱炎にもなるし、
風邪の症状が出るまで無理してしまう。
後々夫にも、仕事関係の人にも迷惑をかけてしまうので、
自分にも、周囲にも「一歩手前」で気づく心の余裕を持ちたい。
産後1ヶ月が過ぎ、母子ともに外出できるようになったら、
近くの公園に馬を見に行ったり、
森林浴をしたりして、
自然と繋がり、
内なる直感力を磨きたい。
中村美香


